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狼は獲物を逃さない

作者: 砂虎


取調室の扉が開いた時、ジャック・ターナーは意外な入室者にわずかな驚きを見せた。


「パトリック警部。どうしてあなたが?」


「身内の恥は身内で片付ける。狼の誇りにかけてな」


「重大犯罪の容疑者が同僚の場合は別の署の人間が捜査と取り調べを担当する決まりですよ。

 捜査が公平かつ適正なものであっても市民やマスコミは警察が身内の罪を隠蔽したと騒ぐ」


「それがお前の狙いだろうジャック。

 近隣署から派遣されてくるぼんくら相手ならいくらでも言い逃れが出来ると思っている。

 だがそうはいかん。上司としてお前は俺が絶対に仕留める」


「狼は獲物を逃さない、ですか。これは正式な取り調べ?」


「違う。だがお前があくまで無実を主張するならばウルフズの一員として堂々と聴取に応じろ」


「……分かりました。リーダーのお手並み拝見といきましょう」


パトリックはジャックの平静な態度に内心感嘆の念を隠せなかった。

パトリック自身も過去に被害者宅にあった現金と宝石を盗んだ疑いで捜査を受けた経験があったが

無実であるにも関わらず厳しい追求ともし有罪になったらという不安から

疑惑が晴れるまでの間にストレスで満足に食事も出来ず5キロも痩せてしまった。

はたして自分はこの怪物から真実を聞き出すことが出来るだろうか?


「7月16日、マンションの住人が向かいのアパートのバルコニーで人が倒れているのを発見し通報した。

 被害者は弁護士のマリィ・スミス32歳。現場は被害者の自宅でドアに鍵はかかっておらず壊された形跡もなし。

 死因は絞殺、凶器は発見されていない。

 部屋のテーブルからはウィスキーの入ったグラスが2つ。

 片方からは被害者の指紋が、そしてもう片方のグラスからはお前の指紋が検出された。

 俺はその事実を共有しない状態でお前に過去にマリィの部屋を訪れたことがあるか尋ねた。

 そこでお前はいいえと答えた。間違いないな」


「間違いありません。それで僕を捜査チームから外した?」


「そうだ」


「その対応は少し早急すぎませんか?僕が現場検証中にあやまって素手でグラスを触った可能性もある。

 普通に考えたらその可能性が一番高い」


「だがお前は現場検証中に手袋を外した記憶もグラスに触った覚えもないんだろう?

 指紋が検出されたことを伝える前に確認したぞ」


「そうですね。ですが無意識の行動で忘れているという可能性は否定できない」


「苦しい言い訳だな」


「言い訳をした覚えはありません」


「そうだな。お前は指紋の件を伝えられてからこれまでずっと黙秘を続けてきた」


「警部に説明するまでもありませんが黙秘権は全ての市民に認められている正当な権利ですよ」


「そのとおり。しかし警察官が自身の容疑について黙秘を貫くなら警察としては黒の疑いが強いと判断するのも仕方のないことだな。

 潔白ならば自分の口でそれを語り無実を証明できるはずだ」


「それについては反論の余地がありますね。

 警部はご自身が過去に疑われた時自分はやっていないと反論したはず。それで捜査官は納得して容疑は晴れましたか?

 そうはならなかった。あなたの疑いが晴れたのは窃盗した真犯人が別件で逮捕され自白したからです」


「……随分と昔の話を知っているな。調べたのか?」


「上司や同僚について知っておくのは無駄になりません。いざという時の取引にも使える」


「覚えておけジャック。お前が誰のどんなネタを掴んでいようと俺は絶対に取引をしない」


「もし僕の掴んでいるネタがあなたより階級が上の人間でも?」


「それが本部長だろうと市長だろうとだ」


「なるほど頼もしいですね。市民はあなたが殺人課を率いていることを感謝するべきだ」


「戯言はいい。ジャック、俺はな、指紋が検出される前、部屋に入った瞬間から分かっていたんだ。この事件には何かあるとな」


「刑事の直感というやつですか」


「そうだ。馬鹿げていると思うか?

 俺はお前のように政治家の息子に生まれてアイビーリーグを卒業したようなエリートじゃない。

 水商売で働くお袋に育てられ高校卒業後は金のために陸軍へ。戦地へも行った。

 そして戻ってからはずっと警察で働き続けてきた。刑事になったのは18年前。

 失敗も山程してきたがそのたびに学び嗅覚を磨いてきた。

 俺の直感は本物だ。だからこそ今俺はこの地位にいる。舐めるんじゃない若造」


「舐めてなどいませんよ。話の続きをどうぞ」


「ふん……お前は被害者のマリィとの間にトラブルを抱えていた」


「その表現には語弊がありますね」


「過去に担当した事件の再審請求はトラブルではないと?」


「警部、警察官が訴えられるのなんてこの訴訟まみれの国では珍しいことじゃないでしょう。

 僕にしても裁判を起こされたのはこれが初めてという訳じゃない」


「タイミングが悪かった」


「タイミング?」


「そうだ。アカデミーを卒業して2年目で異例の刑事抜擢。

 親のコネ、依怙贔屓と盛大に批判されたがお前はその抜擢が間違いでないことを証明し続けた。

 まだ7年目だというのに解決した事件は既に18年目の俺を超える若き天才捜査官。

 来年にはお前をモデルにしたドラマが放映されるそうだな」


「世間で注目されている時に再審請求を起こされては格好のスキャンダルになる。だから殺したと?」


「違うのか」


「馬鹿げていますね。再審請求の主体は弁護士ではなく逮捕された犯人によるものです。

 弁護士を殺したところで別の弁護士が雇われて裁判は続く」


「理屈はそうでも感情が納得するとは限らない。

 お前も刑事ならそれが十分に分かっているはずだ」


「そうですね。人間は感情に支配され馬鹿げた犯罪を衝動的に起こす。それは認めましょう」


「死亡推定時刻のアリバイもお前にはない」


「死亡推定時刻は午前0時から午前2時。一人暮らしの独身警官なら家で寝てる時間ですよ。

 付近の監視カメラに僕の姿はありましたか?」


「ない。しかし被害者は弁護士だが奨学金の返済のために家賃の安い郊外に住んでいた。

 監視カメラの数は少なくセキュリティに精通する警察官ならカメラの死角を通って出入りするのは難しくない」


「先入観というのは厄介なものですね」


「何?」


「警部は僕が犯人であることを前提に事件を考えている。

 だから僕に不利な情報を重大視し有利な情報は無視してしまう。

 直感型捜査の欠点です。何かが怪しいことは分かっても何が怪しいのか言語化できないので

 真犯人の用意したミスリードのエサに飛びついてしまう。

 フラットな視点で事件を見ればおかしな点がいくつも見つかるはずですよ」


パトリックは舌を慣らして真っ直ぐにジャックを見据える。


「面白い。天才捜査官殿の御高説をうかがおうじゃないか」


「最初の疑問はなぜバルコニーに死体があったのかということです」


「犯人は酔った被害者を夜風に当たろうとでも言ってバルコニーへと連れ出し後ろから絞殺した。

 別に不思議でも何でもない」


「仮に殺害するのにバルコニーへ出る必要があったとしてもそれを放置するのはおかしいでしょう。

 誰が殺したのであれ30秒とかからず部屋の中へ死体を隠せるのに。

 夜中とはいえ人目につくところに死体を放置したままでは逃走前に発見、通報される危険もある。

 あまりにリスキーな行動です」


「お前はその行動に説明をつけることが出来るのか?」


「犯人はすぐに死体を見つけてもらう必要があったんでしょう」


「何?」


「おそらくはアリバイ工作。

 犯行日は金曜なので室内に隠しては月曜に出勤して来ないのを不審に思った同僚が通報してようやく発見。

 通報が遅れればさらに数日事件が発覚しない可能性もある。

 そうなれば死亡推定時刻の正確な割り出しは困難になりアリバイを作って容疑者リストから外れることが出来ない」

 

「………続けろ」


「2つ目の疑問はグラスの違いです」


「違い?」


「被害者の自宅にあったグラスは四つ揃えのものばかりでした。

 そういう家なら来客に酒を出す際は同じグラスを使うのが普通でしょう?

 でも現場にあった僕の指紋がついたグラスと被害者のグラスは別のデザインで

 しかも僕のグラスと同じものは現場に1つもなかった」


「グラスは犯人が偽装工作のために置いたものだと言いたいのか」


「やろうと思えば難しいことではありません。

 僕を尾行して同じ飲食店に入り店員が片付けるまでの間にグラスを回収するだけでいい」


「……可能性は否定しない。だがお前の説もフラットな視点からのものとは言い難いな。

 私がお前を犯人を前提として捜査しているというならば

 お前は自分が犯人でない前提で論理を組み立てている。

 実際にお前の指紋がついたグラスを盗んでいる映像でもあれば話は別だが」


「それは流石に。実際に盗まれた飲食店を特定できたとしても

 監視カメラの設置位置はレジ横と出入り口だけのところが多い。

 証拠映像の発見は現実的ではありませんね。ただ別の反証は可能です」

 

「別の反証だと?何だそれは」


「実は僕には犯行時刻のアリバイがあります」


「何だと!?」


「その時刻、僕はFBIのロイ捜査官とビデオチャットで事件の情報交換をしていました。

 死亡推定時刻を完璧にカバーするものではありませんが証言と通信記録があれば

 仮に裁判になったとしても判決は無罪でしょうね」


「どうして黙っていた!!」


「二つの可能性です」


「二つの可能性?いったい何を言っているんだジャック」


「僕が現場に到着した時、既にあなたを含めて多くの警察官が現場検証を始めていました。

 だから僕は捜査が始まる前の現場を確認していない。

 指紋のついたグラスが警察が入る前に置かれていたならいい。

 だがもしも警察が入った後に置かれたとしたら?」


「そんな馬鹿な!?」


「警察官が殺人を犯したことを想定するのに

 警察官が偽装工作したことは想定しないのですか?」


「なぜ!!理由がない!!」


「さきほど警部がおっしゃったでしょう?

 僕は異例の抜擢を受けた若手刑事、就任後は結果を出し続け実績は既にベテラン以上。

 圧倒的な実力から表向きに批判は出来ないが内心気に入らないと思っている人間は多いでしょうね。

 それにいつの時代も警官は被害者意識を抱いている。

 毎日過酷な業務をこなしているのに給料は安く世間からは冷たい視線を向けられる。

 だったら見返りにちょっと頼まれごとをこなしてボーナスを稼いでも罰は当たらないってね」


「……信じられん。現職の刑事が殺人犯となれば警察全体が攻撃されるのは明らかだ。

 そこまでの馬鹿をやる人間がいるとは思えん」


「人間は感情に支配され馬鹿げた犯罪を衝動的に起こす。そうでしょう?」


「………。お前が最初に黙秘したのは署内の仲間を疑っていたからか。この俺も含めて」


「予想外の攻撃を受けた時に闇雲に突撃するのは愚か者のやることです。

 まずは身を潜め状況を把握するというのが僕の流儀でして」


「ではどうして今俺の聴取に応じている。

 ここまでの話で俺が偽装工作をした犯人でないという証拠は出ていない」


「刑事の直感ですよ」


「ジャック!!真面目に答えろっ!!」


「冗談を言ってるつもりはありません。

 捜査チームを外された僕が署内の人間が白か黒か100%確定させるのは不可能です。

 論理の怪物だの天才捜査官などと言われていますが僕だって直感に頼りながら捜査しているんですよ。

 若輩なりに挫折と失敗を繰り返しそのたびに学び磨いてきた嗅覚でね。

 その直感が告げているんです。あなたは僕が嫌いだが今回の事件には関わっていないと」


「間違っているなジャック」


「え?」


「俺はお前が嫌いではない。大嫌いだ」


「それは残念です」


「本当に警察官が偽装工作をしたのか?」


「まだ何とも。単純に真犯人が殺害後にグラスを置いた可能性も十分あります。

 ただ警察官を偽装工作に協力させるメリットは大きい」


「俺にはリスクが大きすぎると思うが」


「グラスの指紋が僕のものだと知っていたかどうかに関係なく協力した時点でその警官はもう真犯人には逆らえない。

 身内意識の強い警察で同僚をハメようとしたと知られたら身の破滅ですからね。

 これから先も警察内部の情報を探るのに便利な道具を得られる」


「確かにな」


「いずれにせよ犯人は致命的なミスを犯しました」


「致命的なミス?」


「偽装工作に僕の指紋を使ったことですよ。

 ただ殺して逃げていれば捜査は難航していたかもしれない。

 弁護士に恨みを抱く人間は大勢いますからね。仕事とは関係ないプライベートの怨恨かもしれない。

 だがグラスの偽装工作とバルコニーに死体を放置したことで全ては変わった。

 真犯人はマリィ弁護士と僕の両方に恨みを持ち

 アリバイ工作の必要を感じるくらい容疑がかかる自覚のある人間。相当に数は絞れるでしょう。

 警察官かギャングの可能性が高いのは気がかりではありますが………」


「関係ないな。誰が犯人であろうが必ず捕まえる」


毅然としたパトリックの声にジャックも頷く。

二人は拳を合わせ声を揃えて殺人課の誓いの言葉を復唱する。


「狼は獲物を逃さない」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 刑事二人共魅力的! [一言] ラストで、パトリックとジャックの信念が伝わってきて興奮しました! 刑事ドラマを見ているようで面白かったです!!
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