井戸の底で、笑い声が返ってくる
掲載日:2025/07/10
その村には、古い言い伝えがあった。
「あの井戸は、覗くと笑われる」
私は、都会から越してきたばかりの中学生。
祖母の家の裏手にある、蓋つきの井戸がそれだった。
「何があるの?」と聞いても、祖母は笑ってはぐらかす。
地元の子たちも「見た人は、変になる」なんて話すだけ。
夏のある夜、蝉の声がやんだあと。
私はひとりで、井戸を見に行った。
蓋は簡単に開いた。
覗き込むと、冷たい空気が顔に触れた。
深い、深い闇。
耳を澄ますと、水の滴る音が聞こえる。
そして――
「……くくっ」
何かが、笑った。
私は慌てて蓋を閉じた。
家に戻っても、胸の鼓動が止まらない。
翌朝。目を覚ますと、母が不思議そうに言った。
「昨日、ずっと笑ってたでしょ?」
「笑ってないよ」
「だって夜中じゅう、部屋から声がしてた。
……あんたの声で、ずっとくすくす笑ってた」
それから、私の影が笑うようになった。
動かないはずの影が、口元だけわずかに動いている。
笑っている。
三日後。再び井戸を覗いた。
私は確かめたかった。自分の中に何が起きているのか。
すると今度は、井戸の底に“私”がいた。
水面に、にやりと笑う自分の顔。
いや、水じゃない。底に立っているのだ。
そしてこう言った。
「今度は、こっちから行くね」




