40話 母の記憶と悪女
五歳位の黒髪の美少女と、金髪のスラッとした細身の美しい女性が手を繋いで林の中を歩いている
少女は嬉しそうに女性に笑顔を向けるが、女性の方はただ静かに前を向いている
『いい?貴方にはお母様が居る。だから我が侭を言って困らせないでね?』
女性は少女に目を向けるとそう言い聞かせ、女の子は素直にコクンと頷き『言わない。わがままを言って、困らせたりしない』そう約束する
『いい子ね、ヴィクトリア』
女性の顔はぼやけて見えないのだが、何となく満足そうに女の子に優しく微笑んでいるように感じる
(でも・・・それはお母様が居たから・・・お母様が居なくなったら?)
フッと深い眠りから目が覚めるヴィクトリアは(・・・?)見慣れない天井に(ここは何処?)と一瞬戸惑い、けれどすぐにルシフェルの両親の所へ泊りに来ている事を思い出す
(私・・・昨日はどうしたのかしら?)ズキンっと頭が少し痛み(何だか、凄く恥ずかしい事があった様な・・・)
起き上がり、昨日の事を思い出そうとしているとコンコンとノックがあり「はい」返事をすると、ルシフェルが入って来て、ヴィクトリアが起きていたのでホッと安心し「大丈夫か?」と尋ねてくれる
ヴィクトリアは少し頭痛がすると伝えると、ルシフェルは笑って
「それは二日酔いだな」
「・・・二日酔い?あっ!!」
ヴィクトリアは昨日ルシフェルと彼の両親とブランデーを飲んで、気分が悪くなった事を思い出す
ルシフェルはテーブルに置いてある水差しを持ち上げ、コップに水を入れるとヴィクトリアに「お水飲む?」と聞いてくれるので、ヴィクトリアは「ありがとう」とコップを受け取ろうとする
けれど、ルシフェルは左手に持っているコップの水をそのまま自分の口に含み、、右手でヴィクトリアの顎をクイッと上げ唇を重ねそのまま水を流し込むので、ヴィクトリアはコクンとその水を飲んでしまう
「これ、癖になるな」
ルシフェルは、衝撃を受けているヴィクトリアを見ながら笑う
「い・・・今の・・・なに?」
真っ赤になるヴィクトリアを(可愛い・・・)と思いながら「口移しで飲ませてあげたんだ」そう答え嬉しそうに「もっと飲ませてあげようか?」と、また水を口に入れるので「要らない、もう十分」慌てて断る
口移しで飲まされるなど当然初めての事で(昨日の事は覚えていない)ヴィクトリアはドキドキしながら口元を押さえ
(・・・ルシフェルは、一体どこでこういう事を覚えるのかしら?)
恥ずかしく思いながらも(もしかしたら他の女性と、こんな事をした事があるのかも?)そう考えズキンッと胸が痛む
(私が傷付くなんて・・・散々ルシフェルを傷付けて来てるのに・・・)
自分が傷付くのは間違っていると、心を痛めながら自分にそう言い聞かせる
「ヴィクトリア、そんなに嫌だったのか?」
口移しをされ不快に思ったのだろうか?と心配したルシフェルが、ヴィクトリアを抱きしめると
「ちょっとビックリしただけ・・・・着替えるわ」
傷付いた事を隠す様に笑顔を向け「着替えるから」と、ルシフェルに出て行って貰う
(・・・私が散々裏切って来たのよ。ルシフェルが他の女性と付き合ってたって、仕方がないわ)
今は自分を愛してくれているんだから、そう言い聞かせる
部屋を追い出されたルシフェルは、溜息を吐く
(口移しで飲まされるの、そんなに嫌なものなのか?)
ルシフェルもまた、ヴィクトリアに拒絶された気がして傷付く
薄い青色のワンピースにアクセントで白いベルトをして、虹色のネックレスを付け支度を整えるとルシフェルの部屋をノックする
ドアはすぐ開き「さっきはごめん」ルシフェルが謝ってきてキスをしてくるので、ヴィクトリアは「ルシフェルが謝る事じゃ・・・ただ、ビックリしただけだから」自分を愛しげに見つめてくる婚約者に笑い掛ける
(本当は女性関係が気になり傷付いているなんて、そんな事、ルシフェルに言える訳がない。ルシフェルがモテるのは判ってる事だし・・・私と婚約する前かもしれないし・・・)
「・・・下に行こうか」
少し不自然な笑顔を向けたヴィクトリアに、ルシフェルは彼女の腰に手を遣り寄り添い一階へと降りて行く
ルシフェルの両親はすでに食卓に着いていて、ヴィクトリアが現れると心配しながら顔色を確認し
「大丈夫か?まだ辛いなら無理をしなくて良いんだよ」
マイルが気を遣い、ソフィーも優しく「そうよ、今日はゆっくりと休んでいなさい」労わってくれるので、ヴィクトリアは恥ずかしそうに顔を赤くしながら「ご心配お掛けしました。でも、大丈夫です」と伝える
「海には二台の馬車で行く?」
ルシフェルが両親に尋ねると、二人はヴィクトリアが大丈夫ならと「そうだな。ケリーを連れて行くし、二台だな」マイルがそう答える
朝食を早く済ませ、ヴィクトリアはルシフェルと二人だけでドルトンの馬車に乗り、マイルとソフィーとケリーはアルバーの馬車に乗る
海に向う道中、ずっと外の景色を見ているヴィクトリアを「ヴィクトリア」ルシフェルが抱き寄せ
「俺に言いたい事があるなら、はっきり言ってくれないか?」
いつもと違い大人しくしているヴィクトリアに、ルシフェルがそう訴えて来るので、ヴィクトリアは顔を曇らせ「私は・・・別に・・・」ルシフェルの顔を見れずに俯く
「・・・口移しがそんなに嫌なら、そう言ってくれて良いんだ。二度としないから」
口移しがそんなに嫌がられるとは思っていなかったので、ルシフェルとしても傷付いている
「そうじゃないの・・・ただ・・・」
ルシフェルの女性関係を聞くのは間違っていると判っているので、どう話そうかと考え「ただ、なに?」両手でヴィクトリアの頬を挟み、グイッと自分の方へと向けさせルシフェルが尋ねる
『気持ち悪かった』何て言われたら正直傷付く処ではないが、ヴィクトリアの本音を知る為にも聞くしかないと覚悟するルシフェルに
「・・・別に、責めてる訳じゃないの。ただ・・・ああいう事を、他の女性ともしていたんだなって・・・思っただけ」
ヴィクトリアの返答に、不安な気持ちで傷付いていたルシフェルは予想外の思ってもいない言葉に驚く
(本当は言いたくなかったけど・・・ルシフェルも、私が嫌がってると思ってるみたいだし。私も、気にしてないっていう様に言えば・・・)
傷付いていない、平気だと・・・そういう態度を装うのはとても辛いが
「別に、気にしてないのよ。ただ、口移しが嫌だったとか、そう言うんじゃないから・・・」
(傷付いて無い、平気)
自分にも何度も言い聞かせヴィクトリアは笑って見せると、すぐに外の景色に目を向ける
そんな婚約者に、ルシフェルは優しく言い聞かせるよう
「確かに、ヴィクトリアと婚約する前は付き合ってたと言うか、仲良くしていた人は居たよ」
その言葉に、ズキンと胸を痛めるヴィクトリア
「でも、婚約した時に付き合いを止めたし、ヴィクトリアを愛してからは、ヴィクトリアしか見ていない。それは信じて」
ルシフェルは外を見ているヴィクトリアの顔を、もう一度自分の方に向けると泣きそうな彼女の目を見ながら
「今は俺達、お互いに愛し合っているんだから、過去の事は気にしないようにしよう」
ヴィクトリアの顔に近づき、優しく唇を重ねてくる
(それはきっと、悪女ヴィクトリアのして来た事を言ってくれているのよね?)
散々ルシフェルを傷付けて来た悪女ヴィクトリアの仕打ちに対し、過去は気にしないと言ってくれる彼の優しさに改めて嬉しく思う
海に着くまでヴィクトリアとルシフェルは仲睦まじく寄り添いながら、二人きりのデート気分で楽しむ
「今度、アニメラの婚約者が催す夜会があるんだけど、早く帰って来れそう?」
ルシフェルは忙しいので友人の夜会にもなかなか参加出来ずにいて、それは友人達も判ってくれているが、ヴィクトリアとしては数少ない交友の場に参加したいと思っている
なぜなら、伯爵主催の夜会の方がヴィクトリアには知り合いが多く居て安心するからなのだが、今のルシフェルが誘われる夜会は侯爵以上の爵位の夜会ばかり
「そうだな・・・いつなの?」
尋ねるルシフェルにヴィクトリアは「まだ日取りは決まってないの。決まり次第、招待状を送ってくれるって」そう答え、心配そうに
「・・・もし、無理なら、その日だけで良いの・・・私、一人で行っても良い?」
アニメラが婚約者を紹介する為に友人皆が集まるので、ヴィクトリアはどうしても行きたい
ルシフェルは一人でなど絶対に駄目だと言いたいが、ヴィクトリアの気持ちも判るので
「判った。何とか都合を付けるから、日程が判ったらすぐに教えて」
そう伝えると、ヴィクトリアは申し訳なさなさそうに「無理を言ってごめんなさい」ルシフェルに寄り添う
一時間以上馬車に揺られ、温かい風が気持ちよくヴィクトリアはルシフェルにもたれ掛りながら、ウトウトと目を閉じ気持ちよく眠りに落ちていく感覚の中、また母親の言葉が聞える
『我が侭を言ってはいけない、困らせてはいけない。貴方にはお母様が居るのだから、寂しいだなんて言って、お父様のお仕事の邪魔をしてはいけないのよ。でないと・・・・』
その瞬間、ビクッと身体を強張らせるヴィクトリアにルシフェルは「どうした?」と驚く
(今のは・・・また、お母様との記憶・・・・)
ヴィクトリアは嫌な胸騒ぎがする(どうしてまたお母様との思い出が・・?)ヴィクトリアは母の顔を思い出せない・・・それなのに言われた事だけは覚えている
(だって、何度も何度も同じ事を言われて来たんだもの)
その事を思い出すとヴィクトリアは心苦しくなる
「ヴィクトリア?どうした?」
顔色が悪い婚約者を心配するルシフェルに「大丈夫・・・何でもないわ」そう答え、不安を払拭する様に彼に抱きつき、母が言った最後の言葉を思い出す
(あれは、何て言った?邪魔をしたら・・・お父様に嫌われる?)
ズキンと、また胸が突き刺さる痛みを感じる
(邪魔をしたら、困らせたら、お父様に嫌われるの?)
母に言われ続けた言葉にヴィクトリアは、今のランドルと自分の関係を考える
(それって・・・もう、私は嫌われているって事?)
どうでも良いと思われているのでは?そんな不安が今まで感じなかったと言えば嘘になるが、まさか嫌われてはいないだろう・・・けれどそのどうでも良いは、好きではないと匹敵すると思う様になっているヴィクトリア
何故なら今の自分達、父と娘の関係はどうしても良好とは言えないと思っているから
「怖い夢でも見たのか?」
「・・・昔、子供の頃によく母に言われて来た事を・・・夢に見るの」
それを聞いて、ドキッとするルシフェル
「ヴィクトリア・・・・それって」
まさか、記憶が甦るんじゃないだろうな?と不安を抱くルシフェルに
「言われる度に、辛かったのを覚えているわ。どうして今、このタイミングであんな夢を見るのかしら?」
(あんな夢・・・お母様の夢なのに、辛い事しか言われなかったから・・・・)
母との思いでは常に幼い我が子に言い聞かせる、小言しかなかった気がするヴィクトリア
ヴィクトリアは、不安そうにしているルシフェルに訴える様に
「私、そんなにルシフェルを困らせてる?我が侭は・・・言ってるかもしれないけど・・・でも、私だって・・・気を付けてるわ!!」
本当は『私だって我慢してるわっ!!』そう叫びたかったが、それはルシフェルを困らせるだけだと言葉にしなかった
「・・・ヴィクトリアのお母さんは、いつも何て言うの?」
不安を拭えないルシフェルは、昨日、ヴィクトリアが眠りに落ちる時に聞いてきた言葉を思い出す
「・・・いつも忙しい父に対して、寂しいとか、我が侭を言っては駄目って言われたわ・・・だからお父様には、ずっと我が侭を言わないで、我慢して来たのよ!!」
ヴィクトリアのその言葉に、違和感を感じるルシフェル
(ちょっと待て?ランドルに我が侭を言わないで、我慢して来た?あのヴィクトリアが?)
確かに今のヴィクトリアならランドルに対して我が侭を言わず、我慢していると言えば納得するが、悪女ヴィクトリアは違う
彼女は我が侭放題、自分勝手に振舞って、あのランドルも手を焼き困らせていたのだから
(・・・どういう事だ?ヴィクトリアは今の自分の事を言っているのか?それとも過去もそうだったと言っているのか?)
ルシフェルは一抹の不安を感じる
(ヴィクトリアは・・・何時の話しをしているのだ?)と
ゴクンッと唾を飲み「・・・ヴィクトリア・・・それは何時の話しをしているんだ?」深刻そうに尋ね「えっ?」とヴィクトリアは驚いて
「子供の時の話しよ。だって、お母様との話しをしてるんだもの」
ヴィクトリアの母親は七歳の時に亡くなっているので、小言はその時か、それよりも前の出来事になる
ルシフェルはヴィクトリアの言った事に、違和感を感じてならない
(・・・今のヴィクトリアと、悪女ヴィクトリア。同一人物とは思えない程、性格が正反対の二人)
ずっとヴィクトリアは記憶を無くして性格が変わったと思って来たルシフェルだが、それにしては余りにも二人の性格は違い過ぎる
(ずっと不思議には思って来た。でも、それでも今のヴィクトリアを愛しているし、問題はないと思って来た)
ヴィクトリアの母との思い出の記憶・・・それはきっと、今のヴィクトリアの幼い記憶だろう
(じゃあ、悪女だったヴィクトリアは?)
ルシフェルは混乱しそうになる頭を冷静にして考え
(ランドルと相談して、一度ヴィクトリアをきちんと専門家に見せるべきだろう)そう、決心する
記憶を無くし性格が変わった彼女の事を、今まではそれで良かったと思っていたが、本当にこのままで良いのか?と心配になったルシフェル
ただ、余計な事をして悪女ヴィクトリアに戻ってしまうのだけは絶対に避けたい




