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■01話 株式会社大日本モーター

 株式会社大日本モーター。


 日本最大手の総合モーター製造会社であり、時価総額5.5兆円、売上1.35兆円、営利1800億の東証一部に上場する大企業である。代表取締役社長の向日(むこう) 重治(しげはる)氏が一代で築き上げた企業としても有名であり、向日社長は現代のビジネス業界における成功者として知名度が高く、その立志伝は書籍などでも取り上げられている。


 大日本モーターが提供する商品は世界各地で利用されており、家電・OA機器・産業機器・医療機器などと広い範囲をカバーしている。身近なもので言えばスマートフォンの振動効果用アクチュエータや自動ドアの駆動用DBモーター、HDD用スピンドルモーター等、大日本モーターの商品を利用している製品を列挙することは非常に容易い。


 国内に限らずそのシェアは海外にも伸びており、特定用途の商品で言えばシェアが80%近いものもあり、文字通り覇権企業の一角である。



 その大企業を一代で築き上げた向日社長は今年61歳になるが、未だ現役で非常に威勢がよく、経営の最前線に立って声を張り上げながら日々指揮を取っている。朝早くから夜遅くまで働き、休暇もろくに取らないその姿は凄まじく、誰よりも働いていることを自ら公言している。


 身長163センチと小兵で、見事に禿げ上がった頭と相まって一見よくいる老人のようにしか見えないが、眼光の鋭さや未だ衰えぬ頭の回転の良さ、伝わってくる圧力の前では大の大人も借りてきた猫のようになってしまう。


 その意気軒昂な振る舞いは凄まじく、社外からの評価は高いものの、一方で社員からはいつ無理難題を押し付けられるかと恐れられていた。下手に反論しようものなら徹底的にこき下ろされ、非常に高い水準の仕事を多くこなし続けることが求められる環境ということもあり、大日本モーターはいわゆるブラック企業のような扱いを受けることもしばしばあった。


 向日社長の振る舞いは上場株の専門家であるアナリストに対しても同様で、安易な質問をしてくるような人間がいれば逆に質問を浴びせかけ、答えられなければ不勉強さを指摘するなど、優秀ではあるが一筋縄ではいかない人間として認識されていた。




 大日本モーターが大きく成長してきたのは、間違いなくこの向日社長あってのことだった。特に、向日社長は企業買収による事業拡大を得意としていた。今後伸びるであろう市場を見つけると、そこの市場で有望な商品を抱えている企業を買収し、徹底的に鍛え直すことで高収益化を実現してきた。


 買収する際には企業の評価額も厳しく精査するため、日本企業でよくあるような買収から数年後に大規模な減損を行うといったことはほとんどなかった。


 安く買った企業を高収益化させ、そこから生み出されるキャッシュフローを元に別の会社を買う。こういった成長戦略により、1から自社で対応するよりも短期間で売上・利益を大きく成長させてきたことが、大日本モーターを一代で覇権企業へと押し上げた要因だった。


 しかし、その向日社長が問題に頭を悩ませ叫んでいた。



「EV関連の商品展開が遅すぎる! しかも出ていている商品企画の質が悪い! 一体現場はどうなっているんだ!」


 机を何度も叩きながら向日社長が叫ぶ。その前には一人の男性が座っており、慣れた態度で向日社長をなだめる。


「落ち着いて下さい社長」

「これが落ち着いていられるか! 藤堂、商品開発はお前の部署の仕事ではないが、EVという次世代の主力市場で後塵を拝するなことがあれば、今後のウチの立場すら危ういのだぞ!」


 向日社長はひとしきり叫んだ後立ち上がり、会議用ディスプレイに映し出された説明資料を睨みつける。


 向日社長の犠牲者となっている男性は藤堂(とうどう) 文隆(ふみたか)。45歳の身長185センチと体格がよく、髪もオールバックにしていることから非常に厳つい印象を与えている。


 藤堂は大日本モーターで事業統括部部長を勤めており、特に企業買収の総監督としてこれまで向日社長を支えてきた。


 二人は大日本モーターの事業戦略を策定するため打ち合わせを行っていたが、問題は次世代の主力市場として見ているEV関連市場への進出が出遅れていることだった。EVとはElectric Vehicle、つまり電気自動車のことである。大日本モーターではその他の市場においては順調にシェアを拡大していたが、唯一EV関連の市場だけが足踏みをしていた。


 大日本モーターでは、金融・流通・サービスといった産業分類と、銀行・保険・決済といった各産業における細分化された業界、そして各業界における主要企業を地図化したものを事業計画に利用している。


 この資料を一覧するだけで、自社が未だ進出できていない業界や、狙うべき主要企業を把握できるため、国盗りゲームのような感覚で事業戦略を立てることが可能となっている。


 向日社長が睨む資料もその地図となるが、見事にEV関連だけが空白地帯となっていた。既に競合他社もEV関連の市場には進出しており、衰退を始めている旧来の自動車産業などとは違い、今後はEV関連を抑えた企業こそが勝者になるというのが部品業界共有の認識だった。


 電気自動車の説明として「電気自動車は従来の自動車とは違って、単純な部品の組み合わせだけで作ることができ製造が容易である」というものがある。いわゆる優劣がつきにくく商品の差がないという意味でコモディティ(汎用品)という扱いをすることもあるが、実際にはそんなことはない。


 電子制御機器の集合体である電気自動車の設計・製造における品質の差は明確であり、電気自動車製造を行う各社の販売している商品にも優劣がはっきり出ていた。衝突安全装置等のリスク回避設計なども含めれば設計は非常に複雑であり、誰にでも簡単に作れるといったものではなかった。


 実際に、新興企業が電気自動車の開発に乗り出した挙げ句、多額の資金を失って倒産する事例は山のように存在している。また、試作品を作ったというPVを流したかと思えば、実際には坂道から転がしただけでまともな自走機能がなかったという企業すらある。


 従って、電気自動車製造企業の各社は高機能な部品を喉から手が出るほど欲しがっており、それらの需要に広く答えられる部品を開発できた部品会社は、その後のEV市場において確固たる地位を築くことができる。そしてそれは、その後の市場成長の恩恵を享受することができるという意味である。


 いかにして業界標準の部品を生み出すか。EV関連の部品を開発する会社はその1点において非常に苛烈な競争を始めていた。




「どいつもこいつも、出してくる商品企画は無難なところでまとめましたというものばかり。本気市場を取りに行く気概もなく、ユーザーではなく社内の都合しか見ておらん! 日頃、他社との差別化とのたまっておるくせに、いざ自分が商品を考えるときには他社と同じようなものを平気で作りよるわ!」

「先週いくつかの提案は出ておりますが、全てお眼鏡にはかないませんでしたか?」

「駄目だ駄目だ駄目だ! 何より駄目なのは、一度の差し戻しで諦めて真面目に考えようとしないのが駄目だ! 課題点を上げて差し戻したというのに、まともな修正もしないまま出し直して来おったわ!」


 向日社長は机の上に置いてあった資料を手に取り、藤堂に突きつける。


「これを見ろ! 先週の提案から表面的な部分だけ修正し、肝心な部分はろくに修正されておらん。新しいことをやろうとしているのだから、間違ったり見当違いの方向に進むのは許す。しかし、難題に向き合おうとせず、考えることから逃げ出すようなことだけは許さん!」

「...確かに、これでは話になりませんな」

「今のプロジェクトマネージャーでは駄目だ。他に仕事を任せられそうな人員はおらんのか」

「いないわけではありませんが、既にそういったメンバーは既存事業の商品開発に携わっております。引き抜くとなると今度は既存事業の商品開発に影響が出ますし、どのプロジェクトも切りが良いタイミングまで期間があります」


 企業とは人の集まりであり、結局のところ何をやるにしても人材が必要となる。優秀な人間が一人でできることには限界があり、大日本モーターのような大企業であれば優秀な人材はいくらいても足りない。


 優秀かつ少数精鋭の組織と平均的かつ大人数の組織が比較されることは多いが、実際に世界トップ企業となるために必要な組織編成とは、優秀な人員を可能な限り大量に揃えることである。


 しかしながら、そういった優秀な人材はいつの時代も不足しており、どこの企業も限られたリソースをやりくりせざるを得ないのが実情である。




 向日社長は冷めきったお茶を一息で飲み干し、大きなため息をついた後に決断を下す。


「...やむを得ん、有望な企業を買収するしかないか」

「EV関連の商品を抱えた企業をですか? かといって、社内で事業指揮を任せられる人間もおりませんが」

「それを含めて買収する。新規事業の立ち上げ・指揮を任せられる優秀な人材。そして有望な新商品を抱えた企業を探す」

「既に買収候補は選定しておりますが、そこまで都合の良い企業があったかどうか...」


 そういって藤堂は事前に用意しておいた買収候補をまとめた資料をディスプレイに映し出す。どの企業もEV関連に進出を始めている企業であり、それなりに有望そうな商品を抱えている。


「ほれ、この前目をつけていた企業があるだろ」

「どちらでしょうか」

「上場していた小さな会社だ。ここ数年で若い新社長に変わったところがあっただろう」

「若い社長に変わった上場企業となると高寺電機でしょうか」

「それだ!」


 高寺電機株式会社。東証2部上場の売上30億、営業利益2億、時価総額40億足らずの製造業者である。


 元々は農機向けのパーツを製造していたが、経営は傾く一方で事業は縮小し続けていた。そんな中、代表者死亡に伴い新社長が就任した。新社長は経営改革に着手し既存事業の負債を減らしつつ、2年かけてEV関連の製品開発を進めていたが、その研究成果が徐々に認められつつあった。




「あそこが開発しているのはモーターやインバーターなどが一体化した製品でしたね。弊社でも似たような商品の研究には着手していますし、そのまま技術を転用されるつもりでしょうか」

「その通り。製品展示会でも見てきたが、あそこの設計はよく出来ていた。あれならうちの製造ラインにも転用できる」

「製品としても問題なしと。人材の方は?」

「あそこの社長をそのままプロジェクトマネージャーにする」

「任せられる人材ということでしょうか?」

「もちろん確認はするが、あのボロボロの企業を立て直しつつ、新しい事業で有望な商品を開発したのだから問題はないだろう。前の社長や経営陣を知っているが、文字通り何もしないタダ飯ぐらいだったわ。そんな中、粘り強く問題に取り組める人間ならまず合格だろう。新社長とは業界の集まりで一度話しただけだが、日本の経営者にしては珍しくしっかりとした事業の展望を持っていたぞ」


 大日本モーターでは過去何社も企業を買収してきた実績がある。その中には経営者が悪く本来の価値を発揮できていない企業もあれば、ボロボロの企業を経営者が支えている企業もあった。それだけに向日社長は経営者の重要性を理解していた。


 また大日本モーターでは現在、EV関連の商品としてモーターやインバーター、その他の部品が一体化したトラクションモーターシステムを研究していた。この製品であれば、複数の部品を組み合わせる必要がなく、電気自動車を設計する際の手間が大きく削減される。


 このように、あらかじめ一体化しておくことで接続周りの無駄を排除し、小型・軽量・高出力といった最適化を行うことが可能となり、複数の部品を組み合わせるよりも安価で高機能なものとなる。


 しかし、省スペースに多種の部品を組み込むことから設計難易度が高く、大日本モーターでの開発状況は芳しくなかった。この商品が軌道に乗れば、EV関連の標準商品としての地位を狙うこともできるだけに、何としても販売に漕ぎ着けたいところだった。




「よし、そうと決まれば今すぐ買収の準備に動け」

「承知しました。相手は上場企業なので下準備は短期間で終わるでしょう。とはいえ、今回の目的は人材と開発中の新商品。評価額の妥当性や提示額などに関しては、適当に割り切るしかありません」

「それで構わんから頼んだぞ。この手の買収で細かい金額を詰めたところで意味はない」

「財務状況の確認などを含め、分析結果は数日中にお見せします。社長は今の時価総額に対してどの程度まで積み増すのか、その点だけお考えをまとめておいて下さい」

「うむ。とはいえ、今回のケースで言えば2倍までならその場で相手の言い値を飲む」


 藤堂は立ち上がって資料を整理し、ノートPCを持って会議室から退出する。


 残された向日社長は高寺電機のWebサイトを開き、企業概要や沿革、事業紹介のページを1つ1つ確認していく。そして、最後にトップメッセージのページに載る新社長の画像を見てつぶやく。


「この男とこの企業が欲しい」


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