第5話 前座(その5)
中学3年の時の‘初ライブ’の記憶をぼんやりと思い出しながら、マスターがもう一度繰り返して言うのを僕は聞いていた。
「ライブ、やりたいだろ」
僕がマスターの言葉に何か反応する前に、武藤が答えた。
「いや、そんなにやりたい、ってこともないけど」
マスターが苦笑いのような、なんとも言えない嫌な感じの笑い顔になる。
「お前ら、なんでバンドやってるの?」
今までに、何回かこの問いを受けたことはあった。「なんで?」と訊かれると、「さあ」としか答えようがないのが、僕たちなのだ。
咲が口を開いた。
「わたしは、この場所が好きだから」
「ああ?」
マスターが間髪入れずに短い疑問符を発し、咲の次の言葉を促す。
「ここに集まるなら、別に、バンドでなくてもいい」
「そうか・・・」
マスターが怒っているのか、呆れているのか、表情からは読み取れない。
「そういう感覚が、お前らのいいところかもしれないな・・・」
マスターは手元にあったコーヒーのボトルに口をつけ、ごくごくと大量に飲んだ。
「ライブ、やってくれ」
今のやりとりとあまりつながらない文脈でのマスターの言葉に、僕たちは軽く緊張した。
「隣で?」
隣とは、この‘ポピー’のライブハウスのことだ。僕は中3の時のあの夜の感覚を思い出した。僕は、積極的ではないけれども、もう一度あの時の客たちのような顔を見てみたいと思った。
「隣じゃない」
「え?」
言葉を発したのは加藤だったが、僕らは同じ思いで一斉にマスターの顔を見た。
「‘大都’の隣のイベント広場で。7月に‘たかい夕涼みシリーズ’っていう連続イベントをまちづくり法人が主催するんだ。その内の一晩が、‘BARたかい’ってのをやる。あそこの簡易ステージの前に丸テーブルを並べて。ビヤガーデンじゃないぞ。勤め帰りの人らにまあ、ハイボールとかカクテルとか出すんだろうな」
‘大都’はこの鷹井市における唯一のデパートだ。大都と20m程の間隔を空けて立つ立体駐車場とにガラスの屋根をかけ、吹きさらしではあるけれども全天候型のイベントスペースがある。以前、何かのイベントの設営準備の時見かけたが、床からステージがせり出してきていた。また、機材の入った倉庫も床からせり出して、設営後、またフラットな広場に戻るというかなりお金をかけた仕様だ。高齢化とまちなか回帰を意識して作られた複合施設で、この市の市長が中心となって進めてきた取組の一つだ。市を走る市電やコミュニティバスと言った公共交通を整備し、いずれは老いにより車での移動ができなくなるであろう高齢者のまちなか生活が事足りるようにマンションや図書館、総合病院などもこの一角に詰め込まれ始めている。
そして、このポピーは、大都のあるアーケードの続きではあるけれども、数百メートル離れた場所に位置する。アーケード自体さびれているが、ポピーはさらにさびれた、アーケードの端っこにある。まちづくり法人の事務所もこのアーケードの中にある。
「3組ほど出演バンドを見繕ってくれと頼まれてな。あまりうるさいやつはやめてくれ、って言われた」
「え・・・でも、それって、僕たちでいいの?」
武藤が訊く。なんだか中3の時とほぼ同じやりとりをしているような気がする。
「うん、いい。謝礼もそんなに出ないしな・・・
見た目もお前らみたいなバンドの方が、バーの客も緊張しないだろうし。
まあ、3組出る内の前座だな」
「でも、そんな雰囲気のバーなのに、でかい音出すとまずいんじゃない?」
僕は、ポピーに出演するのが、激情で叫ぶようなバンドが多いことを段々と知っていたので、こう聞いた。
「まずい。だから、音量は絞るそうだ。基本、生ドラムの音量に遮られない程度に他の楽器の音を合わせる、って感じだろうな。
曲も、あんまりやかましい曲は駄目だぞ。それでな」
マスターは僕の方に顔を向ける。
「室田は詩は書けるか?」
突拍子もない問いのような気がしたが、直接的に答えようと、しばらく考える。
詩・・・というか、日記っぽい感じのものを気が向いたら週に2~3回書く、という習慣を、実は小学生の時から続けている。主には‘あいつら’と僕との惨めな関係を打ち消したいという、ぐじぐじした情けない内容の記録や感情を2~3行で書きなぐっただけのものだ。余白が多く、それでも薄いノート2冊にも満たない程度のものだ。
「詩、っぽいものは、たまに書くけど」
この僕の答えには、マスターよりも、バンドの他の3人が「え?」と反応した。
「室田、って詩を書いてたんだ・・・」
なぜか咲が感慨深げに、ぼそっと呟く。僕は否定も何もせず、できるだけ平然とした顔を装っていた。
「誰か曲書いてないか?」
みんなで顔を見合わせる。見合わせている顔の中、咲だけが俯いた。
「何曲か、ある・・・
ピアノ用に作った曲だけど・・・」
咲が、恥ずかしそうに、呟くように言うと、ほう?と、マスターが鋭く興味を示す。
「どんな曲?」
マスターが咲に訊く。
「・・・嫌な事があって鍵盤を叩きつけるのにちょうどいい激しい曲とか。
反対に、何か別のいい場所がないかな、っていう現実逃避の気持ちの能天気な曲とか、4、5曲。
でも、作ったわたしの気持ちさえ横にどければ、アレンジでどんな曲にもできる」
「お前ら、楽譜読めるか?」
マスターは、咲以外の男3人に訊いた。3人とも、即座に首を振る。
「しょうがないな・・・
咲、お前の曲は楽譜に起こしてあるんだろう?悪いけど、こいつらに音にして聞かせてやりたいから、弾いたやつを持って来てくれないか?
ピアノの音を生で録音するのは大変だろうから、ノートPCと専用の演奏キーボードを貸してやる。それで弾いてデータで持って来てくれないか」
ううん、と咲は首を振る。
「楽譜はPCに入力してあるから、そのデータをUSBで持ってくる」
咲の答えを聞いて、マスターは満足そうに頷く。男3人は、全く話についていけない。
しかも、曲や詩をどうするというのか、未だに僕は呑み込めていない。
「どうせうるさくないような曲を選ぶなら、オリジナル曲でやった方が早いだろう。
スピードはともかく、抑えた曲をやるのもいいぞ。咲の曲を使って、アレンジは俺がしてやる。お前らが耳コピでできるようにな。
それで、室田はそれに詩をつけろ」
そう言うとマスターは、改めて僕の顔をじろじろ見て、続けた。
「曲に詩をつけるとなると、お前の独りよがりじゃ駄目だぞ。少なくとも、お前の感情を整理しないと書けないぞ」
出演は、決まった、ということになるのだろう。
4人の内、誰一人として「出ます」とは言っていないのだけれども。
これが僕たちが殴られる側にあった最大の理由かもしれない。
反面、それが僕たちらしさと言ったら言ったになるのかもしれない。