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ツンデレ義弟をツンだけに育てたものの、やっぱりデレがないとお姉ちゃんはさみしい。

作者: 織子

「姉さま、もう戻りましょう。このままでは遭難してしまいます」

「まだ日暮れまで時間があるわ」

雪に埋まりながらも、カリナは足をとめなかった。

(雪の中に咲く、万能薬と言われる雪月花。それを持ち帰らないと、お父様はもう助からない)


「姉さま!そっちは危険です!」

リベリオンの叫びも虚しく、2人は少し下の崖下へ転がった。





大国エルケダイア。その中で1年の大半が雪に埋もれる、北方の領地アストレイア大公領。

魔物も出現するアストレイアでは、力がなければ治めることができなかった。


「お嬢様!目が覚めましたか?」

「エナ」

目が覚めて、自分の部屋の天井を見てカリナはホッとした。自分が助かったということは、リベリオンも無事だろう。自分だけ邸に戻されるとは考えにくい。


身体を起こしてメイドに聞いた。

「リベリオンはどこ?怪我はない?」

額に痛みを感じ、手で触るとガーゼが貼ってある。


「ええ!リベリオン様はご無事です!おてんば姫様が怪我をしただけでございます」

専属メイドの、エナの小言を受け止める。

「ごめんなさい」

「今回ばかりは肝を冷やしましたよ。閣下もたいそう心配しておられました。起き上がれそうでしたら、顔を見せてさしあげてください」


「うん···」


アストレイアの大公。グレイグ·アストレイア。カリナの養父であり、リベリオンの実父。アストレイアの主人では珍しく、武に秀でず優しい人物だった。


「カリナ!心配したよ。こちらへおいで」

大公の寝室に行くと、グレイグはカリナを抱き寄せた。

「ごめんなさいお父様、雪月花を探していたの」

「雪月花を?」

カリナの意図を読み、グレイグは微笑んだ。

「ありがとう。でも、もうこの時期にダシュクの森へ行ってはいけないよ。アイスベアが出るからね。遭遇しなくて本当に良かった」


(お父様は今日もベッドから起き上がれないのだわ)

グレイグが倒れたのは一昨年のことだった。元々身体の弱い大公には、アストレイアの厳しい環境は毒になる。

それからはほとんど寝室で過ごし、公務も寝室でしている。


コンコン。

ノックが聞こえた。

「兄上、少しよろしいですか」


ドアが開き、入ってきた男をカリナは睨んだ。

父の弟、カシュク·トランセル伯爵。彼の家族が公爵邸で暮らすようになり1年になる。公務の手伝いという名目だが、待っているのだ。父が死ぬ時を。


「おや、カリナ居たのかい?怪我をしたそうだね。おてんばも程々にしなさい」


カリナは心の中で舌打ちをした。

(私が部屋にいることを知っていたくせに。白々しい)


「はい。叔父様。ではお父様、私はこれで失礼します」 

「ああ。今日はゆっくりやすみなさい」


部屋から出ると、近くにいる衛兵に聞く。

「リベリオンはどこ?」








❋❋❋❋❋❋❋


「うっ」

「おい!この程度で剣を手放していると、すぐに魔獣に食われてしまうぞ」

「どうだった?森は?魔獣に会いに行ったんじゃないのか?」



鍛錬場の隅で、尻もちをついたリベリオンを見てカリナは頭に血がのぼった。

「やめなさい!」

腹の底から叫ぶ。


「やぁカリナ。来ると思ったよ」

「君だけ魔獣に食われたのか?リベリオンは役に立たなかったと見える」

にやにやと下品に口を開く2人は、カシュク·トランセルの息子たち。ライアンとアルベルト。父が死に、カシュクが主になると信じているからか、公子であるリベリオンを軽視している。

(だとしても軽視しすぎよ)


「何をしてるの」

「剣術の訓練さ。コツを教えていたんだ」


視線を下に向け、投げ出されたリベリオンの剣を見た。足でクイッと剣を蹴り上げ、手で受けとめ切っ先をライアンに向けた。

「かまえなさい」


流麗な動きに、2人はたじろぐ。

「教えたいと言うならば、私より強くなってから言いなさい」


睨みながら一歩前に出ると、2人は後ずさった。

「お前に勝つのはまだ無理だ。エルフの血が混ざってるくせに!ずるいぞ!」

弟のアルベルトが言った。ライアンは弟を小突いて黙らせる。

「チッ。行くぞ」

ライアンとアルベルトは背を向けて去っていった。



去った2人を睨み、リベリオンに視線を移した。

「立ちなさい。リベリオン。この程度で涙を見せてはいけません」 


下を向いていたリベリオンは、慌てて顔を上げた。

「泣いておりません!姉さまが来なくても問題ありませんでした!」


大きな目に涙をため、睨み上げる義弟にカリナは小さくため息をついた。

「では立ちなさい。このまま剣術の訓練をしましょう。アストレイアの主になるには、強くならねばなりません」

(リベリオンは父様に似て優しすぎる。このままでは父様の二の舞だわ)


カリナは養子だ。この邸宅に来る以前の記憶はない。連れてきたグレイグ大公が言うには、エルフの血を引いているらしい。銀糸の髪に、美しいエメラルドの瞳。そのため容姿は美しく、年の割に文賦に秀でていた。


大公には返しきれない恩がある。その息子、リベリオンも然り。彼を名実ともにアストレイアの大公にすることがカリナの恩返しだった。


(お父様はもう長くない。このままではいけないわ)


日暮れまで稽古に費やした。

「ここまでにしましょう」

カリナが言うと、肩で息をしていたリベリオンは座り込んだ。


「姉さま。申し訳ありません」

「なにが?」

「私がついて行ったせいで、姉さまに怪我を負わせてしまいました」


(あら、気付いていたの)

崖から落ちた瞬間、カリナはリベリオンを守った。1人であったなら、庇うことなく着地出来ていただろう。


「そんなことないわ。貴方が来なくても私は怪我をしてたわ」

「気休めは結構です。どうせ僕は姉さまの実力の半分にも満たしません」 


リベリオンはプイとそっぽを向いた。

「次にこのような事があったら、僕を庇わないでいいですからね」


「次にあっても同じことよ。貴方はまだ7歳よ。庇われることもあります」

「姉さまと2歳しか違わないのですが」

納得できない顔をして、リベリオンは下を向く。

「姉さまの綺麗な顔が····」

しょんぼりと呟いた。


ツンツンしながらも、いつもカリナに付いてくるリベリオン。カリナは可愛くて仕方なかった。

(綺麗だなんて。久しぶりにデレたわね)


だがこのままではいけない。リベリオンが傍系の一族に軽んじられないように、強くしなければ。







❋❋❋❋❋❋❋


カリナ12歳。リベリオン10歳。

雪の深い日にグレイグ·アストレイア大公が亡くなった。


しんしんと積もる雪、人払いをして、墓の前に2人で立っていた。


「リベリオン」

「泣いてません」

「泣いてもいいのよ」


許可を出す前から、リベリオンの頬に涙はつたっていた。カリナは義父の墓標に誓う。

(お父様、おつかれさまでした。ゆっくりお休みください。リベリオンのことは、まかせてください)


カリナはリベリオンを抱きしめた。

「姉さま!やめてください。小さな子供ではありません!」

(子供じゃないの)

身体を離して、リベリオンの眼を見て言った。義父と同じ、深い紫の瞳。

「これから叔父様が一時的に当主を担うでしょう。貴方はまだ成人していないから」

リベリオンは頷いた。

「でも勘違いしてはいけません。アストレイアは貴方です。15歳になったら、確実に返してもらいましょう」


「すんなり返すでしょうか?」

「いいえ。だから認めさせなくてはいけないわ」





その日から、カリナとリベリオンは別邸に移され、孤立させられた。


「いいわ。今のうちに、独自の繋がりを作っておきましょう。資金調達も私の名義でした方がいい」 


先のことを見越してか、カリナは大公からあらゆる知識を教えられていた。事業の進め方など、金融との関わり方。それを全てリベリオンに教えた。


リベリオンは覚えもよく、吸収も早かった。1年後には5つの事業を成功させ、別邸にいながらアストレイア大公家の会議に参加できるようになった。



「やはり横の繋がりは難しいわね。社交界にも出れない私たちで人脈を広げるのは限界があるわ」

「それは姉さまの社交性に問題があるからじゃないか?お茶会に参加しても、なんの成果もないのだから」


最近毒舌になってきた義弟をジロリと睨む。

お茶会に参加しても、令息たちにあっという間に囲まれてしまい、令嬢たちから冷ややかな視線を向けられるばかりで、狙っている家門と懇意になるのが難しい。


「この美貌が邪魔をするのよ」

リベリオンは呆れた視線をむけている。


「冗談よ。やっぱり婚姻でなんとかするしかないかしら」 

リベリオンは飲んでいた紅茶を落とした。

「誰が?姉さまが?それこそ冗談だろう」


「貴方でもいいのよ?そうね。パティーナ侯爵令嬢や、アルバトス侯爵家なんてどうかしら」


リベリオンは一層冷ややかな目でカリナを見た。

「ふざけているのですか?大切な弟に政略結婚を進めないでください」


もちろん冗談だ。カリナは首を振った。

「やっぱり駄目かしら」


タンッと音を立ててカップを置くと、リベリオンは立ち上がった。

「どうしてもと言うならば、姉さま以上に綺麗な令嬢でしたら考えましょう」

そう言って部屋を出ていった。


カリナは呆気にとられたまま呟いた。

「ツンツンしてるのか、デレているのか」





❋❋❋❋❋❋


カリナが14歳。リベリオンは12歳になった。リベリオンが成人するまであと3年。そろそろ叔父たちが動き出すだろう。

大公家の家門会議に参加するようになったリベリオンは、すぐに頭角を現した。1年もすれば、子供の言うことだからと侮るものもいなくなり、リベリオンの発言に皆耳を傾けた。


臨時当主である、カシュクはやはり面白くない。孤立させ、当主の力量などないと知らしめようとしていたのに、上手くいかないことに苛立っていた。

家門会議に、カリナと同じ歳の長男ライアンを出席させているものの、発言はほぼなく、ただ座っているだけなのも要因の一つだろう。



アストレイアの義務でもある討伐にもリベリオンは参加するようになった。

夏季と冬季に大規模な討伐部隊を組み、山へ入る。


夏季の討伐でリベリオンは実力を知らしめた。

大人よりも小さな身体で、誰よりも獲物を仕留めたのだ。


「怪我はない?」

カリナはリベリオンに駆け寄った。

「ええ。問題ありません」

すっかり冷めた眼をするようになった弟に、感慨深さを感じる。

(すっかりたくましくなったわね。もう私では剣では敵わない)

それでもまだ12歳。大人の策略にはまれば、ひとたまりもないだろう。


カリナは1人の女性騎士に近付いた。

「ラミエル卿、妙な動きはなかった?」

ラミエル卿は叔父ではなく、アストレイアに忠誠を誓う家門の騎士だ。


「お嬢様。いえ、おかしい動きがありました。小公子の近くで誤射が多かったり、テントでボヤが起きたり、この討伐で小公子に危害を加えるつもりだったのでしょう」


(やっぱり····!!まったく何が問題ありませんなのかしら)

ラミエル卿はリベリオンを誇らしそうに見た。

「ですが全て小公子がご自分で対処なさりました。カシュク卿は悔しいでしょうね」


たしかに、馬上から叔父のカシュクはするどい視線をリベリオンに向けていた。

(悪い方へいかないといいけれど)


公爵家の経営も、討伐でも文句の付けようがないはずだ。このまま15歳になれば、リベリオンに当主の座は移るだろう。

(まだ油断は出来ないわ)



「姉上、いつまでそこにいらっしゃるのですか。邸へ戻りましょう」

(少し前までは姉さま呼びだったのに)


一抹の寂しさを感じながら、カリナは邸へ戻った。



❋❋❋❋❋


それから、カリナの心配が当たったように、リベリオンに怪我が増えた。

馬車の車輪が壊れたり、出先で襲われたり、爆発事故に巻き込まれそうになったり、タイミングがずれていれば命に関わるものだった。


「アカデミーに入学しましょう」

カリナが言うと、リベリオンは首を振った。

「いいえ。私が家を空ける期間が長いと、叔父上たちの思う壺です」

「まだこの家は叔父上の影響力が強いわ。安全じゃないの。分かるでしょう?」


リベリオンは割れた窓ガラスで切った頬に、手を当てた。カリナはその手をはがしてガーゼを貼る。


「私がアカデミーに逃げている間、姉上はどうされるのです」

「私は狙われないわ。アストレイアの血が流れていないことは周知の事だもの」


リベリオンは顔をしかめた。

「やはり私は行きません。アカデミーにはライアンもいる。あいつの顔など見たくもない」


(ライアンを妙に毛嫌いするようになったわね)

「それでもアカデミーの方が安全だわ」

「私の心配はこれ以上しなくて結構です。自身の身を守れる程度の実力は身につけました」


リベリオンはカリナの手を払って言った。

「姉上はご自分の心配のみしていればよろしい」


そう言うと部屋を出ていった。

(難しい年頃だわ)

リベリオンの照れた顔や、微笑った顔を見なくなってどれくらいだろう。

(早く成人して、当主になってリベリオンの地位が確立されれば···)

その時、自分はどうしているだろう。どうするのが正解だろう。

(大公邸に居続けるのは変よね)




❋❋❋❋❋


数日後、他家のお茶会に出席していたカリナは、ラミエル卿からの報告を聞くと飛ぶように邸宅へ帰った。

リベリオンが倒れたと知らされたのだ。


「リベリオン!」

部屋に入ると、蒼白な顔をしてリベリオンは眠っていた。

「ラミエル卿、何があったの」

息をしていることに少し安堵する。そのくらい顔色が悪い。

「毒です。家門会議で珍しくお茶が出されたのですが、飲まざるを得ない状況でした」

(もう他の家門に隠しもしないのね。リベリオンを暗殺しようとしていることを)


「すぐに吐き出して治療したので、命に別状はありません」

「そう····」

カリナは呟くと、踵を返して部屋を出た。自室にある封書を手に取った。

(急がなければ。リベリオンは怒りそうだけど、自分の身を守れなかったのだから文句は言わせないわ)


リベリオンの寝室に戻ると、ラミエル卿に封書を渡した。

「アカデミーの入学書類よ。準備は整っているから、リベリオンが寝ているうちに馬車に乗せて出発してちょうだい」


ラミエル卿は迷ったものの、封書を受け取り頭を下げた。

「承知しました。公女様もお気をつけて」



リベリオンをアカデミーに送って、カリナは別邸に引き籠もった。


リベリオンは充分、当主の資質を見せつけた。3年戻らなくても次期当主の座は揺らがないだろう。


後日、ラミエル卿からの手紙で、リベリオンは無事にアカデミーに着き、身体も回復したと連絡があった。




ーーそれからアカデミーからは何の連絡もなく、2年の月日が過ぎた。




リベリオンが成人するまであと1年。そしてカリナが成人して1年が過ぎていた。






❋❋❋❋❋❋


「叔父様、何度も言っていますが、お断り致します。アストレイアの血が入っていない私を家門に入れるなど、家格が下がりますよ」


「そうは言ってもライアンたっての希望なのだ。血が繋がっていないとはいえ、君の名にはアストレイアが入っている。除籍されない限り、君はアストレイアの公女じゃないか」


カリナは流石に顔をしかめた。成人してすぐ叔父から提案されたライアンとの婚約。それとなく断りながらかわしていたものの、さすがに断り続けるのが難しくなってきた。


(どうしようかしら。婚約しておくべき?あと1年····リベリオンが当主になったら破棄してもらえば····)

ーーいや、リベリオンが破棄してくれるかは分からない。

アカデミーに行ってから2年、本当に何の音沙汰もない。手紙の1つも送ってくれないのだ。こちらが何通送っても。

(無理に入学させたから、怒っているのね)

それでも1年経てば怒りは収まると思っていた。ラミエル卿が時々帰ってきて様子を教えてくれるけれど。



「叔父様、私はライアンにふさわしくないわ。そうお伝えください」

一礼して去ろうとすると、叔父は更に言った。

「では直接そう言ってやってくれ。2日後には休暇でアカデミーから帰ってくるから」


(!)

「分かりました。では失礼致します」

カリナは急いで別館に戻った。





「まずいわ!エナ!」

「どうしました?お嬢様」

呼ばれた専属メイドのエナが慌てて駆けてきた。


「すぐにシュリッツの別邸へ行きましょう!ライアンが帰ってくるらしいの」

「何ですって?ですがお嬢様、シュリッツはこの季節行けません。道が封鎖されています」


夏季休暇の際は、戻ってくるライアンに会わないようカリナはシュリッツの別邸に避難していた。ただ冬季の今はシュリッツに行く道は雪で塞がれ、行くことが出来ないのだ。


(しまった。冬季休暇は短いから戻らないと思ってたわ)

カリナが思案していると、エナが提案した。


「お嬢様、おそらく戻れて3日でしょう。明日から街の宿に泊まり凌ぎましょう。3日くらいでしたら外泊できます」


たしかに3日なら留守にしても大丈夫だろう。

「そうね、そうしましょう」

ライアンにはなんとしても会いたくなかった。数年前までは剣を持てば勝てていた実力も、ライアンの身体が大きくなり、腕力からしてカリナには敵わなくなっていた。本気でカリナに気があるらしく、会えば異様な視線を感じる。


ライアンが命令すれば、この別邸に背けるものはいない。会わない方がいい。

「明日の朝一で出れるように馬車を用意してちょうだい」

あと1年。リベリオンが戻るまで、自分の身は自分で守らなければ。




❋❋❋❋❋❋


次の早朝、カリナはエナとひっそり獣舎へ向かった。

目立たぬように2人で馬車で行くつもりだ。公女がお供を1人で出歩く訳には行かないので、他の従者は後で合流する手筈になっていた。


「あら?おかしいですね。トムがいません」

「寝坊かしら?」

「いえ、馬車はあるのでそんなはずは····少し見てきます」

獣舎の中をチラリと見ると、エナが真っ青な顔で戻ってきた。

「すぐに森へ隠れてください。知らない者がいます。私が確認したら迎えに行きますので」


カリナは頷いた。

「無理しないでね。まずいと思ったらエナもすぐに逃げるのよ」


カリナは森へ入った。いざと言う時のため、エナとあらゆる場所に落合場所を決めている。

雪が深く、痕跡を消せないので周りながら進む。

(リベリオンは元気かな。2年もたてば、少し大きくなっているかしら。ライアンのように、横にも縦にも大きくなっていたら嫌だわ)


「すこしくらい連絡くれてもいいのに」

1人になると、途端に気が弱くなってしまう。


思考を切り替えて前を向く。

油断するとこの森はすぐ迷う。


かすかに音が聞こえた。邸とは反対方向だ。嫌な予感がした。


止まって耳を澄ませていると、馬の音だ。

気づいた時にはもう遅い。カリナはすぐに引き返したが、どちらに行けばいいのかすぐに判断出来なかった。数秒の迷いだったが、あっという間に馬の音が近くに聞こえ、馬が引いていたソリがカリナの前で止まった。


「おや。カリナじゃないか。帰還してすぐに会えるとは運が良い」


「ライアン···」 

1番会いたくなかった人物だ。


「思ったより早く帰還できて良かった。私が帰って来るというのに、どこへ行くんだ?」

ソリから降りたライアンはカリナに近付いてきた。


(大きい···)

1年前に会った時より更に大きくなっている。叔父は細くて不健康そうなのに、誰に似たのか。

カリナは気圧されないように手に力を入れた。

「街へ、買い物へ」 

「こんなに朝早く?1人でか?」

ライアンはニヤッと笑った。無理のある言い訳に、カリナも奥歯を噛む。

「ええ。侍女を待っていたのです」


「ハハハハッ!」

ライアンは手を顔に当てて笑った。カリナは身体がビクリと跳ね、手が震え出した。怖ろしいと思うことが悔しい。


「言い訳をしなくても分かっている。また逃げられては堪らないから、早めに帰還したんだ。ソリに乗れ」ライアンは目をギラリと光らせ、カリナに手を掴んだ。


手を掴まれただけなのに、痛みが走る。

(なんて握力なの)


「聞いたぞ。俺の求婚を拒み続けているらしいな。父上に聞いたんだ。こうなれば事実を作るしかないと」


サッと青ざめた。これは本気で逃げないと不味い。

「グッ」

髪に付いた簪を引き抜き、ライアンの腕を刺した。

掴まれた腕が離れると、カリナは振り向かずに走った。


(捕まったら何をされるか分からない。こんなことなら足に短刀でも仕込んでおけば良かったわ)


後ろから複数の人数が追いかけてくる。こちらはドレスだ。逃げられる訳がない。

(ーあぁ。リベリオンの弱みにだけはなりたくなかったのに)

ライアンの手に堕ちたとして、リベリオンは助けてくれるだろうか。



「あっ!」

後ろから髪を掴まれた。簪がなく、流れた髪を掴まれ後ろに倒れ込んだ。


カリナを捕まえた人物の後ろから、ライアンが歩いて来る。

「逃げるな。無理やり事に及ばないといけないだろ。そんな無体なことはしたくない」


ゾッとするような言葉を吐きながら近付いてくる男に、震える歯を食いしばって睨んだ。



ドサッと雪の上に何かが倒れる音がした。

視線を向ける間にもう一度。見るとライアンが連れてきた騎士が2人倒れている。


「ぐぁっ!」

カリナの髪を掴んでいた男も倒れた。見ると背中に矢が刺さっている。


遠くから血しぶきがあがった。少し先に、剣に付いた血を払いながら、走って来る人影が見える。

雪の上を走っているとは思えない速さでかけてきたリベリオンは、ライアン目掛けて剣を振り上げた。チラリとカリナを見ると、斬る寸前で刃先の向きを変え、柄でライアンを横殴りで吹き飛ばした。

ライアンの巨体が宙に浮き、茂みに倒れ込んだ。


「リベリオン?」

カリナは2年ぶりに見る見違えた義弟に衝撃をうける。


リベリオンは肩越しに振り向くと、氷のように冷たい眼差しでカリナを見た。


カリナのリベリオンに会えた嬉しさが急激に冷えていく。


剣を抜いたままライアンの前まで行くと、ライアンの首筋に切っ先を向けた。

「分不相応なものまで欲しがってはいけないな」

リベリオンの声はカリナが知っている頃より低くなっている。


切っ先は首に食い込み、血が流れた。

蒼白な顔をしてライアンは言った。

「なぜここにいるリベリオン。まだアカデミーにいるはずじゃ····」

リベリオンは嘲笑して言った。

「お前の監視など意味がない」


震えるライアンを冷たい目で見て、リベリオンは剣を下ろした。

「安心しろ。今は斬らない。お前たちの汚い血を、姉上に浴びせたくないからな」


「捕らえろ」


騎士に腕を掴まれたライアンが叫ぶ。

「おい!俺は現当主の息子だぞ!無礼者が!」


リベリオンは振り向きざまにライアンの顎を蹴った。骨が砕けた音がする。

「黙れ」


ブランと力をなく騎士に引っ張られた。

「構うな。牢に連れていけ」 

容赦なくリベリオンが言うと、騎士たちはライアンたちを引きずって行った。





リベリオンはザクザクと雪を踏みしめてカリナの前まで来ると、膝を付いた。

「姉上、お久しぶりです。お怪我はありませんか?」

と聞きながら草や茂みで付いた擦り傷と、ドロドロになったドレスを見てため息を付いた。

「ーーありますね。申し訳ありません。私がもう少し早く来ていれば」


相変わらず冷ややかな眼差しだが、変わらない物言いにカリナはホッとした。

「おかえりリベリオン」

思わず顔がほころぶ。


リベリオンは一瞬固まり、何か言いかけたが止めた。

「ーーハァ」

ため息をつくと立ち上がり、カリナを抱き上げた。


「リベリオン?自分で歩けます!」

カリナは慌てたが、リベリオンは無視して別邸に向かった。



「お嬢様!」

別邸に着くとエナが駆け寄って来た。

「エナ、大丈夫だった?」


「湯を沸かせ。姉上が冷え切っている」

リベリオンが言うと、エナはすぐに準備に向かった。

「お嬢様は私がお連れします」

近くにいた侍従が申し出ると、リベリオンは一瞥しただけでそのまま進んだ。

「私が運ぶ」



リベリオンは部屋に入ると、ソファにカリナをふわりと降ろした。

「では暖まって休んでください」

「ま、待ちなさい」

立ち去ろうとするリベリオンの裾を掴んだ。

裾など掴まれたことのないリベリオンは、肩越しにカリナの手を胡乱な目で見た。

カリナは慌てて手を離して言った。

「ライアンを本当に牢に入れた訳ではないでしょう?あんなことをして、叔父様が黙っていないわ」


リベリオンは背を向けたまま言った。

「心配なさらず、姉上は休んでください」

質問に対する答えがなく、カリナは強めに言った。

「休んでなどいられないわ!叔父様が何か言ってくる前に、アカデミーに戻りなさい」


小さなため息を付いて、リベリオンは振り返った。

「分かりました。では先に少しお話しましょう」



❋❋❋❋❋❋❋❋❋


リベリオンはソファの前の暖炉に火をくべた。

「まず、叔父上の事は心配いりません。今回の件で報復などは無理でしょう」

「どうしてそう言い切れるの」


「叔父上はもう当主ではありません。昨夜私に全ての権限を譲られました。」


「なっ」

「家督を継ぐ際に、他に継ぐ者がいなければ、成人してなくても継げるようになります。なので叔父上には継承権を放棄してもらいました」


「な、何を言ってるの」

(あの叔父が公爵の地位を手放すはずがないじゃない)


カリナは混乱しながらリベリオンを見た。リベリオンの冷たい瞳は変わらない。だが、口端がニヤリと上がった。

「トランセル伯だった頃の悪事を暴いたのです。このまま何事もなく1年が経てば、出すつもりはありませんでしたが····ライアンが欲張りすぎました」


今の口ぶりだと、ライアンがカリナを狙ったから公爵の地位を取り上げたように聞こえる。トランセル伯の不祥事と言えど、元アストレイア公爵の悪評と言うことになる。

(公爵家にとって益ではないのに、リベリオンが私のために?)


「さぁ、もう休んでください。午後から家門会議を開く予定です。出席されますか?」

リベリオンは立ち上がった。

カリナがリベリオンを見ると、やはり冷ややかな眼をしている。

(考えすぎかしら)

「出席するわ」

「分かりました」

リベリオンを礼をして出ていった。






❋❋❋❋❋


「獣舎に居たのはリベリオン様でした」

「そうだったの?」

エナがゆっくりとカリナにお湯をかけながら言った。

「お嬢様の事を説明すると、すぐに森に向かわれました。間に合って本当に良かったです」


リベリオンが部屋を出てすぐ、エナがお風呂の用意をしてくれた。冷え切った身体が芯から温まる。


「叔父様はどうしているの?」

「トランセル伯爵様は、今日はお見かけしておりません。お部屋に引きこもっているようです」


カリナもこの数年、別邸で遊んでいた訳ではない。独自のルートで叔父を見張っていたし、過去についても調べていた。

自分では暴く事が出来なかった叔父の弱点を、リベリオンは自分の力で見つけ出したのだ。


(ーー立派になったのね)

「ーふぅ」

カリナは小さなため息をついた。

もうずっと前から、自分に出来ることなどなかったのだ。


「お嬢様、やはり顔色がよくありません。家門会議はお休みになっては?」



身体は暖まったが、頭痛と倦怠感を感じる。

「いいえ。リベリオンが当主になって初めての家門会議だもの」


それに、リベリオンに聞きたいこともある。自分の処遇だ。このまま公女として居続けることが出来るのか。

(そうなると、私が役に立てるのは婚姻のみ。でもアストレイアの血筋ではない私を、娶ろうという高位貴族はいないわ····)

どうあっても、リベリオンの邪魔にはなりたくない。





❋❋❋❋❋❋❋



早めに支度が終わり、会議のある本邸に来た。

「お嬢様、無理をなさらないでくださいね」

「ええ。分かってるわ。先に父の書斎によってから行きましょう」


父がまだ当主だった頃に使っていた書斎は、大公が使用するには質素だったのか叔父はこの書斎を使わなかった。

(お父様、リベリオンが当主になります)



書斎の前まで来ると、扉が開いていた。

(リベリオンの声だわ。ここに居たのね)


「どうしてですか!?」

ラミエルの切羽詰まった声に、カリナはノックしようとした手を止めた。


リベリオンの低い声。

「ラミエル卿、声が大きいぞ」

「ご冗談でしょう?公女様を除籍するなど」


カリナは心臓を鷲掴みにされた気分だった。

(ーーーー除籍····)


書斎に無情な声が響いた。

「冗談ではない。姉上をアストレイアから除籍する」


頭のどこかで、覚悟していたことだった。でも、可能性は低いと思っていた。

(そうなのね。リベリオン。私は貴方の役に立てないのだわ)

しかしカリナの目的はリベリオンを立派なアストレイアの当主に。誰も侮ることの出来ない大公にすることだった。その夢は叶うだろう。


「お嬢様!」

エナが叫ぶ。頭痛と倦怠感、更に吐き気まで加わり、視界がぐらりと揺れた。カリナはエナの叫びをどこか遠い所で聞いた気がした。そのまま意識が途切れてしまった。




❋❋❋❋❋❋❋


雪の中、小さなカリナは凍えていた。

ここまでどうやって来たのか覚えてないが、もう足先も指先も感覚がない。


「お父様!ここに女の子がいます!」

顔を上げると、大きな紫の瞳がこちらを見ている。


カリナは、両親に言われたように持っていた紙を見せた。グレイグ大公はカリナの手から受け取った紙を眺めると、カリナの頭をポンと撫でた。


「ご両親は君を泣く泣く手放したのだね。アストレイアが枯れた地であるばかりに。領主として申し訳ない····」


それから、カリナは大公家の養子になった。

大公から、「リベリオンの姉さまだよ」と説明されると、リベリオンは嬉しそうに何度も「姉さま」と呼んだ。


ーそう、私を見つけてくれたのはリベリオンだった。







目を開けると、知らない天井だ。

(私は倒れたのね。本邸の部屋かしら)

ぼんやり考えていると、すぐ側で声がした。


「起きましたか?」

視線だけ向けると、ベッドの隣の椅子にリベリオンが座っている。暗くてよく見えないが、紫暗の瞳はやはり冷ややかだ。


「会議は?」

「終わりました」

聞き慣れない低めの声に、カリナはぽつりと言った。

「もう姉さまと呼んでくれないのね···」


リベリオンは目を見開き、小さな動揺を見せた。そして顔をゆがめて言った。

「ご冗談を。姉上と呼びたくもありませんでした」


ぽっかりと胸に穴が空いた気分だ。胸が痛い。

「そう····そうなのね」

ぽろり、ぽろりと涙が流れた。いつぶりの涙だろう。お父様が亡くなられた時も泣かなかったのに。


久しぶりに出る涙は留まらず、視界があっという間に歪んだ。


「姉上、何故泣くのです?」

「何故って···弟に捨てられたからだわ。私を除籍したのでしょう?」


リベリオンの手がカリナの頬に伸び、涙を拭った。

「泣きたいのは私の方です。私を弟だと言うのはおやめください」


除籍した途端、弟と呼ぶことも許さないとは。そこまで疎まれていたとは思わなかった。

カリナの留まらない涙に、リベリオンはもう片方の手で拭うと、目元にキスをした。


カリナはあまりのことに涙が止まった。

「姉上、私の事を弟としか見ていなかったのは知っています。ですがこれからは男として見ていただきたいのです」


カリナは開いた口が塞がらない。あっけにとられてリベリオンを見た。紫暗の瞳に、冷ややかさではなく熱が籠もっている。


「う、嘘でしょう?」

到底信じられるものではない。

「なぜ嘘だと思うのです?」

ベッドに座ったまま、後ずさるカリナにしれっと言いながらも、逃がすまいとリベリオンは手を握ってきた。

「だって貴方、最近では私を見る目がずっと冷たかったじゃない。とても好意を持たれてると思えないわ。怖かったもの」 

カリナは言いながら、またポロポロと涙が流れた。

(そうだ。ずっと怖かった。嫌われたと思っていたから)


「ふむ。目が冷たい···というのは理解しかねますが、最近では姉上を見る時は常に冷静でいるように心掛けていたからでしょうか」

「え、えぇ?」


慌てるカリナをリベリオンの視線は逃さない。


「それと私の視線が怖かったと?それは仕方ありません」

「どうして?」

「貴方を狙っている男の視線ですから」


そう言って微笑んだリベリオンの瞳は、驚くほど綺麗に澄んでいた。





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