シーン05「勝利の法則は決まった(本文とは関係ありません)」その3
「うわっ! な……何ですかこれは!」
充の口から凄まじい勢いで真っ黒な煙のようなものが吐き出される。すぐ近くでその直撃をくらったピエロは気が遠くなり、その場にうずくまる。ライターを持つ手から力が抜け、その火が消える寸前、アリスが跳躍してきた。
「ミツルさん!」
白目を向いて床に倒れ、それでも口から延々と真っ黒い煙を吐き出し続ける充。あっという間に小さな休憩室は視界ゼロの暗闇になり、アリスは彼を見失う。
「いいか。これは元々、相手のマフトを強制的に排出させて抵抗力を奪う、捕虜に対する人道的配慮のための薬だ。普通の人間ならこれだけで体内のマフトを根こそぎ吐き出してしまう」
と、爪の先ほどの小さな黒い石を示すヨーコ。昨夜、ユウたちがアジトにしていた廃コンビニでの事である。
「ただしお前は常識はずれの特異体質だからな。いざという時の失敗は避けたい。万にひとつの間違いも命取りになるから、通常の一万倍に超圧縮をかけといた」
それ、俺が飲んでも死なないか?
「大丈夫だ、マフトをなくしても人は死なない。ただ、死ぬほど苦しいかもしれないが」
「嫌だよ。どうせ、万に一つだから一万倍とか、そういうふざけた理由なんだろ? 絶対嫌だからな!」
充の言葉に、ヨーコは珍しく真面目な表情でうなずいた。
「使うかどうかはミツルの判断に任せる。僕もアリスも、奥歯にマフトを貯めた石を圧縮させたものを仕込んでいるんだ。いざという時の非常用だな。同じように、ミツルの奥歯にも仕込んでおく。最後の手段として」
……という危険なモノをたった今、充は使ったのである。
もうもうと煙が充満する中、ヨーコも遅れて跳躍してきた。
「うわっ、なんだこれ? ……ていうかアリス、君はなんでそんなに元気なんだ……マフト欠乏症がこんなに辛いなんて……立っているのもしんどい」
視界ゼロなので声だけである。
「小僧が、ふざけた真似を!」
怒りを含んだピエロの声。盛大にマフトを使って休憩室の天井をすべて吹き飛ばした。怒りに我を忘れたか、力の制御ができなかったのか。上空の超高度結界にまで穴を開けてしまった。
屋上の小部屋から真っ黒い煙がもくもくと吐き出される。その煙は量が多すぎ、濃度が濃すぎるために大気に薄まってもなお上空へと昇っていき、結界に開いた穴から外へと流れ出ていった。
換気が行われたことで、休憩室内の視界が戻ってくる。
気を失い、それでもまだ口から煙を吐き出し続けている充に、アリスが駆け寄る。
「ミツルさん! しっかりしてください」
横たわる彼の手を握る。体内のマフトが相当少なくなっているのが分かる。
「お二人も招かれざる客をお迎えしてしまいましたねえ……実に、不愉快です」
ピエロの白塗りは充の吐き出した高濃度のクズのようなマフトによって煤けたように汚れていた。はっきりと敵意をむきだしにして自らの武器を取り出す。それは、死神が持つような巨大な鎌だ。ピエロというよりも死神の様な姿。
「おいおい忘れてないか? まだゲームは終わってないぞ。攻撃したらお前も……」
ヨーコの牽制に忌々しげな視線をやると、
「ゲームマスターの権限により、ゲームは終了! 勝負なしの、ノーゲームです!」
一瞬ルゲル・ブッフェが白く輝き、その表面に刻まれた文字が消えた。
「これでリセット……マフトを少々隠し持っていたのでしょうが、そんなもので戦えますまい」
おお、こちらには援軍ですよと窓の外を見る道化師。馬の足音が屋上のコンクリートに響く。
「あらあ、とんでもないことになってるじゃないの。ほら、いたずらしてたガキを捕まえてきたわよ」
ポイッと室内に投げ入れられたのは、緑の縄で縛り上げられたユウだった。
「ほう。もう一人いるのだろうとは思っていましたが……どういうからくりなのでしょう?」
形勢が有利になり、余裕を取り戻したピエロが言う。
「知りたいか? ……いいのかな。悪役はそうやってもったいつけるから最後にやられるんだぞ?」
ヨーコの言葉を相手は笑い飛ばした。
「この状況でどうしようというのです? ……ああ、ゴライアスも来ました。ゲルダはしばらく無理でしょうが……お二人のマフトは少々時間をおいたところで復旧などできないでしょう。
これは純粋な興味と、おそらくそれを考えたのであろう貴女に対する礼儀ですよ。もうゲームは終わったんです。タネ明かしをしても良いでしょう? どうやってルゲル・ブッフェに刻まれた決まりを破ったのです」
ふん、と軽く鼻を鳴らす。
「そんなこと言って、もうわかってるんだろ? 変わり身だよ。ブレスレットをはめるより前、このモールに入ってすぐに少年Aはマフトで作った偽物を残して身を隠していたんだ。偽物には時々ミツルが補給しながらな。でも自分が隠密行動しつつ偽物を遠隔操作するのは難しい。だから偽物の方は少女Aが動かしていたんだ。少年のフリをしてな」
ユイの人格がユウのフリをしてマフトの合成物を操っていた……結局一人じゃん、という気もするが、このモールに入ってからユウとユイは完全に別行動をとっていたのだ。
そして牢屋内に水と火を用意し、アリスとヨーコをジャンプさせた。もともとブレスレットをつけていないユウ(本体)にルールは適用されないので、屋上も自由に行動できた。
そこまでは、計画通りだったのだが。
「残念でしたねえ。現状の戦力差は埋められないでしょう? 今戦えるのはそちらのヴァイオレンスなお嬢さんだけだ。それでも、ゴライアスに武器を持たせて攻撃を指示したら、とても敵わないでしょう?」
「……無理だな。現状の戦力では、どうやったって勝てっこない。それに僕はお腹がすいた。マフトも空っぽで、正直帰りたい」
ぷっ、とピエロは吹き出す。
「あっはははああ! 何とも正直なお嬢さんだ! そうですね。もう終わりにしましょう。残念な結果ではありますが、そちらのアックに恭順の意志は期待できそうにありませんし、他の方々もご同様のようだ。後顧の憂いを絶っておきましょうか」
そう言って、巨大な鎌を振り上げる。休憩室の外で控えているゴライアスも、いつでも参戦できる構えだ。
「どうだ、アリス?」
床に座り込み、充の手を握ったままのアリスに声をかけるヨーコ。
「……そうね。やっぱり火もあった方が良いって。お願いできる?」
了解だ、と床に転がっていたライターを拾い、火をつけた。次の瞬間。
ヨーコの手の火と、床にこぼれた水から戦闘服の男が現れた。どちらも小さなものなので一人ずつだったが、よく訓練された動きで次々と跳躍を完了させ、十数人の異世界軍人たちはあっという間にピエロたちを包囲した。
「動くな!」
男たちの服装はオリーブグリーンの軍服。野戦用の戦闘服だ。ただし手にしている武器はそれぞれで、剣や槍、弓を構えた者もいれば、中には魔法使いの持つような杖を構えている兵も居る。
武器を捨て、投降の意思を示すピエロたち。
ピエロが結界に穴を開けたことで通信可能になり、連合軍本部は出動準備の完了をアリスの鼓膜に直接伝えていたのだ。遠距離だったが跳躍するポイントは充の吐き出す煙が狼煙の役目を果たして座標が確定できたため、失敗のリスクはほぼゼロだった。
「アリス……いや、フェルドウェベル。ご苦労だった。その少年が?」
彼女に声をかける、見事な銀髪を撫で付け、同じく銀色に輝くヒゲを蓄えた男性。襟元の階級章を見るまでもなく、彼がこの部隊のトップであることが存在感と威厳でわかる。
「おとうさま……い、いえゲネラル・オベルスト!」
立ち上がって敬礼をしようとする彼女を手で制する。その目は鋭いながらも娘に対する愛情に満ちていた。
「よくやった。そして、彼のおかげだな。あのジョーカーと名乗っていた男は国際手配されているテロリストだ」
そして、とヨーコの方を振り返る。
「スタッヴドフェルドウェベル・ヨーコ。本部への報告もなしに独断専行で敵への攻撃行動を行なった責任については、後日の査問委員会を待つとして……」
ええそんなああ。おじさま多めに見てくださいよぉと泣きつくヨーコをスルーして、アリスの義父は緑の戒めを解かれたユウに視線を移す。
「その子供は?」
「あー、えっとそのぅ……」
言いよどむヨーコに代わってアリスが声をあげる。
「味方です。プリングパトゥースに不法に身柄を拘束されているのを救出してから、一緒に戦ってくれていました」
アリスの最初の戦闘時の記録は残っているはずだが、強い口調で言い切った。
「そうか。それでは、保護対象として扱うべきか?」
「はい……おとうさま」
わかった、とうなずく銀髪の男性。この場で彼女が自分をそう呼ぶのは無理を承知での願い、という事だ。そして彼は自分の娘の判断力を信頼していた。
それまで固まっていたユウが子供らしい表情でほっとした。
「良かったぁ……。お姉ちゃん、意外にいい人だったんだね!」
ユウの言葉に目を丸くするアリス。
「貴方……正直な性格なのね」
ぷっと、ヨーコが吹き出す。
「君も、相当なものだ」
なんのこと? と問い返すアリス。周りの者も微苦笑を浮かべる。
池田充は夢を見ていた。
どこだろう、ここ。風が吹いて、桜の花びらが舞い散った。
うちの学校の裏に桜の木なんてあったっけ?
多分ないよな。まあいいけど。
「ミツルさん」
セーラー服姿……冬服の。そうか、桜の季節なら長袖だよなと妙なところでディテールにこだわりを見せる。
春風が彼女の黒髪を揺らす。
アリスは、桜の木の下で充を待っていた。そうだ、このシチュエーションだったら告白しなくちゃ。それはもう、必然だろう。ここまで頑張ってきてやっとたどり着いたハッピーエンド。
いやひょっとしたらトゥルーエンドかも。なんにしろ他の分岐は要らない。特に水色頭の人のルートなんて願い下げだ。
「アリス! ずっと君が好きだった」
夢の中なので時間軸とか無視で。
「ミツルさんわたしもです!」
なんか棒読みだったのはスルーして。
目を閉じた彼女の唇に充は
「ミツルさん! 気がつきましたか! 良かった」
目を開いてすぐ、アリスの顔がすぐ近くにあった。たった今の自分の夢を思い出して恥ずかしくなる。なんであんな夢?
マットのような物の上に寝かされていた。近くでアリスは正座していたが、手を握ってくれてたりとか膝枕してくれてたりとか、そういうのはなかった。
やはり彼女にお約束を求めるのは無理かと改めて充は思う。
「イケダミツル殿。この度は娘が大変お世話になりました」
渋い声でいきなり言われて驚いて声の主を探すと、床に背筋を伸ばして正座した銀髪の男性が。周囲を見渡す。モールの休憩室だった部屋だ。室内には何人かの軍服姿の男たち。みな、気がついた充のことを興味深げに見ている。
ヨーコとユウも無事だ。随分汚れてしまった半袖セーラー服のアリスも。なぜか室内が火事にでもなったように煤けて黒く汚れていた。天井がなくなって青空が広がっていた。
何が起こったのかはわからないが、何とかなったようだ。
「良かった。みんな無事だったのか」
お兄ちゃーん、とユウ……いや、ユイが飛びついてくる。すっとアリスは身をひいた。
「いやー、あのクスリ思ったより強力だったみたいでさあ。ミツルあのままだとヤバかったんだって」
軽い口調で言うヨーコ。
「いや、命に別状はないんだぞ? でもなんかねー、下手すると脳機能に重大な欠損が」
そんなかるーく恐ろしいこと言うんじゃねえよ。
「はあ……。もういいよ。死ぬ気で使ったのは俺だし、何とかなったんなら」
ミツルさん、とアリスがこわばった表情で言う。
「本当に、危険な状態だったのですよ? おとうさまの救命措置で何とか事なきを得たと言っても過言ではないのですから」
ないのですか。それはお世話になりまして……
「いえ、それはこちらのセリフです。職業軍人が護衛対象者に助けられたのですから面目もない。それに、イケダミツル殿の捨て身の行動がなければ今頃、全員ここにはいなかったでしょう。プリングパトゥースに入国されてしまったら奪還も困難でした」
本当に、いくら感謝しても足りません、と再び頭を下げる。
……ん? 救命措置?
そう言われてすぐに思いつくのは心臓マッサージと、人工呼吸だよな。
特にマフトを大量に失って倒れていたわけだから、効率的な供給が必要だったはず。
おとうさま。
目の前の、俳優ばりに二枚目なオジサマの顔を見つめる。かっこいい上になんか誠実そうなオーラ出てるなあ。口ひげもよくお似合いで……
夢の中でのアリスとのキス。
その時の感触が蘇る。おとうさまの口ひげとそれが重なった。
……俺のファーストキスが……。
あんな夢を見たのはそのせいだったのか……。
「……なんだかなあ」
池田充はため息をついた。その理由はその場にそぐわないものだったので黙っておいた。




