告白を成功させるためにタイムリープを会得した長沼さんは何度でもバレンタインをやり直す
チョコよりも愛が欲しい。
──二月十三日、長沼邸キッチンを酷く荒らす少女ありけり。
「不味い! 以上!!」
失敗作を積み重ねたタワーは既にピサの斜塔よりも傾き、材料や器材がそこらしこに散乱している。既に制作開始から半日が過ぎようとしていた。
「今度こそ……!」
長沼家の一人娘、長沼辰美は高校二年の花盛り。一つ上の先輩、サッカー部のエース山下祐司にバレンタインチョコを渡そうと、朝から躍起になっているのであった。
「──待って」
湯煎をしようとポットに手をかけた辰美を呼び止める声がした。
「……えっ? わ、私がもう一人!?」
それは辰美に瓜二つな少女であった。
辰美は酷く驚き狼狽えたが、辰美に似た少女は静かに語り始めた。
「私は明日からタイムワープしてきた長沼辰美。明日、あなたの……正確には私の告白は失敗に終わるわ」
「な、なんですって!?」
「ポットのお湯は朝沸かしたまま。温度が下がり湯煎は失敗。そしてチョコはかりんとうのようにゴツゴツ。山下先輩はそのチョコを鼻で笑ったわ」
「ひ、酷い……!!」
思わず手をテーブルにつく辰美。勢いでピサの斜塔が大きく揺れ、倒れた。
「悔しさで私はタイムワープを会得したわ。そして今度こそ告白を成功させるために未来からやって来た。信じられるかしら?」
「…………」
辰美は無言でもう一人の辰美を見つめた。その目にウソは見えなかった。何より、辰美自身告白が失敗したらヤケクソで東大を受験してやろうと考えていた為、タイムワープを会得してもおかしくない。そう直感的に考えたのだった。
「つまり、湯煎をキチンとやれ。そう言いに来たのね」
「ええ。私はココで見守っているわ」
もう一人の辰美が見守る中、辰美は再度チョコを作り始めた。
「慎重かつ繊細、繊細かつ大胆に、そして優雅でダイナミックに──」
「──待って!」
二人の辰美がドアの方を向くと、そこには砂に塗れた辰美が息を切らして立っていた。
「私が増えたわ!」
「もう一人……!?」
「ダイナミックは置いておきなさい。何を勘違いしたのか有刺鉄線をリボン代わりにするなんて外道も良いところだわ」
砂に塗れた辰美が、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、いつものお気に入りのコップに並々と注ぎ始める。その所作を見た二人は、この人も本物の長沼辰美なのだとすぐに理解した。
「あなたが居るって事は、私のアドバイスだけでは告白は失敗に終わったって事かしら」
「ええ。明日の朝、ダイナミックさが足りないと寝ぼけた私は、登校時に拾った有刺鉄線をリボン代わりにして撃沈する。そしてヤケクソで砂浜を走り回った私は、どういう訳かタイムワープを会得するわ」
「……訳が分からない。けど私ならやりそうだわ」
新たなる辰美に諭されダイナミックを捨てた辰美は、出来上がったチョコに文字を書く段階へと突入した。
「漢字だとバランスが難しいから、シンプルに平仮名で【だいすきです】と書こうかしら」
「そうね、それが良さそうね」
「賛成だわ」
ホワイトチョコペンを手に、辰美は息を整えた。失敗は許されない。既に宿題をやる時間を捨てているのだから……。
「──待って!!」
辰美の手が止まった。
キッチンの床下から、骨付きチキンを頬張った辰美が姿を現したのだ。
「やだ、まだ何かあるの?」
辰美が問いかけると、口からチキンを引き抜いた辰美がチョコペンを指差して話し始めた。
「明日の告白の時、【だいすけです】ってなっていたんだ……」
「怖っ……」
「ウソでしょ!?」
「そんなバカな!?」
あまりの事にペンを持つ手が震え始める辰美。そんな手をチキンの油塗れたの手がそっと包み込む。
「落ち着くの。大丈夫。落ち着けばチキンのやけ食いをして喉に詰まらせてタイムワープを会得しなくて済むわ」
「わ、分かったわ」
「落ち着いて、ね!」
「頑張れ!」
三人の自分に見守られながら、辰美は何とか【だいすきです】とチョコに書くことが出来た。ペンを置き、まるで大手術を終えた外科医のようにため息を漏らす。
「終わったわ……」
「おめでとう」
「よくやったわ」
「これで安心ね」
皆の顔に笑みが零れた。
「──待った待った!」
が、それはすぐに消えた。
冷蔵庫の中から、頭にタコを乗せたずぶ濡れの辰美が現れたからだ。
「そのチョコじゃダメ! 先輩、ビターチョコは苦手だったのよ!! 一口も食べずに終わるわ!!」
「な、なんですって……!?」
「やだ! 今更そんな……!!」
「この世の終わりよ……!!」
「酷いわ!」
五人を取り巻く空気が、酷く重く感じられた。
しかし、辰美が一つのアイデアを提案すると、皆の顔色がすぐに良くなるのだった。
「下にミルクチョコを敷いたらどうかな? 何かでくっつけてさ」
「……やだ、天才!」
「採用!」
「即採用!」
「異議無し!」
時刻ももうなかり遅く、五人は手分けしてチョコを作り始めた。そして、満足のいく仕上がりとなった。
「いよいよね」
辰美はチョコを守るように、そっと抱えて学校へと向かった。道ばたで有刺鉄線が落ちているのを見付けたが、辰美はそれを蹴飛ばしてやった。
「先輩!」
放課後の廊下で、辰美は山下へ声を掛けた。
誰も居ない、絶好のタイミングだ。
「あ、あの……!」
「頑張れ……!」
「ファイト……!」
「上手くいきますように……!」
「ハラハラする……!」
四人の辰美が遠くから見守る中、意を決して、辰美はチョコを山下へと手渡した。
「先輩が好きです!!」
「長沼……」
山下は、少し考えるようにチョコへと目を落とした。
「祐司」
山下を呼ぶ声がした。山下と同じクラスの八城ゆいだ。
「なんか出てきたわよ」
「嫌な予感……」
「同じく」
「同感」
山下は八城を見るなりすぐに気まずそうにチョコを辰美へと突き返した。その顔には明らかな謝罪の色が見て取れた。
「ゴメン長沼。俺……八城と……実は……」
「先輩……」
「あ、終わったっぽい」
「撃沈したっぽい」
「死んだっぽい」
「っぽい」
申し訳なさそうに走り去る山下。遠くに見えた八城の胸に、一際大きな包みが見えたが、それがチョコかどうかは、涙で濡れた辰美の目では見ることが出来なかった。
「お疲れ」
「どうする? やけ食い?」
「爆走する?」
「漁かい?」
四人が辰美の周りに集まり、そっと励ますように声を掛けた。
「タイムリープして、作戦を変えるかい?」
その問いかけに、辰美は涙ながらに首を横に振った。
「やらない。八城先輩の幸せを奪ってまでしたくない」
「良く言った」
「それでこそ私だ」
「流石だ」
「ナイス」
五人は静かに帰路についた。
苦い思い出と甘いチョコを胸に、和気あいあいと会話を交える。
「長沼ー!」
「原田……」
「同じクラスのアホ代表だ」
「近所のアホ代表だ」
「サッカー部のアホ代表だ」
「アホだ」
自宅の傍で、偶然クラスメイトの原田と遭遇した辰美。四人の辰美は慌てて物陰に隠れ、成り行きを見守った。
「今長沼が五人くらい居るように見えたんだけど……」
「気のせいじゃない? それで何か用?」
用件を聞かれ、原田はしどろもどろ。
何故ならばこの日はバレンタイン。つまりは非モテのチョコねだりだ。
「いやぁ、まあ……その顔だとチョコを渡せなかったんじゃないかと思ってさ」
「余計なお世話よアホ」
赤く腫れた目を擦り、必死で誤魔化す辰美。
「……ま、もう要らないからアンタにやるわ」
山下を諦めた辰美は、晴れ晴れとした気持ちでチョコを原田へと手渡した。
「マジで!? ラッキー!」
「味わって──いや、何も言わず感じず食い散らかしなさいな」
「──待って!!」
手を振りその場を去ろうとした辰美を、ドブの中から現れた辰美が引き止めた。
「うわっ、また私が来たわよ」
「もう終わりじゃないの?」
「ドブから来たわよ。私何やったの?」
「……臭そう。てか絶対臭い」
「山下先輩はこの後デートでカラオケ行くんだけど、そこでバラードを大音痴で小指立てて大熱唱の末、八城先輩とその日の内に喧嘩別れするわ! まだチャンスはあるのよ!? 明日それを聞いた私は、おったまげてドブに落ちてタイムワープを会得するの!!」
「マジで?」
それを聞いた辰美は、大口を開けてチョコに齧り付こうとした原田から、チョコを引ったくり、代わりに四人目の辰美が頭に乗せていたタコを投げつけた。
「野郎ども! 作戦会議よ!!」
「オーッ!」
「あいよー!」
「アイアイサー!」
「合点承知の助!」
「サーイエッサー!」
こうして六人は山下の帰宅を狙い、近くのカフェで作戦会議を行うのであった。
やっぱりチョコも欲しい。