第2話 前座(その2)
「高校で友達、いるの?」
僕は練習が終わって帰り支度を始めている3人に訊いた。
「アニメつながりの友達なら、何人かいる」
武藤はスティックを持った手をだらんと下げたままで答えた。
「室田は、いるの?」
加藤の問いに僕は即座に答える。
「いない」
加藤もぼそっと呟く。
「僕も、いない」
このバンドの男3人は自分のことを‘俺’と言えない。‘僕’と言う。
この辺は、結構重要なポイントではないかと自分でも感じる時がある。
‘俺’と自分を呼ぶことによって、自分がいる同年齢の集団の中での互いの壁が取り払われるような感覚が、大多数の男にはあるはずだ。‘俺’と呼ぶことで共感しあうのだ。
けれども、僕たち3人は、子供の頃からずっと自分のことを‘俺’と呼べなかった。‘俺’と言った方が皆に溶け込めると分かっているにも拘わらず、自分ごとき変な奴が‘俺’と自称していいのだろうか、と感じた。これは、「殴られ」を助長することとなった自分達自身の責任の一部だ。
その点、女は‘わたし’と言えば事足りる。‘俺’も‘僕’もない。羨ましいと思う。
そんな羨ましいはずの咲に向かって、3人が目で回答を促す。
「わたしは、」
咲の回答には少なからず興味がある。咲は「殴られ側」でさえなければ、どう見ても世の中で優遇されるべき容姿や才能を持つ人間だと思える。その咲が中学までの知り合いがそんなにいないであろう高校で、自分達が知らない充実した学生生活を送っていて欲しい、という期待のようなものもあった。そういう咲の知り合いであることによって、自分達自身も少しはまともな人間になったような気になれると思った。
「1人だけいる」
咲の答えは期待に応えているとも言えないし、応えていないとも言えないような、微妙なもので、男3人には判断しかねた。加藤は、咲に言った。
「1人でも、居るならいいな」
何となく、僕はスタジオの天井の方へと視線をやった。安っぽい暖色の照明が目に入り、眩しい、と目を閉じるとその残像が暗い瞼の中でオレンジ色に光った。
「みんな、学校でどうしてるの?」
武藤の問いの意味は、僕たちには良く伝わる。
それは、教室で1人ぽつんといる時間を、どうやって他のクラスメートに‘違和感がない’ように見せるか、‘友達のいない寂しい変な奴だ’という風に思わせないようにカモフラージュするかという問いだ。
「本を読んでる」
加藤は言う。
「僕も」
武藤も言う。
「本か、自習の振りをする」
僕がそう言うと加藤がすかさず、
「振りなんだ?」
と、曖昧な笑いをする。
この4人は、見事なまでにスマホも携帯も持っていない。スマホをいじっていれば、‘自分はひとりぼっちじゃないんですよ’という恰好のアピールになるのに。
「咲は?」
僕が訊くと、咲はこう答えた。
「教室でその子が近くに居ない時は、ピアノ弾いてる」
「ピアノ?」
僕は、小学校の教室にあった、音楽の授業用のキーボードのようなものを想像し、談笑しているクラスメートたちの前でぽつんとピアノを弾く咲という異様な光景を思い浮かべた。
僕のとんちんかんな想像を知ってか知らずか、
「休み時間に音楽室によく行く」
と咲が付け足す。更に付け足す。
「その子もピアノやってる。音楽室に行ったら先にその子がピアノ弾いてて、同じクラスだって初めて気が付いた」
「その子もピアノ上手いの?」
咲がどの程度ピアノが上手いのかは弾いているのを聴いたことがないので分からないが、マスターは咲のベースを聴いただけで、相当な音楽センスがあるからピアノもかなり上手いはずだ、と言ったことがある。
「わたしより、上手い」
咲がそういうのだから、そうなのだろう。咲は事実しか言わない。自分の主観的な感想というものは極力排除した物言いをするのが、咲だ。
「その子は女?男?」
武藤の問いに、咲はふっ、と笑うような感じで答える。
「女」
咲は軽く笑って更に続ける。
「彼でもいると思った?」
「咲ならいてもおかしくないでしょ」
僕は咲に真顔で言う。
僕たちは、咲に対しては他の女子に対してとは違い、気持ち悪い奴と思われないかとか、恥ずかしいとかいうことを考えずにこういうことをすっと言える。
「まさか」
咲は半分笑い、半分真顔で答える。
「わたしは結婚とかできないんじゃないか、って思ってる」
僕はそれを聞いて、ああそうか、と一瞬目を閉じた。
僕も、自分が結婚できるとは思っていない。想像がつかない。もし、自分が気になる女の子がいたとして、仮に付き合えたとする。その子と一緒にいる時にもし、‘あいつら’とばったり出くわしたら、と、本気で想像することがある。
そして、もし、結婚して子供ができた時。子供と一緒に歩いていて、もし、‘あいつら’とばったり出くわし、子供の前で、「お前の父親は‘基本的人権’すらないようなちょろい奴だった」と嘲笑されたら。
現実的にこういうことはそうそうないだろうとは思う。でも、そのあり得ないようなことが万が一起こった時、子供もまた‘ちょろい奴’にされてしまうような、そんな恐れが深層心理に常にあるような気がする。
少なくとも。同窓会と名の付くものには決して行きたくはない。
「この4人は」
武藤が不意に言った。
「友達だよね?」
一瞬、皆、沈黙する。それから何十秒か、誰も喋らなかった。
仕方ないので、僕が言った。
「分からない」