シーン02「ウサギは寂しいと死んじゃうんだよ(嘘)」その5
「それでは、準備します」
立ち上がり、ガス台の下の棚から大きなロウソクとライターを取り出してきた。
部屋の照明をつけてから暗幕をきっちりと閉め、ロウソクに火を灯していく。
部屋の四隅にそれぞれ一本ずつ。
新しいアパートだったら火災報知機が鳴ってるな、と充は思う。
火を触媒にしてマフトを展開し、室内に結界を張る……外とは違う次元の空間にしてしまうことによって、音や光を漏らさないだけでなく、外部からの侵入や干渉を防ぐのだという。
室内の照明を消す。ロウソクの灯りだけが残された光源となる。
「本来これは、子供や女性などのための護身術です。体内のマフトを後先考えずに吐き出し、勢いのみならず、その質の悪さすらも相手に対する攻撃力にしてしまおうという一石二鳥な攻撃なのです」
狭い部屋とはいえ四隅のロウソクだけでは暗い。長い黒髪の彼女は、揺らめく灯りに照らされて黒魔術師のような怪しげな影をまとっていた。
「要は、だれでも簡単にできる護身術です。どれだけミツルさんがボンクラでも、三十分も練習すれば習得できるはずです」
軽い口調で、黒魔術師のごとき美少女は言う。
「アリス、フラグって言葉、知ってる?」
「え? ……うまく、翻訳されませんね。なんですか、旗……?」
……案の定であった。
「もっと腹から声を! いや魂の叫びを!」
「はああああぁぁぁ!」
アリスが言うには、力を込めて気合とともに声を出せば体内のマフトが放出されるというのだが。
「どうした、そんなものか! 貴様の根性を見せてみろ!」
「はあああああっっっ!!」
練習開始から一時間は優に過ぎていたが、充はまったくマフトを放出できずにいた。
「この○×▲◆(ピー)が! 貴様の∀※(ピー)は☆§(ピー)か! もっとだ! もっと死ぬ気でやってみせろ!」
ノーマルな人間には精神汚染であり、ある種の人には極上のご褒美である罵詈雑言を受けながらの特訓は続けられた。
「はあ、はあ……教官、もうダメです! 私はドジでノロマな亀なんです!」
「……何を言っているのですか? ミツルさんは人類です。爬虫類ではありません」
ついつい新兵の訓練のようになってしまい失礼しました、と冷静さを取り戻したアリス軍曹の言葉。そうか、亀は両生類でなく爬虫類なのかと充は目から鱗を落とした。
「ちょっと待ってくれよ! 子供でもできる簡単な護身術じゃなかったのかよ」
充はアパートの床に大の字に寝転がった。もうあかん。むりだ。
室内は蒸し風呂のように暑く、充はワイシャツ一枚になって腕まくりをしても汗だくになっていた。アリスは反対に涼しい顔で汗ひとつかいていない。
暗幕を開け、窓から外気を取り込む。ああ、風がきもちいい……。
「……そのはずなのですが。むしろ、犬でもできるような簡単なことです。キャンキャンと吠える程度のことですから」
くっ……。犬以下……だと?
ある種の属性を持たない充は、普通に落ち込んだ。
「あ、違います! そういう意味ではなく」
さすがに気がついて何とか取り繕おうとするアリス。
「……じゃあ、どういう意味?」
「え……ええと、その。大人になって子供の心が失われたというか」
フォローになってない。
「……え? ……ああ、そうね。その通りだわ!」
どうやら作戦指令部からの入れ知恵がきたらしい。それにしても、あっちからの声は他の人には聞こえないようになっているのか。
「はい、任務遂行中に敵に気づかれたりということがないよう、スピーゲルウェルドからの通信はわたしの鼓膜に直接届くようになっています……いえ、そんな事より! ミツルさんは規格外のアックである、という事なのです」
アッグ……アッグガイ? どっちでもいいけど。
「いえアックです。つまり体内に蓄える能力が強すぎて、まったく外に放出しないという事なのです。これはつまり、優秀なアックであるが故の弊害であると言えます」
言えるのか。
「ええ。ですので、この護身術は無理という事です」
……疲れた。骨折り損のくたびれ儲け、というのはこういう時に使う言葉なんだな。




