白-2
どうもうまくいかないドゥール。
住所や名前などの必要事項を書類に書いて、ドゥールの小銭入れは無事に戻って来た。
情けないことに、中身はジュース一本がかろうじて買える程度の金額しかない。
昼休みに同級生のラインから、財布を忘れたので昼食代を貸して、と頼まれたのを思い出したが、それはそれ。
こんなくらいの金額で拾ってくれたお姉さんや、対応したお巡りさんに手間をかけさせたのだ。
わざとやっているつもりなんてもちろんないが、どうもさっきから人に面倒ばかりかけているような気がする。
リリの……天使の手伝いをすると約束したのに、これでは逆だ。へたすれば、彼女の迷惑にさえなりかねない。
俺みたいなどん臭い奴が天使の手伝いなんて……厚かましかったのかなぁ。
家へ向かうドゥールの足取りは、どんどん重くなる。
しかし、立ち直りが早いのもドゥールの長所だ。
いつものようにすごしてって、リリは言ったよな。俺はいつものように行動しただけだし、不注意だったかも知れないけどわざと財布を落としたんじゃない。こうなったのは仕方ないんだ。
それに、これがもしリリにとって迷惑になるんなら、これからそれを挽回すればいいんだよな、うん。今まで人の迷惑になった分、がんばればいいんだ。どうがんばればいいかわからないけど……いつものようにすごして、こうすれば誰かのためになるってことを見付けたらそれを行動に移せばいい訳で。
こんなふうに思い直すと、元気が出てきた。
自分に元気がなければ、他の誰かを元気にしたり何かをしてあげたりなんてできない。今までのことは、もう済んだこと。今からスタートするつもりでいけばいいのだ。
そう考え、ドゥールが前向きになりかけた時。
どんっと何かにぶつかり、その数秒後にバラバラッと何かが落ちた音がした。
「え……あ、ごめん。大丈夫?」
あれこれ考えながら歩いていたドゥールがちゃんと前を見ていなかったため、女の子とぶつかってしまったのだ。
地面には絵の具や筆が散らばっている。その子が持っていた物らしい。
俺、今日はやたらと人にぶつかってる……。
相手はまだ十歳になるかならないかくらいの女の子。片手には落とさずに済んだスケッチブックがあるから、たぶん絵画教室へ行く途中か帰るところだったのだろう。
ドゥールと当たったことで、元々しっかりはまってなかったらしい金具が外れ、お道具箱の中身がばらまかれてしまったのだ。散らばってしまった絵の具を見て、泣きそうな顔になっている。
うわーっ、ちょっと待て。泣かないでくれっ。
ドゥールは慌てて絵の具をかき集めた。チューブを見れば、まだそんなに使われていない。買ったばかりのようだ。その新しい絵の具のラベルも、地面に落ちたことで汚れてしまった。
ドゥールが一生懸命拾うのを見てか、女の子も気を取り直して転がってしまった筆や絵の具を拾う。
拾った絵の具を二人して箱に並べ、ようやく全ての絵の具がおさまった。
「ごめんね。もう拾いそこねてる物ってない? 細筆とか、全部ある?」
「えっと……うん、全部ある」
とりあえず、それを聞いてドゥールはほっとした。
「ごめん、絵の具の箱やチューブ、汚れちゃったね」
「いいよ、お兄ちゃん。どうせすぐによごれちゃうし」
泣かれなくてよかったと思う反面、こんな小さな子に慰められる自分が情けなかった。
「絵を習ってるの?」
「うん」
「今から教室?」
「ううん、かえるところ」
薄暗くなってきているし、送ってあげた方がいいのかな。
ドゥールはそう思ったが、通り過ぎたおばさん達がこちらを見ながら何やらこそこそ話をしているのが目に入った。
何だろうと思ったドゥールは、ふと視線を移した先に立てられていた看板を見て、ぎょっとする。
『不審者に注意!』
ええっ、ちょっと待てっ。もしかして、さっき通ってったおばさん達、俺が変質者じゃないかって思って、だからこっちを見てたとか?
いたいけな子どもをかどわかそうとする、中学生。
小さな女の子に異常な興味を持つ大人が起こす事件は、ドゥールだってニュースなどで見聞きする。
が、まさかそういった輩と自分が一緒にされる日が来るなんて、思ってもみなかった。
「えっと……一人で帰れるよね?」
自分から送ってあげる、なんて言おうものなら、本当に通報されてしまいそうな気がする。通報されたら、さっきの親分警察官やレスラーもどき警察官が来るかも知れない。
またきみか、なんて言われたりしたら「まぁ、常習犯?」なんて噂されてしまいそうだ。
「うん、へーき。お兄ちゃん、ばいばい」
幸い女の子は大丈夫だと言うように頷き、手を振って走り去って行った。
その後ろ姿を見送り、ドゥールはますます落ち込む。
何だよ、もう。子どもを泣かせそうになるし、変質者に見られたりするし……。
せっかく前向きになったところだったのに、いきなり落とし穴にはまってしまったような気になる。
ダメだ、今日は余計なことは考えないでさっさと帰ろう。
☆☆☆
「あ、ちょうどいいところに帰って来たわね」
母のコルティが、にっこり笑ってドゥールを出迎えた。
いいところ? ってことは、まずいところに帰って来たのか……。
コルティが「いいところ」と言って、本当によかったことなどない。
「夕飯の買い物に行くから、一緒に来て」
「へ? 今から?」
今日はあちこち寄り道したようなものなので、もう陽は暮れている。いつもならこの時間だと、半分くらいは料理が出来上がりつつあるはずなのに。遅くても下ごしらえくらいは終わっているのだが。
「ちょっと電話が長引いちゃったのよ」
……またか。
ドゥールは心の中でため息をつく。
コルティは、彼女に限らず多くの女性がそうだろうが、おしゃべりが好きだ。コルティの場合、きっと「好き」の前に「大」がいくつも付くくらい、好きだ。
どんな時間帯だろうが、一度電話をかけると一時間は軽く過ぎる。当たり前のように話し続ける。
一時間ですめば、まだ早い方。どうして次から次へとそんなに話すことが出てくるのか不思議だが、とにかく延々と話は続くのだ。
コルティは「ちょっと」と言ったが、彼女の言う「ちょっと」なら、だいたい三時間はしゃべっていたに違いない。話し始めたら時計など見ないから、気が付いたら「あらまぁ、大変」という時間になり、でもそんなに大変とも思わずにいたのだろう。
「どうせ車で行くんだろ。俺が一緒に行かなくてもいいじゃんか」
「カートから車に乗せるのが大変なんじゃないの」
それは無駄な物が多いからじゃないのか、と言いたいところだが、ここで行く行かないと繰り返していたら、いつまで経っても夕食にありつけない。
五分後にはコルティの運転する車の助手席に、ドゥールはしぶしぶ座っていた。
「欲しいスナックがあれば、入れていいわよ」
スーパーのカートを押しながらコルティが言い、母の気が変わらないうちにドゥールはさっさとスナック菓子が並ぶコーナーへと向かった。
そうだ、今日はお菓子のヤケ食いをしようと思ってコンビニ行って、財布が……あぁ、いやなこと思い出した。
短時間にずいぶんあれこれとあったものだ。しかも、あんまりよくないことばかりで。
小銭入れが見付かった、というのがかろうじていいことだろうか。天使のリリと会ったことで、運を使い果たしたのかも知れない。
いや、今は自分の小遣いじゃなくてスナックが買えるんだから、まだ使い果たしてなんかいないぞ。逆にラッキーじゃないか。
店は混雑していたが、お菓子コーナーは空いていた。キャップをかぶったおじさんが一人いるくらいだ。
その横を通り過ぎ、自分のほしいスナックがあるエリアに向かう。
「ええっ、うそだろっ」
目的地へたどり着いたドゥールは、思わず声に出してしまった。自分が欲しいと思っていた物が見事に品切れしていたのだ。
他の物はしっかり揃っているのに、見事にドゥールの欲しい物だけがない。人気商品だから売り切れても仕方ないと言えば仕方ないのだが、人気商品だからこそしっかり入荷しておいてもらいたかった。
ないものは買えないので、次に欲しい物を手にしたが……気分は晴れない。何が何でもそれが欲しかった訳じゃないのに、それがなかったということで完全にテンションが下がってしまった。
スナックの一つくらいで……俺って小さい……。