第10話 かげろう(その4)
「たかい夕涼み」一連のイベント開始の当日、僕たちは朝一番に、アーケード商店街の氏神様である、この市で一番大きな神社に集合するよう、マスターから指示された。もう夏休みに入っていたが、それぞれの高校の制服を着て集合するように、という指示だ。
イベントの成功を祈願して、関係者一同、お祓いを受けるのだ。僕たちの出番は四日後。僕たち以外の二組のバンドは仕事を持ちながら活動しているアマチュアだが、30代の「大人の」バンドだ。お祓いのためにワイシャツにきちんとタイを締め、濃紺か黒のスラックスを履いている。
「BARたかい」だけではなく、一週間を通して行われるすべてのイベントの関係者が一同に集まるので、100人近い人数が、早朝とはいえ既に暑い日の下、正装をして静かに談笑しながら神前で待っている。
商店街組合の役員、まちづくり法人のスタッフ、飲食関係の受注を受けたデパートや近隣の飲食店関係者、僕たちのようなイベントの出演者等、一つのイベントを成し遂げるのにこれだけの人間の力をもって当たらないとできないのだ、という事実に、軽い衝撃を受けた。
そして、こうして神前で、実は神様の力を以てしないと成し遂げられない、と、いう更に厳粛な事実が、そういうこととは一番遠いのではないかと勝手にイメージしていた僕たちロックバンドにも当てはまる、という不思議な感覚に、全く次元の異なる世界を示されたような感動すらあった。
「おはよう」
男三人で緊張しながら端っこで佇んでいたところに、咲がやって来た。
咲の鷹井高校の夏服は、白いセーラーで濃紺のリボンに、スカートは涼しさを出すためだろうか、紺色だが、やや薄い明るめの色だった。
よく考えてみたら、高校に入ってから僕たち四人は、それぞれの制服姿をほとんど見たことがなかった。ポピーはそれぞれの家から等距離にあり、水曜日の練習は夜なので普段着に着替えてくるし、土曜日の練習は午後三時頃だが、午前中に補習で登校したとしても、十分着替えて来る時間があるからだ。土曜日、補習が長引いて制服のまま咲が練習に来たことがあったが、その時は冬服で、咲の夏服姿を見るのは初めてだ。
「マスターは?」
咲の問いに、加藤が向こうの方を指さす。
マスターは商店街の組合長である洋装品店の社長と笑いながら話し込んでいる。マスターは商店街組合の理事の一人なのだ、ということを今回初めて知った。
「間もなくお祓いを行いますので、社殿の中にお入りください」
神職が一同に向かって声を掛ける。マスターが僕たちの方に歩いてきた。
「さあ、行こうか」
僕たちを引率するようにマスターが前になって社殿への階段に向かう。
僕たちは、今朝のマスターを見て、何だか別人を見るような気がした。
マスターは普段からだらしない恰好は決してしてはいない。職業柄、ラフな服装ではあるけれども、清潔で誰と応対しても礼儀を感じさせるいでたちをしている。
だが、今、上下濃紺のスーツに落ち着いたネクタイを締め、きれいに磨き上げられた革靴を履き、髪をバックにしたマスターの姿は、神社の鳥居の上に昇っている朝日を受けて、眩いぐらいの感じがする。
僕たちの目の前にいるマスターは、紛うことなき、一人の「大人」だ。