第1話 いちにちめ。
「ねえ、君って好きな人とか、いたりする?」
突然、彼女がそんなことを聞いてきたのは、学校からの帰り道でのことだった。周囲には田んぼが広がっていて所々に住宅が点在する、そんな田舎の細道。連なる山々の向こうに隠れた太陽の光が秋空を夕焼け色に染めていて、彼女の姿は陰影が濃くなって見えていた。
「いきなり、何?」
僕は問い返した。意図がわからない。話の流れからでも何でもなく、彼女の言葉は本当に唐突だった。
二人して足を止め、道端にたたずむ格好になる。
「いいから教えてよ」
いつも通りのちょっと鼻にかかった高めの声に、いつも通りのトーン。
そんな何も変化の無い声音で聞いてくるものだから、余計に戸惑う。肩に少しかかるくらいの長さの黒い髪と、セーラー服の赤いリボンや紺色のスカートの裾が、風に吹かれて少し揺れる。その光景が目に付き、何だか知らないけれど更に落ち着かない気分になった。
「断る」
「えー、何でー?」
「それはこっちのセリフだよ。大体、何で僕が君にそんなことを教えないといけないんだよ」
言うと、にやりとされた。
「そんな風に言うって事はいるんだ」
「……っ」
言葉の揚げ足をとられて、つい舌打ちする。
「……いないよ、別に」
「別に恥ずかしがらなくても良いのに」
「いや、そうじゃなくて」
「私達だってもう中学二年生なんだから、別に普通のことだと思うけど」
「違うって言ってるのに」
傍目には悪あがきをしているようにしか見えないんだろうな、と思いながらも否定の言葉を発する。そうすればするほど怪しくなるものなのだろうけど、本当にいないのだから仕方がない。
「正直に言ったら? いるんでしょ、好きな人」
「だから違うから、本当にいないから」
少し苛立ちながら繰り返す。すると彼女の声のトーンが少しだけ下がった。
「……本当に、いないの?」
「さっきから何度もそう言ってるだろ」
「本当の本当に?」
「しつこいな、何なんだよ一体」
苛立ちが募る。その感情は彼女にも伝わっているはずだけど、気にも留められていない様子だった。
怪しい、今度は何だ?
大抵の場合、こういう時の彼女は何かを企んでいる。
「それじゃあ……」
案の定、彼女は僕の言葉をスルーして、質問を重ねてきた。
咄嗟に心構えをする。
――だけど、その内容は僕の予想の範疇には全く入っていないもので。
本当の本当にとびきりの想定外なものだった。
「例えば、私のこと……とかは?」
「……は?」
一瞬、何を聞かれているのかわからなかった。いや、一瞬以上に時間が経過した今になっても彼女の意図はわからないままだった。
「ごめん、言っている意味がわからない」
「だから、君は好きな女の子なんていないって言ったでしょ? だとしたら、いつもこうやって一緒に帰っている私のことはどう思ってるのかなって」
何だか少し焦れったそうに説明してきた。だけど何が「だから」で「だとしたら」なのか。
「ねえ、どうなの?」
前屈みになって、悪戯っぽい笑みを浮かべながら上目遣いで僕を見てくる――それだけならばいつものことだ。適当に受け流しておけばいい。だけど、今日は何故だか幾分かの真剣さがその眼差しに込められている気がして、僕は少し躊躇していた。
でも、そうは言ってもな……と困惑する。
正直なところ、彼女のことをどう思っているか、なんてあまり考えたことがなかった。
友達と言うには違和感がある。確かに下校時は二人きりだけど、それは同じ方面から来る奴が他にいないだけのことだしだし。休みの日に遊んだりすることも、偶然に出会ったりとかしなければ、特に無いし。
だけど「ただのクラスメイト」かと言うと、そういうわけではないのも確かだった。
「えーと、そんなに悩むことなの?」
返事がないことに焦れたのか、彼女が再び口を開いた。
「そういうわけじゃ……」
ないとも言い切れなかったので、答えを濁してしまう。
すると彼女は何かを決意したかのように「うん」と小さく呟くと、若干顔を上げて僕との距離を更に縮めてきた。
「それじゃ、聞き方を変えてみよっか」
「え?」
「――君は、私のことが好き?」
「っ!?」
途端、頭の中が何か真っ白いものに覆われた様な気がした。同時に心臓がトクンと大きく脈を打つ感覚にも襲われる。
……え、これって、そういう話だったのか?
「な、何を言い出すんだよ急に」
「別に急じゃないと思うけど。――ねえ、どうなのかな?」
発する声と共に吐息がかかる。とてもじゃないけど、そのまま顔を合わせたままでいることはできなかった。
顔を背けるとそのまま一歩、二歩と後ずさる。
「どうなのかな?」
もう一度、彼女が言う。
その声音がどうとか、表情がどうとか、そんなことを気にしていられる余裕は、僕にはもう全く無くなっていた。
彼女が首を少し傾げながら、また一歩近づく。
――もう、限界だ。
頭の中に広がっていた真っ白い何かが一気に溢れ出しそうになった、その瞬間。
「なーんてねっ」
彼女はニコッと笑うと、そのまま数歩後ろへと後退した。
「びっくりした?」
「え?」
「――さて、もう日も暮れそうだし、さっさと帰ろっか」
さっと方向転換して、背を向ける彼女。
確かにさっきまでと比べて若干、辺りは暗くなっていた。道ばたの外灯にも明かりがともり始めている。
いや、だけど今までのは一体……え?
「何してるの、さっさと来ないと置いてくよ」
「いや、ちょっと待てって。何だったんだよ今のは」
「さあ、何だったんだろうね」
ひょっとして、僕はからかわれていただけだったのだろうか。
そのまま、さくさくと歩き出す彼女。
暗くなっただけで周囲の景色にあまり変化は無い。相も変わらずの田園風景。道筋もまだまだ細い一本道が続く。
本当になんだったんだよ……。
戸惑いながらも、彼女の後を慌てて追いかける。
だけど、すっかり混乱してしまった頭の中は、まだ平常運転に戻るまでには暫くの時間が必要そうだった。




