■02話 高寺電機株式会社-1
高寺電機株式会社。
東証2部の売上30億円、営業利益2億円、時価総額40億円足らずの部品製造業者である。元々農業機器向けのパーツ製造を営んでおり、それなりの売上を誇っていた時期もある。しかし、株主・経営陣が血縁で固められていたことから統制が効かず、一族経営の悪い面が出て経営は傾く一方。
主要事業は辛うじて回せていたが、他での失敗や売上縮小によって大きな負債を抱えており、気が付けば財務状況も厳しい状況となっていた。
その状況で、高齢の代表取締役社長が急病により死亡。副社長は10%の株を抑える大株主ということもあって暫定の社長となったが継続する意思はなく、他の取締役からも立候補者が出なかった。
急遽経営者が不在となったことで人材を探すことになったが、評判の悪さから候補が見つからず、経営は更に混迷の一途を辿って行った。取締役陣のほとんどは週に1度しかオフィスに顔を出さないといった有様のため、高寺電機に興味を持った人材もそういった状況を知ると皆離れていった。
そんな中、経理部長の篠原 栞が個人的な伝手を利用し、親戚である深山 耕一を招聘したことで状況は大きく変化し始める。
篠原は縁故採用ではあるが入社から一貫して経理畑を担当している女性で、50歳になる今では社内の数字周りを取り仕切っていた。CFOと呼ぶには頼りないが、真面目に仕事に取り組む数少ない経営陣の一人だった。経理部長ということもあって高寺電機の経営状況は把握できており、今の経営陣では会社を支え切れないと判断し深山に声をかけたのだった。
深山としても当初は乗り気ではなかったが、子供の頃に世話になった篠原に再三に渡って頼み込まれたことから社長就任を決意。ただ、この状況からどこまで立て直せるかは分からないとした上で、無理だと判断した際には社長を退くことを条件に高寺電機へ赴いた。
深山は身長174センチ、髪型はくせ毛のミディアムヘアで前髪を上げており、太めの黒縁メガネが特徴的な男性だった。就任当時若干33歳と、現取締役陣の半分近い年齢とかなり若く、当初話に上がった際には難色を示された。
しかし、有名大学の工学系博士課程を出て、その後海外の大手企業にてマネジメントクラスを経験というキャリアを持っていたことから、能力面では文句のつけようがなかった。加えて深山の母の兄が暫定社長の高寺 信三であったことから、代表取締役社長として受け入れられることが認められた。
深山は社長就任後、既存事業の見直しを始め高寺電機の経営改革に着手。赤字事業の撤退や売却、段階的な負債の処分といった地道な努力に加え、新しい収益部門として新規事業の立ち上げにも着手を始める。
高寺電気では先代社長時代に多くの事業に進出していた。そのため、一口に部品製造といっても工場機器向けのモーターや自動車エンジン関連の部品にまで手を出しており、対応できる分野は広いが採算が取れないという典型的な赤字企業となっていた。
主力事業である農業器具向けのパーツ製造業に関しては、今後の発展性も期待できなかったことから、追加投資は行わずコストカットのみの延命処置で留めた。手を広げ過ぎた赤字事業は撤退と再編を進め、代わりに新規事業の立ち上げに関しては余裕が無い中でもリソースを割り当て、深山自らアイデア出しや関係各社との交渉などにも取り組んでいた。
新規事業を立ち上げる際には、深山は現在の市場規模ではなく10年後の規模を最重要視した。これは、高寺電気の体力・技術力では競合他社を切り崩すことが難しく、市場の拡大期に便乗することでしか地位を確立できないと考えたからである。
篠原と二人三脚で改革に乗り出すが、優秀な人材が不足していることもあって、CEO・CIO・CFOを兼任するという酷い状況が続く。何かを変えようとしても、取締役陣は反対するか興味を持たずに関与しようとせず、話を1つ進めるだけでも多大な労力が必要とされた。副社長に戻った高寺信三も深山を積極的には支援せず、経営は社長である深山の仕事として手を貸そうとはしなかった。
しかし社長就任から2年後、遂に新規事業に日の目が当たる時が来る。
その新規事業の主力商品と期待されているのが、駆動用モーターとインバーター、ギアを一体化したEV向けトラクションモーターのプロトタイプ。高寺電気に残された製造技術と深山のアイデアの結晶であり、大日本モーターが目を付けた新製品だった。
トラクションモーターはEVの心臓とも呼べる部品である。
通常、EVの部品としてはモーターとインバーター、ギアはそれぞれ別の扱いとなっており、個別に設計・調達が行われている。EVの走行性能はこのトラクション周りの部品に大きく依存しているため、燃費や静音性、耐久性、メンテナンス性といった面でも最重要視される部品である。
EVはガソリン車に比べて構成部品が少ないものの、こういった走行性能に直結する部分に関しては様々な面から検討が必要になることから、どうしても設計に時間をかけざるを得ない。そのため、これらの部品をあらかじめパッケージ化することができれば、小型化・高性能化・設計の簡易化を実現することが可能となる。
ガソリン車はどうしても内部構造が複雑になるが、EVの場合は極端な話このトラクションモーターと基盤となる車台さえあれば動いてしまう。この2つにバッテリーを繋ぐだけでミニ四駆のシャーシにモーターと電池を繋いだような形となるため、これさえあれば上に何を乗せるかはEVメーカー次第となる。
大日本モーターでは来たるべきEV社会において、このトラクションモーターと車台の2つを中核製品として考えており、この2つを抑えるために資金を投じていた。
大日本モーターでは車台をプラットフォームとして呼び、既製品であるプラットフォームとトラクションモーターを組み合わせるだけで、どんな新興企業でもEVを開発・販売可能な状況を作り上げようとしていた。パソコンを購入する時のように、企業が自由にパーツを選択し組み上げるだけでEVができてしまう、そんな汎用性の高さを実現しようとしていたのである。
しかし車台の開発は順調に進んでいたが、肝心のトラクションモーターの開発では、効率性・小型化・メンテナンス性といった面での両立が難しく難航していた。そんな中、プロトタイプではあるものの、各種性能を高い水準で実現した高寺電気に目をつけたのである。