第18話
パソコンを受け取ったアスカはゆっくりとパソコンを操作した。
するとパソコンの画面にマスクをした男の顔が映し出された。
「お久しぶりです、杜季さん」
「アスカ、無事でよかった」
無線で聞いた男の声と同じだ。こいつだったのか。
「『女神』は一緒か?」
「ごめんなさい、逃げられました」
「逃げた?どういうことだ?」
「ちょっと目を離した隙に…。わたしを怪しんだのかもしれません」
「そうか…」
「『先生』は…!『先生』はお怒りですか?」
『先生』という言葉を聞いてわたしに手を差し伸べる男の姿が脳裏に浮かんだ。
懐かしいような、不思議な気持ちになった。
「まだ『先生』には話していない」
「でも…、あとで報告するんですよね…?」
アスカが怯えている。わたしはアスカがこんなに怯えている姿を初めて見た。
「とにかく、『天使』と協力して早く『女神』を連れてくるんだ」
「…はい」
アスカはわたしをちらっと見るとため息をついた。
「杜季さん、『天使』は記憶を失っています。なのでこれから記憶を戻していこうと思います」
「お前一人で大丈夫か?」
「何とかします。そして必ず『女神』を連れてきます。『先生』にもそう伝えてください」
杜季はしばらく何も言わなかったが頷いた。
「最後に『天使』と少し話をさせてくれ」
アスカはわたしにパソコンを向けた。杜季はわたしの顔をじっと見た。
「俺の話を信じてもらえて嬉しいよ」
「信じたわけじゃない。あなたの言うことを聞いたほうが得だと思っただけ」
わたしがそう言うと杜季は鼻で笑った。
「まあ何でもいい。それより、体の『炭化』が始まってるな」
「どういう意味?」
わたしは必死に聞いたが杜季は何かに気づいたように後ろを振り向いた。
「悪い、もう行かなくちゃいけない。『炭化』のことはアスカが話す。いいな、アスカ」
アスカは静かに頷いた。
「アスカ、お前も気をつけるんだ。他人事じゃない」
「…はい」
アスカにはまだ隠していることがある。
アスカは静かにパソコンを閉じた。
考えないようにしていたことをいざ言葉で聞いてしまうと心に重くのしかかってしまう感覚だった。
自分の命も長くないということだ。
「さあ、話していこうか」
アスカはその考えを振り切るように『天使』に話しかけた。
「…うん」
『天使』は観察するようにアスカをじっと見つめている。
「これから話すことはあくまでもわたしが知っていることだけ。だからあまり期待しないで」
「分かった」
アスカは一度深呼吸をした。
もし『天使』の様子に変化があればすぐにやめよう。
「『天使』は『アンナ』が創った人間。人間離れした運動神経と体を持っている。その才能を活かして『天使』は『ユートピア』の外で暗躍した。『天使』は与えられた任務を必ずこなした。そのほとんどは人殺しだったけど。でも『天使』がやったことは全て『アンナ』の利益につながった。やっていることは最低なことばかりだったけどね」
「人を殺してどうして『アンナ』の利益になるの?」
「死体を使って実験をしていたからだよ」
「実験?」
「簡単に言うと、『女神』の力を使って死者をよみがえらせようとしたの」
「へー」
『天使』にあまり変化は見られない。アスカはまだ話を続けることにした。
「その『女神』がある日逃げ出したの。だから『天使』は『女神』を捕まえるという任務を与えられている」
『天使』の頬がぴくっと動いた。
「でも『天使』は『女神』を捕まえられなかった。そして暴走した。『天使』は目に入った人全て殺していった。それはどうしてだか覚えてる?」
アスカが尋ねても『天使』は黙ったままだった。ただ何か思い出そうとするように目を閉じて眉間にしわを寄せた。
「それは…、壊さないといけなかったから」
「壊す?何を?」
「…分からない」
『天使』はゆっくり目を開けた。
「ねえ、わたしはどこから来たの?」
「それは知らない」
「『アンナ』って誰?」
「『アンナ』はあんたがいる会社の名前」
「違う。『アンナ』は会社じゃない。『アンナ』は…」
『天使』はそう言いかけて苦しむように頭を抱えた。
「これ以上はやめたほうがいい。パニックを起こすかもしれない」
アスカがそう言うと『天使』はおとなしく頷いた。
「記憶は少しずつ取り戻したほうがいいの。一気に思い出すと混乱しちゃうから」
「まるで自分が経験したかのような言い方だね」
「もう黙って。今日はこの部屋でおとなしくして」
アスカはそう言って部屋を出ようとした。
「ねえ、」
『天使』がアスカを呼び止めた。
「やっぱりあなたってこっち側の人間なんだね」
「どういう意味?」
「わたしたちの仲間ってこと」
アスカはその問いに答えることなく部屋を出た。
檻から出してくれた男は杜季と名乗った。そしてアスカという名を与えてくれた。
「アスカはこれから『先生』の期待に応え続けるんだ」
杜季はそう言った。
「そうすればずっと生きていられる」
「『先生』って誰?」
「この世界を描いた人だ」
「どうやったら期待に応えることができるの?」
「『先生』の思い通りになるように行動すればいい。それだけだ」
『先生』を初めて見た時不思議な感覚になった。まるで全ての時が止まったかのようだった。
わたしはこの人の期待に応えていかないといけないんだ。
どんな雑用もこなした。この世界の仕組みを必死に勉強した。頼まれたことは何でもやった。
でも、どんなに頑張っても『先生』は振り向いてくれなかった。
そのうち、『女神』と『天使』の存在を知った。そして『先生』はその二人を愛していると気づいた。
わたしは言いようのない不安を感じた。
『女神』と『天使』にはわたしが持っていないものがある。一生手に入れることが出来ないものだ。
『先生』は一生わたしに気づかないのではないか。わたしを処分してしまうのではないか。
失敗作であるわたしは『天使』に勝つことができるのか。