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4live  作者: @naka-motoo
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第4話 前座(その4)

 初めて足を踏み入れたライブハウスという場所のステージ袖に僕たちはいた。

 ちらりと客の方を見ると、びっしり。スタンディングでざっと200人くらいもいる。

 僕はぎょっとした。

 ‘地方の場末のライブハウス’とマスター自ら自嘲して言っていたこの店、「ポピー」。

 本当に閑古鳥が鳴いているような、せいぜい20~30人程度の客が仲間内のバンドから割り当てのチケットを強制的に買うように言われた知り合い同士の馴れ合いのステージ程度にしか思っていなかったが、それが完全に間違いであることに気が付いた。

 冷や汗が出て、膝が本当にガクガクと震え始める。

 中学1年の春、‘あいつら’に轟音を叩きつけた時のことを思えば、なんてことないと思っていたが、今、目の前にいる客1人1人の顔を見ると、全身が竦んでしまう。

 談笑している客のその笑いの中には嘲笑というものが一つもない。僕にはそれがこれまでの経験から養われた肌感覚で分かる。

 僕は、嘲笑こそが恐ろしい、恐怖を感じる笑いだと今まで思い込んでいたが、それは思い違いだった。

 真面目な、と言ったら変だが、客同士の談笑の中に含まれる‘まっとうな笑い’こそが、本当に事実をえぐり、突きつける、恐ろしいものであることを覚った。

 ‘嘲笑’のごときは、単なる‘あいつら’の薄っぺらな虚構の笑いであり、真に恐れるべきものでもなんでもなかったのだ。

 僕は、気を紛らすように、マスターがさっき僕たちの親に電話した様子を思い出していた。


「・・・あ、室田さんのお宅ですか。「ポピー」の近藤です。ええ、こちらこそいつもありがとうございます」

 マスターが話している相手は僕の母親だろう。大体どういう風なことを話しているかは普段の母親の言動から想像できる。

「・・・ええ、まことに申し訳ないんですが、息子さんを少しお借りしますので。はい、ほんとに、酒とかタバコとかはライブハウスの店内では厳禁にしてますので、その辺は安心してください。ええ、息子さんの出番が終わったら、すぐに帰しますから、30分ほどだけ。・・・はい、はい、失礼します」

 マスターは受話器を置いた途端に、通話中の笑顔から元の不機嫌な顔に戻った。

「次は加藤の親だな・・・」

 また電話をかけ始める。

 中学生を夜の時間帯にライブハウスのステージに上げるということは、おそらく、何らかの問題を抱えるのだろう。ひょっとしたら、違法性すらあるかもしれない。だとしたら、親に電話して‘了承’を取ったところで何らかの責任を免れるものではないだろう。ただし、強引に親に知らしめることで、‘あなたも同罪だから黙ってろ’ということをマスターは暗に言いたいだけではないか。

 ただし、そういう責任分散だけが理由ではないだろう。

 そもそも、学校で完全に浮いてしまった中学生を、ライブハウスも経営する個人事業主の所に週2回通わせることそのものが、普通の親ならばやらないことだ。

 この成り行きには僕の父親が少なからず関わっている。

 中1の時の‘轟音叩きつけ’の前後から、僕の父親はマスターを何度も脅していたようだ。これが、仕事上の力関係なのか、個人的な貸し借りなのか分からないけれども、マスターは僕の父親に何らかの負い目があるらしい。

 轟音を叩きつけて4人が完全に中学の中で浮いてしまった後は、僕たちをフリースクールにでも通わせるような感覚で、マスターの所に週2回受け入れさせてしまった。

 僕たちにも特に異存はなかった。残り3人の親も異存は無かった。

 というのも、それぞれの親は全員、小学校の頃から4人が殴られる側の人間であり、実害を受けていたことを認知していたからだ。知っていて、それを止めることができなかったし、中学に入ってからも止める術を知らなかった。

 だから、‘バンドなんて、不良みたいなこと・・・’などと知ったようなことを言える親は1人も居なかったのだ。これは僕の親も同じだ。だから、出し物でバンドをやるのに協力するよう父親にも認めさせた。

 ただし、父親の誤算は、4人がバンドをやって自己のイメージアップを図るだけだと信じ込んで、僕が轟音叩きつけをやるとは思っていなかったことだ。

 その後は、今度は父親が僕に有無を言わせない番だった。そしてマスターにも有無を言わせなかったようだ。強制的に‘仲間’っぽい同類の4人でつるませて、浮いているとはいいながらも4人はとりあえず一緒に行動してて、完全孤独ではないですよ、という風にしたかったらしい。そして、習い事か、放課後のフリースクールの教師のようにマスターを使っているのだ。

 多分、マスターは、そういうしがらみのためだけに僕たちと付き合ってくれている、筈だ。

 そうでないと、ここまで僕たちの世話を焼く理由が見つからない。

 万に一つ、しがらみではないとしたら。

 マスターの‘慈悲’という説明くらいしかなかろう。


 たった1時間前のこの光景すら思い出しにくいほど、僕は緊張していた。

 だが、その緊張を噛みしめる時間すら与えようとせずに、マスターはマイクを手にさっさとステージに上がって、客への挨拶を始めた。

「こんばんは。今日は見に来てくれてありがとう」

と、マスターはまず客席に声をかける。それから、前座の大学生バンドが急きょ出られなくなり、出演バンドの交代があることを告げる。そして、一応、前座とはいえ、大学生バンドを楽しみにしていたファンの皆さんに申し訳ない、というようなことを言う。

「いーよ、あんなバンド!」

後方からここにいない大学生バンドへのヤジが飛び、客席がどっと笑う。

 僕はぞっとした。

 これは、嘲笑ではない。あの大学生バンドを客観的に評価し、「あんなの駄目だ」と、意見を言う、いわば、‘正当な笑い’だ。

 そして、僕たちのバンド名が告げられる。

「若いバンドです。4LIVE!」

 たった、これだけ。

 これだけ言って、マスターは後ろも振り向かずにさっさと反対側のステージ袖に歩み去って行った。

 考える間などない、とにかく、ステージに出なくては、と、ギターを抱え、マイクスタンドに向かって歩き出した。右手と右足が一緒に出ているのではないかと心配になるくらい、ガタガタだった。かなり古い照明だが、やたらと眩しい光がステージ上から降り注いでくる。

 後ろから、咲、武藤、加藤も我に返ったように歩き出して、それぞれのポジションに着いた。

 客に何か声をかけるとしたら、ギター・ボーカルの僕が言うしかない。

 しかし、僕たちは、自分達の服装がおかしく見られているのではないかと、そんなことばかりまず気になった。そして、僕たちが、‘若いバンド’というよりも、‘ただの子供’と見られているのではないかということも。

 客席の様子を窺う。

 客席は静まり返っている。新しいバンドに期待している、という様子では、絶対にない。

 僕たちを値踏みしているのだ。

 風貌は多分、とりあえず、今の段階ではどうでもいいのだろう。

 ボーカルが小太りでオタク顔で、道路に寝そべってギターをかき鳴らして叫んでも、死ぬほど格好いいバンドもある。

 だが。

 これで僕たちが1音鳴らして期待はずれだったら。

 やっぱり見た目通りのしょぼい奴らだと、切って捨てられるだろう。

 僕たちの演奏の大半は、僕がカッティングでリズムを刻むところから始まる。

 だが、‘こんばんは’ぐらい言った方がいいのだろうか、とか、余計なことを考える内に、5秒、10秒と過ぎていく。

 ちょうどその時、緊張で震える僕の右手に持ったピックが、弦に触れてしまい、外れた音が1音出た。もう、後には戻れない、と、そのままカッティングを始め、5度目の動作で、ガーン、と力強く弦に叩きつけた。

 すかさず、武藤のドラムがそれに応えて今までにない鋭いスネアをたたき出す。

 そして、武藤のバスドラに連動するように、咲のベースがこのバンドの技量としては唯一正確無比な気持ちのいいリズムを作り出す。その瞬間、加藤がリフをかき鳴らし始めた。

 ‘The Reed’の曲。歌詞は英語だが、僕は自分が何と発音しているのか分からない状態でマイクスタンドの前に突っ立って、唇をマイクにくっつけて歌う。

 自分の声がびりびりとスピーカーから自分自身の体に伝わってくる。

 途中で、ギターを弾いているのか、歌っているのか、よく分からなくなる。

 なんだか分からないまま、あっという間に演奏を終えた。

 2曲目、何か言おうかと思ったが、そんな余裕もなく、すぐにギターを弾き始めた。

 ‘詩的’の曲。

 1曲目よりもスピードはやや緩やかだが、手数の多い曲だ。本当の意味でまともに弾けているのは咲と武藤だけだろう。僕と加藤は、曲の‘雰囲気’を演奏しているに過ぎない。

 気が付くと僕のボーカルが棒読みになっているが、そんなことに構う余裕すらなかった。

 最後はスピードを緩めて曲を終え、僕は、客に何と声をかければよいのか、考えたが分からない。

 つい、

「おやすみなさい」

と、ぼそっと言ってしまった。くすくす笑う女の声もする。

 考えてみたら、本命バンドが後に控えているのに、‘おやすみなさい’はないかもしれない。

 演奏が終わって、ステージ袖に引っ込むと、マスターが声をかけてきた。

「1曲だけ、観て行けよ」

 

 僕たちは、本命バンドの演奏をステージ袖から観た。

 完璧な演奏だった。

 音がタイトで、1音1音が締まっている。

 僕たちのようにぼんやりとした音ではない。

 ボーカルの声もいい。オリジナル曲のようだが、歌詞もなかなかいい。

 客とのやりとりも上手い。

 ああ、凄いな、と思う。オムニバス盤ながら、インディーレーベルから出た新人バンド特集のCDに曲が収録されているらしい。

 200人も集まるなら、ここに出演してるだけで食っていけるんじゃないですか、と他人事で甘い言葉すらかけてあげたくなる。

 でも、確かに、あと一つ何かが足りない、というのが漠然と僕にも分かる。

 必要なものが10あるとしたら、このバンドは8か9までを、おそらく努力で手に入れてしまっている、と思う。

 それに引き換え、僕たちは10の内、2か、ひょっとしたら1しかないかもしれない。

 でも、と、僕は思った。

 この、本命バンドは、‘バンドのための努力’ばかりしていても、いつまでたってもこのままじゃないかな、と直感した。

 それが、なんなのか、分からない。無理やりたとえ話を出すとしたら、演歌歌手の歌に魂があるかどうか、みたいな範疇に入って行かざるを得ない。

 たとえば。スナック回りをしたとか、下積みの付き人時代が長かった、とか言うだけでは、同情からファンにはなって貰えても、ただ、それだけの話だ。そんなのは‘歌手としての努力’の範囲に収まる程度のことだ。それに対して。極端に貧乏な家庭で育ち、物も満足に食べられなかったとか、親が海の仕事で亡くなって天涯孤独になったとか、そういう定性要因は、ファンがその情報を得ようと得まいと、歌からにじみ出てくる。‘因果なもの’とも言えるだろう。

 これは、歌手としての努力の範囲を超えた次元の話だ。もし、その‘生い立ち’や‘境遇’そのものをも「努力」と呼ぶことができるとしたら、それは‘人間としての努力’と言えるかもしれない。‘歌手のためだけの努力’しかやりようのない人たちは永遠に同じところを回り続けてベテランになっていくしかないだろう。

 僕たちが10の内2か1持っているものは、多分、「殴られる側」にいたことによって自分達に染みついてしまった‘性根’だろう。しかし、これは努力でも何でもない。いいのか悪いのかも分からないけれども、小学校の時から、なんだかんだと毎日、毎時、毎分、毎秒、休むことなく、‘晒されてきた’結果のものだ。少なくともこの本命バンドが今から得たいと思っても、今更無理な代物ではある。

 多分、誰もこんな定性要因なんかいらないだろうけれども。

 だから、マスターが、「1曲だけ、観て行けよ」と言ったのは、この本命バンドを参考にしろ、という意味ではなかったのだと思う。多分。


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