或る大人たちのディレールメント
12年前の夏、小さな島で3人の少年が行方不明になるという不可解な事件が起きた。
彼らは友達同士で、高校受験を控えた夏休みに田舎の離島で合宿を行っていた。初日は宿にチェックインした後、日中に観光を行い夜に戻って勉強をする予定だったそうだが――――結局その日宿には戻らず、3人揃って忽然と姿を消してしまったという。
人口6000人程度の小さい島とあって監視カメラなどなく警官も少数。有志を募って大規模な捜索が行われたが発見には至らなかった。
過疎化が進む離島でこのような怪事件の発生は極めて異例。当時は島内だけでなく全国でもちょっとした話題になり、島民による何らかの隠蔽工作から神隠しまで様々な噂が飛び交う事態となった。
しかし12年も経てば、幾らセンセーショナルな事件でも風化するもの。島内ですら誰も話題にすることはなくなってしまった。
「……それを今更掘り起こして、一体どうするつもりなんですか?」
かつて少年たちが泊まる予定だった宿は、今も健在。とはいえ人口の少ない島で長年にわたって宿を維持し続けるのは困難で、台風被害でヒビが入った窓は瞬間接着剤とテープで補修するのが精一杯だし、開業時には目玉だったマッサージチェアは老朽化でほとんど動かなくなりそのまま放置されている。
宿の主人の顔も明らかに冴えない。もっともそれは、先ほど応接室を訪れ不貞不貞しい態度で対峙する銀縁眼鏡の若者のせいだが。
「別に事件を嗅ぎ回ったりしてる訳じゃないんですよ。少しだけ協力して貰えれば、相応の見返りは保証しますんで」
彼――――Tommyはチャンネル登録者数9万6000人を誇る20代の動画配信者。日頃から人気動画ばかりを観ている者からすれば大したことのない数字に思えるが、実は10万人を超えているのは全体の0.3~0.4%程度で、それに近い数のフォロワーを抱える彼は立派な人気配信者だ。
ただし10万人を超えているかいないかの差は非常に大きい。そして彼はもう2年以上、その壁を超えることが出来ずにいる。飄々とした顔の裏で、彼もまた必死だった。
「僕は別に事件の真相が知りたい訳じゃない。12年前の失踪事件をネットミーム……要するにネットのオモチャにしたいんです」
「……は?」
「未解決事件の常連にしたいんですよ。トイレの中で男が死んでたやつとか、洞窟の地底湖で溺れて行方不明になったやつとか。知ってるでしょ?」
無礼な口の利き方をする若者に対し、宿の主人は嘆息したい心の内を必死に隠していた。
「一応は。でも、もっと有名なのもあるでしょう?」
「ありますね。けどドラマや映画になるようなガチなやつじゃダメなんですよ。ちょっとショボいくらいのやつがいいんです。悲劇性と滑稽さのバランス。わかりますか?」
「……」
仮にも人が死んだりいなくなったりしている事件を『ショボい』と表現する人物に、好感など持てる筈もない。何より人気配信者という肩書きも、田舎宿の主人にとってはピンとこない。
話をここで打ち切ることもできた。だが主人は席を立つことなく彼の話を待った。
「毎年に夏になるとネットで懐かしがられるような定番の事件になれば、検証のために余所から物好きが何人も泊まりに来ますよ。勿論、僕も検証動画を出します。事件がバズれば僕も得するし島の観光資源になる。誰も損しない。得しかない」
それは、苦慮が続く宿の経営にとって一筋の光――――とはならない。決してそうはならない。それがわかっていても、宿の主人は前のめりにならざるを得ない。
それくらい、田舎の宿には起爆剤が存在しない。ただ朽ち果てていくのみ。
彼もまた、刺激を欲していた。
「……だが、子供が犠牲になった事件を面白おかしく取り上げるのは倫理的にどうなんだ」
「それ以上に風化はよくないでしょ? 子供が3人も犠牲になったからこそ、ちゃんと未来のための戒めにしないと。ここにとっては何の関係もない、ただ『被害者たちが泊まる予定だった宿』な訳だから風評被害の心配もない。メリットしかないんですよ」
毎日同じ従業員、同じ島民と顔を合わせて生活している宿の主人にとって、尊大な態度で淀みなく喋る若者はそれだけで刺激的だった。
苛立ちと共に湧き上がるのは、己の若かりし日々。
あの頃、怖いものは何もなかった。
宿の開業も、多くの反対を押し切って強引に実行した。
「わかった。協力しよう。だが法に触れるような嘘は……」
「そんなことは望んでいないし、僕だってやりませんよ。ただ配信ってのは基本、最初に多少大袈裟にブチかますんです。煽らなきゃ人は集まらない。客商売やってるんだから知ってるでしょ?」
「まあな」
12年前、3人の少年が行方不明になった事件。
これだけではインパクトはない。
だが例えば『その少年たちの足取りを追った結果、閉山した炭鉱が見つかった』『そのトンネルの中には不気味なトロッコがあった』『昔、その炭鉱では事故があって大勢の人が亡くなった』といった興味深い事実が次々と明らかになったら?
勿論、これらは事実だが少年たちと関係があるかどうかは客観的見地から見れば不明。足取りを追った結果見つけたからといって、関係性があると断定する根拠は何処にもない。
関係あるかもしれない。ないかもしれない。その曖昧さが人を引き付ける。生死の確率50%の猫がいつまでも生き続けているように。
「……一応これでも町長に物言える立場だ。そっちにも話は通しておこう」
「ありがとうございます」
「こういうことを日本各地でやってるのか?」
動画配信に明るくない主人が尋ねると、Tommyはニヤケ面をしたままカメラ目線で頷いた。
その後、彼の思惑は見事に的中。『トンネル内で一酸化炭素中毒によって死亡した少年たちを島民が隠した』という陰謀論を連呼する捨てアカの投稿がバズり、迷惑系と称される動画配信者が大勢その島に押しかけ、それに激怒する島民たちの動画が更にバズるという連鎖反応が起こったことで話題となり、『Tommyワールドチャンネル』の登録者数も待望の10万人を突破した。
一方で島の方は知名度こそ飛躍的に上昇したが、治安は急激に悪化。マナーの悪い訪問者がゴミを投げ捨て、無許可での撮影を繰り返し、65歳以上の老人が半数近くを占める島民の生活はかき乱されてしまった。
『事件を風化させないため』という大義名分で協力した町役場の肩身も狭くなり、我慢できなくなった町長は定例会本会議の席で『12年前のあの事件は島民には関係ない』と発言。それがネットで取り上げられ炎上し、島のイメージが悪化する最悪の事態となった。
「最悪の事態になったな。陽輝」
町長室の窓から燦々と照りつける太陽を恨めしげに睨みながら、町長は苦笑を浮かべている。
彼は現在、ある意味では時の人だ。つい先日まで大半の日本人が知らなかった島の町長に過ぎなかったが、今や世間から大バッシングを浴びせられる有名人になっていた。
「当然でしょう。余所から来た子供の失踪を『関係ない』と言えば、それが12年前だろうと炎上します。当然の結果です」
「だな。目に見えていた。おかげで俺はあっという間に日本中の嫌われ者だ」
「余り自惚れないで下さいね。こんな炎上、三日も経てば飽きられますから」
「じゃなきゃ困るんだよ。三年後も嫌われ者のままだったら人生終了だ。まあ……今更だけどな」
力なく笑い、町長は窓際から離れテレビを付ける。ちょうど民放でワイドショーが放送されている時間とあって、彼の発言が繰り返し取り上げられコメンテーターたちから袋叩きに遭っていた。
「Tommyも上手くやったよな。こういうことに慣れてるんだって? あいつ」
「ええ。随分と横柄でしたけど、そうなるだけの理由もあるんでしょうね。私には全くわからない世界ですけど」
「俺もついていけねぇよ。今の世の中には」
リモコンでテレビを消し、町長は乱暴に身体を椅子へと投げ出す。軋む音が耳障りだったが、それも慣れたものだった。
「ここからが勝負ですよ」
陽輝と呼ばれた男が真剣な眼差しで口元を引き締める。その精悍な顔立ちは、彼が歩んできた決して平坦ではない人生の縮図だった。
「タイミングを見誤ったら島も町長も一巻の終わり。これだけの騒ぎになりましたからね。もう打つ手はありません」
「いいじゃねぇか。元々生きてるのか死んでるのかさえわからないような存在なんだ、俺たちは。だったら賭けに出るしかない。そうだろ?」
町長は笑う。その笑みもまた、苦難に満ちた人生を反映するかのように野暮ったい。
「ゆっくりと朽ち果てていくのも、選択肢の一つだと思いますけどね」
「そんな考えの奴に限って早死にするんだよ」
「確かに」
陽輝は遠くを見つめながら目を瞑る。瞼で視界は閉ざされても、見えていたものは消えない。
今も尚、焼き付いたままだ。
けれどもそれはタップ一つで切り替える。
「……いずれは潰れるにしても、せめて窓くらいは直しておかないとな」
「そのためにも対応よろしく」
「了解。町長」
そんなやり取りの数日後――――彼らの住む島に有名週刊誌の記者が訪れた。
【週刊誌の報道について】
「……えー、日頃から応援して下さっているファンの皆様に御心配をおかけしまいて、本当に申し訳ございませんでした……。今回の報道で不快な思いをさせてしまった方々にも、お詫び申し上げます……。今回の件、非常に軽率だったと深く反省しております。経緯をできるだけ省略せずにご説明して記録に残すことで、今後の自分の戒めとさせて頂きたいと考えこの動画を撮影しました。事の発端は――――」
Tommyワールドチャンネルにアップされた謝罪動画は、僅か1日で200万再生を突破。しかしその動画が以降も再生数を大きく伸ばすことはなかった。
理由は三つ。まず謝罪動画自体が話題性に特化した動画であること。繰り返し閲覧するような内容ではないのだから伸びなくて当然だ。
次に動画の長さ。謝罪動画を見ようとする人の大半は興味本位なのだから、視聴時間が長いほど飽きて見る気をなくす。1~2分、長くても3分程度を想定している視聴者が大半だと思われ、それ以上だと敬遠されるだろう。
だがTommyの謝罪動画は10分を超えている。これでは伸びなくて当然だ。
そして三つめ。
世間の関心が別の動画に移ったからだ。
「12年前、久遠島という人口6000人程度の小さな島を訪れた3人の中学生は夕方の6時頃、長く伸びたレールを発見しました。その島には駅などなく、じゃあ何のためのレールなんだと疑問に思った子供たちは……」
謝罪動画の内容は極めて具体的だった。余りに具体的すぎた。聞き込み調査程度で把握できる範疇を明らかに逸脱していた。
まるで当事者が昔話をするかのように、彼は動画内で細部まで失踪事件の模様を赤裸々に説明した。
「〈送迎用車両〉と書かれたトロッコに乗って、彼らは炭鉱のトンネルの中を突き進みました。それから先のことは誰にもわかりません。これが僕の知っている全てです。あの島にも、これ以上の答えはありません。もう……終わった話です」
その後、動画は週刊誌によって暴露された内容への謝罪に終始する。
まずは記事の内容が早口で語られる。
Tommyと名乗る若い配信者が久遠島を訪れ、12年前の事件を『ネットミームにしたい』と訴え、宿の主人に協力を呼び掛けたこと。その主人が町長にも働きかけると示唆したこと。
それらの音声テープが編集部に存在すること。
つまり、島外の少年3人が行方不明になった痛ましい事件を自分たちの売名行為に利用するという悪魔の所業を、Tommyと島民が結託して計画した証拠が存在する――――そういった文章だった。
町長が先の会議で『あの事件は島民とは無関係』と発言したことも併せ、週刊誌は町長とTommyを糾弾する論調に終始していた。
事前にネット上で話題になっていた上、『田舎の離島と人気配信者が結託した陰謀』というミスマッチ感もあり、幅広い世代の関心を生むだろうと期待されての掲載だったに違いない。正義感に溢れる人々の行き場のない怒りの鉄槌を受け止めるサンドバッグになれば、記事の価値としては十分だ。
しかしTommyの謝罪動画によって事態は一変する。
――――もしかしたら彼は、事件の当事者なのではないか?
SNSを中心にそのような推察が飛び交い、数多の配信者によって無数の検証動画が作られた。何しろ彼は事件に詳しすぎた。Tommy本人がその件について一切触れなかったのも憶測に拍車をかけた。
もし彼が本当に失踪した本人なら、どうしてわざわざ事件を掘り起こしたのか?
当事者だから売名行為に利用しても倫理的に問題ないと思ったから?
他の2人は? 彼が殺して埋めた? いやそんな訳がない。だったら理由は? 動機は?
人は自分が見たいものを見る。表と裏なら裏を見るし、裏がなくてもあると勝手に解釈する。そこに自身のリスクがなければ尚更だ。
結果、憶測が更なる憶測を呼び、風化した筈の12年前の失踪事件は彼の思惑通り『ネットのオモチャ』として多くの人々の暇を入念に潰して回った。
一方で、久遠島を訪れる迷惑配信者は激減。彼らの目的はあくまで島の住民を悪者もしくは笑い者にすることであって、世間の注目がTommyに向いた今となっては興味の対象外だった。
その代わり、12年前の事件について真剣に考察する人や今回の一件で島の存在を知った純粋な観光客が訪れ、長らく下落の一途を辿っていた宿泊客実数が僅かに上向いたことから町長の支持も上昇。以前の失言が島内で問題視されることはなかった。
こうして、久遠島を巡る一連の騒動はTommyの宣言通りに収束した。
「あれって本当に失言だったんですか?」
出張先のホテルで偶然知り合ったTommyのファンにそう問われ、町長は思わず口元を綻ばせる。
「いや、別に陰謀論とかが好きな訳じゃないんですけど、田舎町の会議の音声データが流出するってのも違和感あったし……もしかしたらわざと言ったんじゃないかって」
「炎上商法とでも?」
「あっいえ! でもちょっと『島民』って言い方が引っかかってて。『私たち』とか『我々』ならわかるんですけど。なんか他人事みたいな印象を受けて……」
「ただの事実ですよ。あの未解決事件は島民には関係なかった。それだけです」
加害者はいない。行方不明者は島外の少年のみ。
詳しい捜査は行われず、発見にも至っていない。当然、捜査は既に打ち切られている。よって誰も解決などしていない。
町長の言葉は事実だった。
「ですよね。すみません長々と。町長さんがこんなにお若いとは思わなくて、つい……Tommyさんと同年代じゃないですか?」
行方不明になり、その後誰にも発見されなかった島外の人物が無事だったかどうかなど、島民には一切関係ない話。
そして彼らが何処で何をしているかは――――
「さあ。どうでしょうね」
本人の自由だ。




