表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

アジア ノ ココロ

Light of Northpole

作者: 黄色のえご

 今日も外は吹雪いている。

こんなに吹雪いていては、観測ができやしない。

ああ、早く晴れないだろうか。

 ここは、極北、地の最果て、寂しい町にある観測所。

 町の住人は百に満たず、訪れる人もまばら。

たまに人が来たかと思えば、皆、軍人か、私のような観測員ばかり。

 なんだって、こんな辺鄙なところに来てしまったのやら。

 私は過去の自分に文句を言いながら、酒をあおった。


 私の生まれ故郷は、もっと南。

暖かな海沿いの、小さな漁師町。

 雪などめったに降らない、穏やかな町だった。

夏になれば、バカンスだと言って、人々が海水浴に訪れ、

冬になれば、避寒地として、お偉いさん連中がやって来る、そんな町だった。

 そんな町で生まれ育った私は、親の仕事を継ぐことがどうしてもいやで、

学者になりたいという夢を持って、学業に励み、夢叶って中央で働くことになった。

 だが、人生はそんなに甘くなかった。

 ある日のこと、私は上司と些細なことで口論となり、結果、暴言を吐いてしまったのだ。

しまったと思った時には、もう遅く、私は解任され、地方に飛ばされることになった。

 その頃の左遷先といえば、寒さ厳しい土地での集団農場勤め。

私はそこで生涯を終えるのかと覚悟したが、なんと別の地域での欠員が出たから、こっちに回してほしいとの要請で

急遽、この地にやって来たのだった。

 思わず、これで死なずにすんだ、と安堵したものだが、それは抜か喜びだったと、後々に思うのだった。


 五日経ち、六日経ち、天候は相変わらず良くならない。

「なーにが、極地観測だぁ、クソが!」

 私は、昼間から酒を飲み、誰にともなく愚痴を吐いた。

極寒のこの地では、酒でも飲まないと生きてはいけない。

全てが凍り付くこの世界で、酒は不凍液の役割を果たし、凍りそうな私の身体を循環し続けてくれる。

 だが、身体は温めても、心までは温めてはくれない。

「……中央勤めは、よかったなぁ」

 そう呟くと、私の意識は、深い眠りへと落ちていった。


 ふと、目が覚めた。

手元の時計を見ると、針は真夜中の時刻を指している。

 それにしては、外が明るい。

まるで、昼間のような。

 寝起きの冴えない頭が、一瞬で覚醒する。

「で、でた!」

 思わず窓に飛びつき、それを確認する。

 猛吹雪から一変、薄くなった雲の隙間から、星空が見えている。

そして、その星空を覆い隠すような、神秘のヴェール。

 極北の光、オーロラが、発生していた。

「ええと、じ、時間、は……」

 酒瓶の転がるテーブルの上で、私は、必死に記録をつけた。

 小さな観測小屋に、筆の音だけが響いている。

観測地点、日にち、時刻、気温、天候、風速、等々。

さらには、オーロラの色や形状まで、事細かに記していく。

眠る前、愚痴しか言わなかった私の口は、言葉を発することなく、ただ黙々と手を動かし、それらを書きつける。

 そして、一通り記録を終えると、私は防寒着を着て、外へと出てみた。

 空の雲はいつの間にか消え失せ、天には星空、そして、緑白色の輝く光の帯。

音のないこの町を、静かに覆い隠す極光の奇跡。

 中央にいた頃は、こんな気持ちになったことなど、一度もなかった。

 風に吹かれるカーテンのように、光は次々に形を変え、この大地を包んでいる。

 母なるヴォルガ、ウラルの果て、ポーラーウラルのその向こう、私は、ここで、極光を見つめていた。


 長い冬が過ぎ、海の氷も薄くなった頃、私の元に友人が訪ねてきた。

友人は、手土産だと言って、いくつかの酒と、道中の町で買ったという、置物の石を私にくれた。

 そして、こんな話を語ってくれた。

 中央の研究所が再編成され、私の上司だった男が、地方へ飛ばされたとのこと。

これには、正直、ざまあみろとしか思わなかった。

 肩を震わせて笑う私に、彼は苦笑いしつつ、同情してくれていた。

 彼の話はまだ続き、わが国が、人類初の偉業を成し遂げたという。

 ヴォストークだろう。

私が、ぽつりと言うと、彼はそうだと言わんばかりに頷いた。

 この寂しい地でも、ラジオの電波は入る。

観測データの通信の合間に、少しだけ聞くラジオ放送。

ほとんどはニュースや音楽なのだが、外界と途絶している私にとって、それは唯一の楽しみでもあった。

 ヴォストーク、差し詰め東方の夜明け。といったところか。

中央はお祭りのような騒ぎで、飛行士の帰還を喜んだらしい。

 彼は凱旋の騒ぎを間近で見た、と私に自慢までしてくれた。

こういう時、僻地勤めは辛いな、とつくづく思う。

 うらやましい。

私はテーブルに突っ伏しながら、呟いた。

 君は見たのだろう?その、人類の英雄とやらを。

彼はその時の様子を、興奮しつつ、こと細かに語ってくれた。

 見たかったな、英雄。

 中央にいれば、見られたのだろうか。

 もう、二度とないだろうな、こんな偉業を成し遂げた英雄が見られたなんて。

 中央に、帰りたい。

 極彩色の玉ねぎを持つ大聖堂を、もう一度見たい。

友人の自慢を聞きつつ、私は中央への思いを募らせていた。


 短い夏が訪れていた。

 ここ極北の地にも、夏はやって来る。

地面に積もった雪は溶け、そこかしこで、小さな地衣類が顔を見せていた。

 友人は、とうに帰って行った。

 次のプロジェクトがあるから、忙しいんだ。

そう言い残し、彼は船に乗った。

「帰りたい」

 私の口から、その言葉が自然と出た。

思わず周りを見回し、人がいないのを確認すると、安心して胸をなで下ろした。

 どこで、誰が聞いているか、分かったもんじゃない。

迂闊な一言が、命取りになる。

今度は、こんな辺境ではなく、東の最果てに送られてしまう。

 ヴォストークは東方。そこに夜明けはあるのだろうか。

過酷な労働の末の夜明け、それは希望ではなく、今日も始まる絶望の夜明け。

いつまでも繰り返される、奴隷のような日々。

 それはこの最果ての観測所も同じことだが、東方と決定的に違うところがある。

 そう簡単に、死なないことだ。


 あっという間に夏は通りすぎ、再び冬が始まる。

昇る日の時間は、みるみる短くなり、この町は長い闇の季節に突入していた。

 闇が長いということは、観測にも適した季節になったということだ。

 私は日毎に空を見上げるが、降雪している時を除き、空に極光は現れなかった。

例年であれば、もう出現していてもおかしくはない、なのに、このシーズンは何も起きない。

 来る日も、来る日も、私は夜空を見上げ、そしてため息をつく。

 何故、出ないのだろうか。

 何故、光は見えないのだろうか。

 ヴォストークが、夜明けを連れてきてしまったからだろうか。

 私は悩み、また酒を飲む日が増えていた。


 闇の中、観測小屋の天井を見上げる。

 なにも起きないことを、報告する日々。

これに、なんの意味があるのだろうか、こんな内容で、中央は満足しているのだろうか。

 分からない。

そもそも、これは、本当に、必要なことなのだろうか。

 世界は、偉業を成し遂げた、飛行士のことで盛り上がっている。

 私は、偉業すら成し遂げられない。

学者になりたい、と故郷を飛び出し、中央で夢叶えることはできた。

だがその後は、こんな僻地での極地観測員。

 観測をしているのだから、せめて、極光ぐらい出てきてくれ。

 風が、観測小屋の窓を、叩いていた。


 本格的な冬の到来。

 私は、思うところあって、酒瓶を片手に、町の近くにある、小さな丘にやって来ていた。

 この地に住まう人々が言っていた。

『願いがあるなら、あの丘で酒でも撒くといい』

 本当だろうか。

あの人々は、良く分からないものを信仰している。

 そんなものを頼っていいのだろうか、私は背教者にはならないだろうか。

しかし、それにすがりたいという気持ちもある。

 数日悩んだ末に、私は決心し、そこに佇んでいた。

 瓶の蓋を開け、丘じゅうに染みわたるように、中身を振り撒く。

「友人のくれた、とっておきの酒だからな」

 誰かに言い聞かせるように、そう呟いた。

「今日こそ、出てくれ、頼む」

 私は、願いを込めて祈った。

 と、その時、足元がふわりと動いた気がした。

「な、なんだ」

 酒の飲みすぎで、ついに頭がおかしくなったのかと思ったが、違う。

「じ、地震だ、大きいぞ」

 地面が激しく揺れる。

轟音を響かせて動く大地に、私は腰が抜け、その場にへたり込んでしまった。

 白い雪煙が、もうもうと立ち込める。

「ああ、怒らせてしまった、私は背教者になってしまった」

 あまりの恐怖に、私の震えは止まらなくなっていた。

私は、必死に許しの言葉を唱え続け、それが収まるのを待っていた。

 やがて揺れが収まると、私は、もうこんな場所はこりごりだと、一目散に丘を駆け下りていた。

 白い吐息を巻き散らかしつつ、ようやく観測小屋に辿り着いた私は、そのまま寝床へと潜り込んでいた。

先ほどの地震のせいか知らないが、部屋には酒の匂いが充満している。

 戸棚のものが落ちてしまったのだろうか。

 そんなことを思いながら、私はいつの間にか眠りについていた。


 外が騒がしい。

 誰かが、この観測小屋の扉を叩いているようだ。

 起きろ、起きろ、大変だ。

眠い目を擦り、私は起き上がった。

 足に何かが当たる。

やはり、戸棚のものは落ちているようだ、朝になったら、片づけをしないと。

 観測小屋の扉を開けると、そこには、驚いた顔の町の人がいた。

「あんた、何してたんだ、見ろよ」

 そう言って、指差す先。

それを見て、私の目は、一杯に見開かれた。

「な、なんだ……これは……」

 絶句した。

空には、全天を覆うような、巨大なオーロラが出現していた。

 いつもの、緑白色だけではない、赤や、ピンク、青に、紫。

今まで見たことのない色のオーロラが、一同に会し、夜空を飾っていた。

「い、いつからだ、いつから、これは出ていた」

 町の人は、ほんの少し前からこうなったと言っていた。

「あんたは、いつもオーロラが出ると、外に出ていただろう?」

 そうだった、一通りの記録をすると、私はいつも表に出て、それを眺めていた。

「それが今晩に限って、出てこないから、様子を見に来たんだよ」

 呆れた。この町人はチェキストか何かか。

いや、この人は親切とお節介で、私を叩き起こしてくれたのだ。逆に感謝をしないといけないぐらいだ。

「知らせてくれて、ありがとう」

 私は、そう礼を言い、急いで記録を取り始めた。

 散らかる床を踏み分けて、私はテーブルで筆を取る。

いつものこと、いつもの記録、軽快な音が、部屋に響く。

 ようやっと記録を付け終え、私は再び表へと出た。

 夜空には、広がるような光の帯。

先ほどまでの勢いはないが、それでも満天の光が、この町を覆っていた。

 中央では、決して見られない、極光のヴェール。

華々しき世界、刺激溢れる中央には、ないもの。

 私は、これを見るために、ここに、いる。

北の、果て、地の、終わるところ、海を望む、小さな、町。

 時を忘れるほどの、光のただ中、私はそれを、眺めて、いた。


 翌朝、散らかる部屋を片付けていた時。

ふと私は、割れた酒瓶の中から、それを見つけた。

 友人のくれた、置物の石。

道中の町で買ったということは、ドードーのものだろうか。

ウラル山脈の北のはずれ、ポーラーウラルのドードーという町で採掘される、水晶。

 戸棚から落ちた衝撃で、それは、見るも無残に壊れていた。

「せっかく、もらったのにな」

 透明な水晶の、破断面を見ると、ヒビの影響なのか、内部には、七色の光が見えていた。

まるで、昨夜の極光を思いだすような、鮮やかな光の色。

 私は、何故か捨てるのが惜しくなり、それをそっと戸棚に戻した。

 小さな、北の観測所、私は、ここで、光を見続ける。

たとえ、偉業は成さなくとも、私は自然の奇跡を見る。それで、いいではないか。

 ヴォストーク。

 夜明けが、やって来た。



 1961年。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ