白-4
再びリリを見付けるドゥール。
さて、受け取ったのはいいが……時間があまりない。
気が付けば昼休みは終わってしまい、渡しに行くことはできずじまい。五時間目と六時間目の休み時間しか残ってないと思って焦るドゥールだが、よりによって担任に呼び出しを食らってしまう。
こういう日に限って当番だったりするのだ。普段ならこれといって何も用事がないのに、配ってもらいたいプリントがあるから取りに来いと言われ……結局隣のクラスへ行くことができずに次の授業が始まる。
ヤバ……。ラインの奴、やっぱり頼むのが遅いよ。今日中に渡すのって無理があるんじゃ……。
しかし、手紙の中に今日の日付を書いたらしい。日付を入れてしまえば、やっぱり明日にしよう、明後日にしようと逃げられなくなるから、とラインは自分をある意味追い詰めるつもりで書き込んだのだ。
ラインの気持ちもわからないではないが、ドゥールに渡す時点でかなり足踏みをしている訳で、しかもそのとばっちりはドゥールに来ている。
そして……ドゥールのいやな予感は的中した。
授業が終わってすぐ、また担任に呼び出しを食らったのだ。こちらの事情を知っていてわざと用事を言いつけているんじゃないのか、と疑いたくなる。
急いで用を済ませ、隣の教室へ行ってユーナを呼び出してもらおうとしたら、彼女のカバンがないのでもう帰ったのではないか、と言われてしまった。
まさかそれを追うこともできない。だいたい、ドゥールはユーナの家がどこなのかも知らないのだ。真っ直ぐ帰ったかどうかも怪しい。
自分の教室へ戻り、ユーナに手紙を渡し損ねたことをラインに伝えようとしたのだが……時すでに遅しと言うべきか。ラインはもういなかった。恐らく、彼女の返事を聞くために待ち合わせ場所へ向かったのだ。
わっちゃー、ラインの奴、気が早いってば。俺が手紙を渡したかどうかくらい、確認してくれよなー。
困ったことに、ドゥールはラインがどこでユーナから返事を聞くつもりでいるのかを知らない。待ち合わせ場所を聞いていないのだ。
たぶん、学校のどこかだよな。告白の返事を聞くんだから、あんまり人が来ないような場所にしてるだろうし。講堂の裏とか、理科準備室みたいな所とか……。あんまり人気のなさすぎるような場所だと、今度はユーナが嫌がりそうな気もするけど。
とにかく、場所がどこだろうと、待っていたって絶対にユーナは来ない。それを伝えるために、ドゥールはどうしてもラインを探し出さなければいけないのだ。
放課後なので用事のない生徒は帰宅し、残っているのはクラブ活動をしている生徒達くらいのもの。クラブに出ている生徒がいる所はだいたい決まっているのだから、それを外した場所にラインはいるはず……とドゥールは踏んだのだが、校内をあちこち走り回ってもラインの姿は見当たらない。
すれ違ってるのかなぁ。けど、ユーナが来るのを待って、ラインはその場に動かないでいるだろうから、そういう可能性って低いと思うんだけど。まさか……学校の外を指定したとか?
いやーな可能性が頭をよぎる。ポーリア公園なら、広くても何とか探しようもあるが、街にはそれ以外にも公園はあるし、ラインが公園以外の場所を指定していたりしたら、もう探しようがない。
もう無理だよ。探す手掛かりがなさすぎ。一時間も待って来なかったら、ラインもあきらめて帰る……かな。帰るよな。
友達に頼まれたこともできず、それを伝えることもできずで心苦しいが、悪い条件が重なりすぎたのだ。夜にでも電話をして謝るしかない。
あーあ、手紙の一通も渡せないなんてなぁ。……リリが見てたら、情けない奴って思われるんだろうな。
自分のカバンを取りに教室へ戻ろうとしたドゥールが、ふと廊下の窓から中庭に目をやった時だった。
「あれ?」
見覚えのある姿がある。それは、ちょうど中庭を横切ろうとしているラインだった。しかも、その隣には女の子の姿も。
少し遠目だが、見間違いでなければあれは隣のクラスのユーナだ。
「な、なんで……?」
ユーナはもう帰ったのではなかったのか。いや、本人が帰るのを見た訳じゃない。カバンがないから帰ったんだろうと、彼女のクラスメートがそう思ってドゥールに告げただけにすぎない。
どこでどう落ち合ったのか、ラインはユーナと話をしながら歩いている。ということは、ドゥールが手紙を渡さなくても、とりあえず今の時点ではうまくいっているらしい。
「何だよ、もう~」
ドゥールはへなへなとその場に座り込む。今まで走り回っていたのは何なのだ。ラインに待ちぼうけを食らわせては悪いと思って校内をあちこち探していたのに、当の本人は想い人とすでに一緒とは。
「ま、いいけど」
会話の中身がどうであれ、ここから見る限りではうまくいっていそうだ。ああして並んで歩いているのだから、ふられたのに未練がましく彼女を追っている、というのではないはず。
「疲れた……」
何だか一人で体育の補習を受けていたような気分だ。
ドゥールは気が抜けたと同時に力も抜けた重い足取りで、のろのろと学校を後にした。
☆☆☆
リリに合わせる顔がないよなぁ。
そんなことを考えながら、ドゥールはとぼとぼと家へ向かう。
昨日、リリに出会ってから、天使の手伝いをするんだ、と意気込んだ。
しかし、実際には多大とまではいかないものの、人に何か迷惑をかけている。もしくは自分ががっくりくるようなことばかり。
天使の手伝いどころか、自分の行動が空回りしているばかりで何もできてない。へたすれば、リリの修行の妨害をしているかも知れないのだ。
昨日の今日なのに、このままの状態でこれまでの失態を取り返せなかったら。
そんなふうに考えると、落ち込んでしまう。リリのあのかわいい笑顔を曇らせてしまうことになりかねないと思うと、さすがにドゥールも立ち直りにくい。
俺としては、いつものようにすごして……って、いつもこんなについてない状態じゃないはずなんだけど。何か気負ってしまって、だから物事があまりよくない状態に向かっていたりするとか?
んー、だけど自分じゃどこでどう悪い方に向かってるのかわからないしなあ。こんなことばっかり続いてたら、リリが言う「善いこと」なんてできないよ。やっぱり人間の分際で天使の手伝いをしようなんて、おこがましかったのかな。リリに会って謝りたいけど……こんなじゃ会ってもらえないかも。
もう一度リリに会えれば、何かが変わるような気もする。単に彼女と会いたいだけ、と言われるかも知れないが……。
ドゥールにすれば、リリと会えばこの楽しいとは言えない今の状況をリセットできるような気がする。
これって、リリに会いたい口実にしか聞こえないんだろうなぁ。いいよ、もう。そうだよ、リリに会いたいだけだよ。俺はもう一度リリに会いたいんだ。
別に誰も何も言っていないのに、ドゥールは一人で開き直った。
どうすれば、もう一度リリに会えるんだろう。
考えながら歩いているうちに、いつの間にか大通りまで来ていた。
信号が青に変わり、歩き出すたくさんの人達につられてドゥールも一緒に進む。
もう少しで横断歩道を渡りきろうという時。
「ドゥール」
誰かが呼ぶ声が聞こえた。間違いなく、自分の名前を呼ばれた。それは聞き覚えのある少女の声だ。間違っていないことを祈りたい。
どこだ? どこから呼ばれたんだ? 今のって……絶対にリリの声だった。リリ、どこにいるんだ?
辺りをキョロキョロと見回すが、それらしい姿はない。いるのはせわしなく歩いている人間ばかり。
ドゥールはふと思い付いて、空を見上げた。
最初にリリを見付けたのは、空を眺めていた時だ。もしかすれば、空からドゥールを見ていて呼び掛けたのかも知れない。
上を見て……しかしそれらしい姿を見付けられないドゥールが「空耳だったのかな」と思った時。
視線を上から地上へと戻そうとして、止まった。
「リリ……」
ドゥールの目が止まったのは、信号機の所だ。歩行者信号ではなく、車両用の信号機。
やっぱり、みんなにはリリの姿が見えてないんだ……。
そんな場合ではないのだろうが、ドゥールはそんなことを考えていた。
リリがいたのは、ドゥールの進行方向にある車両用の信号機の上。もう少し細かく説明するなら、赤信号のすぐ上あたりに座っているのだ。
そんな所に女の子がいれば騒ぎになるはずなのに、誰も騒がない。歩行者はともかく、車の運転手は信号無視でもしない限り、赤ランプの部分を見ているはず。
それなのに、女の子が座っている! という声はどこからも聞こえてこない。リリがドゥール以外に見えていないのなら、誰も何も言わないのは当たり前。
リリって……本当に人間じゃないんだな。すごくかわいい人間の女の子にしか見えないってのに。
そのリリは笑顔を浮かべている。だが、昨日会った時よりも陰りがあるように思えた。
その顔を見たドゥールは、おおいに焦る。
やっぱり俺が失敗ばっかりしてるから? 何やってるのよ、なんて思われてるのかな。自分でもそう思ってるよ。だけど、ああして姿を見せてくれてるってことは、怒ってはいないってこと? 俺の思い込みってだけかな。
リリがまた現われてくれたのは嬉しい。だが、これからどうすればいいのだろう。
さっき、名前を呼ばれた。ああしてリリがそこにいるのなら、呼ばれたのも空耳ではなかった、ということだ。
呼ばれたのなら、これから会話ができるということになるのだろうが……ドゥールに謝罪以外の言葉が出せるだろうか。
ドゥールが少し悩みかけた時。
間近で大きなクラクションが聞こえ、ビクッとなった。歩行者信号はいつの間にか赤に変わっている。
しかし、そのクラクションはドゥールに向けられたものではなかった。
右手の方から暴走する車が現れ、他の車の間を縫う様に走っている。その先には、横断歩道の途中でぼんやり立っている女の子がいた。そこをどけ、と言わんばかりに鳴らされたクラクションは、彼女に向けられたのだ。
その制服からドゥールと同じ学校の子と思われる女の子は、突然の音にびっくりしてその場を動けないでいる。だが、暴走している車がスピードを緩める様子はなかった。
そのままでは女の子がはねられる、と誰もが思った瞬間。
誰かが女の子の腕をぐいっと引っ張った。されるがままに彼女は後ろへ倒れかける。それまで立っていた場所をかすめるようにして、車が猛スピードで走り抜けた。
すぐ後からサイレンが聞こえたかと思うと、暴走車の後を追ってパトカーが同じように走って行く。あの車は追跡され、逃げようと猛スピードで走っていたのだ。
二台の車の後を見送り、それから周囲の人達の目ははねられそうになった少女と、その少女の腕を引いた人……高校生くらいだろうか、少年へと向けられる。
二人は抱き合うようにして、地面に座り込んでいた。少女を引っ張り、彼女が倒れてきた勢いで二人して尻餅をついたというところだろう。
周りから拍手が起こる。
な、何かよくわかんないけど……よかった。
もう少しで人身事故になるところだったのが、ぎりぎりで阻止されたのだ。あの少年がいなければ、少女はきっとあの車に跳ね飛ばされていただろう。あのスピードで当たられれば、軽傷では済まなかったはずだ。
二人を周囲にいる数人の大人が助け起こし、何か声をかけている。たぶん、ケガの有無を尋ねているのだろう。
あ、そうだ。リリ……。
今の事故で、リリから目が離れてしまった。
慌ててドゥールはもう一度そちらを向き……リリはまだそこにいた。
しかし、その表情はすぐれない。さっき見た笑顔もあまり元気がなさそうだったが、今はさらに元気がなさそうだ。
え、どうして? 女の子が助かったのに、どうしてそんな……そんなつまらなそうな顔をしてるんだ?
ドゥールが見ていると、リリは座っていた信号機からふわりと飛び立った。
ドゥールの方をちらりと見て、ゆっくりと飛んで行く。あれはついて来るようにと示しているのだろうか。
よくわからなかったが、空の彼方へ消えて行く気配ではなく、ドゥールは急いでリリが飛んで行く方へと走った。