白-3
クラスメイトに恋のキューピッド役を頼まれるドゥール。
朝になって目が覚めると、雨が降っていた。
空に文句を言っても仕方ないとわかっているが、朝から降られるとユーウツだ。登校する時間には、遠くでかすかに雷まで聞こえてくる。
いっそのこと、嵐になれば警報が出て学校も休みになるのに、それよりギリギリのところで強い雨が降る、というのが一番厄介だ。
雨休みがあればいいのに、などと思いながら外へ出る。傘に当たる雨粒の音がひどくうるさい。
昨日はあんなにいい天気だったのになぁ。
見ているだけで重苦しくなる色をした雲が、眺めているうちに雑巾のように思えてきた。
昨日……昨日あったことって、本当だったのかな。
一晩眠って目を覚ますと、昨日あったことが現実だったのかどうか、ひどくあやふやな感じになってきた。
リリという少女に会った、というあのできごとが。
あれを夢だなんて思いたくない。あんなかわいい女の子はそうそういないだろう。しかし、相手が天使だという部分から、いきなりリアリティに欠けるのだ。
ドゥールはリリが空から降りて来たのを見ているから、それが現実にあったとわかっている。わかっている……つもりだが、自分は確かに彼女に会った、という証拠が手元にない。全てはドゥールの頭の中、記憶の中でしかないのだ。何を言ってるんだ、と誰かに笑われても、リリが実在したのだと言えるものを差し出せない。
写真や動画でも撮れればよかったのだろうが、天使はちゃんとそこに写るのだろうか。
しかし、リリと出会ったことを白昼夢として終わらせたくはない。何とか話をするだけで、髪一本にすら触れることはできなかった。それでも、あのかわいい笑顔が夢だなんて絶対に思いたくなかった。
そうだよ。あれは現実にあったことなんだ。名前まで教えてもらったし、それをちゃんと覚えてる。何たって俺、天使の手伝いをするって言ったんだもんな。リリだって嬉しそうに……って……そうだ。
リリのことを思い出すと、その後に起きたことが芋づる式に思い出されてきた。
あれからずっとついてないよなぁ。やっぱり天使に会うってことで、一生分の運を使い果たしたんじゃないかって気分だ。
母と一緒に買い物へ行き、夕食が作られ始めたのはいいとして……また電話がかかってきて、ドゥールが夕食にありつけたのは九時をかなり過ぎた頃。電話相手は食事をどうしていたのだろう。
それまでは買ってもらったスナックで何とかしのごうとしたのだが、中に真っ黒に焦げたスナックのなれの果てみたいな異物が出て来た。きっと工場の機械にへばりついていた材料の一部なのだろうが、それを見て食べる気が失せてしまった。
父がいれば、さすがにコルティも料理の続きをするのだろうが、そういう時に限って残業なのか、父はなかなか帰って来ず……。
結局、昨夜はほとんどふて寝のような状態でベッドに入った。
俺、昨日はなーんにもできなかったよなぁ。何が、天使の手伝いをする、だよ。チンピラみたいなおやじには殴られるし、財布は落とすし。正直なところ、それどころじゃなかったもんなぁ。
ドゥールの気分は、まさに空の雲と同じ色だ。
あー、ダメだ。こんなことじゃ、リリとの約束が果たせないじゃないか。いくらいつものようにすごしてって言われたって、やっぱりそれなりに努力はしなきゃ。リリが喜んでくれるようなことを何かしないと、人間は口だけねって思われるじゃないか。昨日がダメでも、今日という日はちゃんと来たんだ。今日、できることをやらなきゃ。
やっぱり立ち直りの早いドゥールは、しっかり前を向いて歩き出し、その顔に車が飛ばした水たまりのしぶきが思い切りかかった。
☆☆☆
昼休み。
昼食が終わったドゥールを友達のラインが教室から連れ出し、廊下の端まで引っ張って来た。
「何だよ、話なら教室でもできるだろ」
「それはそうなんだけどさ」
言いながら、ラインは制服のポケットから白い封筒を取り出した。
「あのさ……これ……」
「え、お前、そんな目で俺を見てたの? 悪いけど、俺の対象は女の子だから」
「バカッ! 話は最後まで聞けよっ」
あまりに相手が真剣な面持ちだったので、ドゥールは本気で「友情崩壊の危機?」などと思ったが、早とちりだったようでほっとした。
「渡してほしいんだ」
「誰に?」
「えっと……その……」
ここで照れられても、ドゥールだって困る。
「お前、渡してほしいんだろ? だったら、相手の名前くらい、ちゃんと言えよなー」
「い、今言うよっ。えっと……隣のクラスのユーナに」
赤くなりながら、ぼそぼそと伝えるライン。
「へぇ……」
ちょっと意外な気がするドゥールだった。
ラインが好きだと言う少女は、隣のクラスにいる、というのを知っているだけで、詳しくは知らない。何となくのイメージだけで言うなら、気が強い、という印象の子だ。はっきり物を言う子、と言えば聞こえはいいのだが。
どちらかと言えば優柔不断で気が弱い、よく言えば優しい性格のラインとは正反対のタイプだ。
彼にならもっとおとなしい女の子の方が似合うと思うのだが、人の好みはそれぞれだと言うし、ラインにしかわからない彼女のよさというものがあるのだろう、たぶん。
それに、二人を足して二で割ればちょうどいい感じに……なるだろうか。
「渡すのはいいけどさ……他の奴に託された手紙なんて、ユーナが受け取るかなぁ。本人から渡すなら、まだ可能性はありそうだけど。あの子なら、直接目の前で言いなさいよ、とか何とか言いそうじゃないか?」
「言えないから、こうして手紙を書いてるんじゃないか」
「そりゃそうだけど。で、何て書いたんだ? 遠回しな表現ばっかりだと、途中で破られるぞ」
「ユーナはそんなこと、しないって」
好きなら当然かも知れないが、ラインはユーナのフォローに回る。気持ちはわからなくもないが、あまり期待すると後で泣くことになりかねないんだけどなぁ、などと思うドゥールだった。
「好きだってことと……返事を聞かせてほしいってことを……」
「思ったよりストレートに書いたんだな」
自己申告なので実際の文面がどうなっているかはともかく、それなら少なくとも「何が言いたいのかわかんないわ」と最後まで読まれずに破られてしまうことはないだろう。
「頼む。ドゥールにしかこんなこと、頼めないんだ」
ユーナに渡すことはおろか、ドゥールに頼むこともかなり悩んでいたに違いない。
しかし、今日渡してくれと言われても、もうすぐ昼休みも終わるから渡す機会が少なすぎる。もう少し早く頼んでくれれば、それなりに余裕もできたのだが。
まぁ、今更言っても仕方がない。
ドゥールはラインから手紙を受け取った。
「一応預かるけど、絶対受け取ってもらえるとは限らないからな」
「ありがとう。ドゥールがアイサに手紙を渡す時は、俺が手伝うから」
「バ、バカ。俺は手紙なんか書かないって」
ラインにアイサのことを話した覚えはないが、しっかり見抜かれていたようだ。ラインものほほんとしているようで、案外あなどれない。
いきなり言い当てられ、否定したつもりのドゥールだが、今のセリフで認めたようなものだということに本人は気付いていなかった。