ギャル最強説を提唱したい! ~~ 物語を作るのに際してのお話
ギャルって最強じゃね?
物語を書くうえではそう思うようになった。
最近になって、小説家になろうで文章を書くようになって痛感したことがある。
2点ある。
1つは読点を入れる場所。
国語は得意な科目だったんだが、これだけは昔からどこに入れればいいのか、イマイチ理解ができない。
まあこれは、調べて勉強すればなんとかなるとは思うので今回の本題ではない。
もう1つは人物の描写やセリフついて。
物語を書く前に自分が思っていたよりも、これが難しい。
言葉が上手く出てこないのである。
主人公が置かれている立場や状況といった場面を説明することはさほど難しくない。
それは今まで学生生活でのレポートやレジュメの作成、仕事における資料やマニュアルの作成等で行ってきたことと類似する。
要は、事象と事実、それに自信の考察や感想を付け加えるだけだからだ。
しかし、人物の描写については見た目であれば、そのキャラクターの出で立ちを言葉だけで説明して理解、共感してもらわなければならない。
具体的なモデルが居れば、ある程度は容易になるかもしれないが、自分で1から作るとなると、なかなかどうしてうまくいかないものだったりした。
またセリフなんかも自分では普段使わない言葉を使うため、自身の心の中で色々な人物を演じるような感覚を覚える。
私は漫画が好きでよく読むのだか、作者のあとがき等で主人公ではないキャラクターがお気に入りだった、それはそのキャラクターが、意図してないのにどんどんとまるで、自分の意思を持って動いてしまい、それに従ってペンを走らせただけになった。
といった様な話を読むことがよくある。
そして、その話に上がるキャラクターの多くは活発で積極的、明るくて、少しおバカなキャラクターが多いように思える。
その条件に当てはまるキャラクターがギャルではないかと思う。
ギャルの見た目の描写なら、イメージが容易で表現も比較的容易な気がする。
大人しいキャラクターでは話が終わってしまうような会話でも、ギャルなら自然と話を繋げられるような気がする。
おバカなギャルなら、こっちが意図しないような行動を取って勝手に動いてくれるような気がする。
テキトーな言葉を作ってセリフに入れればそれだけでキャラが立つ。
ギャルは貞操観念が緩いという先入観がある、いわゆるビッチというやつだ。
それを逆手に取ることで見た目ギャル、中身は主人公にのみデレる淑女といった、ギャップ萌えなキャラ付けをされたギャルが出てくる作品も巷には多くある。
需要もあるということである。
描写が容易、動かしやすい、間が保つ、需要がある。
ギャル最強説の誕生ではないだろうか。
余談になるが、昔テレビで役者は、確かにその役を演じてはいるが、普段の自分ではないが、自分の中に持ってないものは演じることが出来ないといった話を聞いたことがある。
その時はよくわからなかったが、今になって腑に落ちた部分もある。
だからこそ役者は若いは色々なことを経験することに時間を使えと言われたり、20代、30代などまだ駆け出しだと言われるのも分かる気がする。
確かに若いうちでないと出来ない役もあるのかもしれないけど、年齢を重ねれば、自分の中に深みというか、広がりというか、場面により、色々なキャラクターを作り演じることが出来るようになる。
それは役者出なくて、一般の我々でもそうである。
職場での自分、家庭での自分、友達と居るときの自分、恋人と居るときの自分、子供と接しているときの自分。
全て意識してはいないが、違う顔を演じているのではないだろうか。
文章を書く際にも、自分の中にあるものを捻り出して書き上げていく作業だと思われる。
いつかギャルが出てくる小説を書いてみたいと思っているのは、ただ単に書きやすそうだからなのか、それとも私自身の中に住んでいるギャルの面が出たがっているのか……
前者だと思いたい。
あげぽよ~