Light of Northpole
今日も外は吹雪いている。
こんなに吹雪いていては、観測ができやしない。
ああ、早く晴れないだろうか。
ここは、極北、地の最果て、寂しい町にある観測所。
町の住人は百に満たず、訪れる人もまばら。
たまに人が来たかと思えば、皆、軍人か、私のような観測員ばかり。
なんだって、こんな辺鄙なところに来てしまったのやら。
私は過去の自分に文句を言いながら、酒をあおった。
私の生まれ故郷は、もっと南。
暖かな海沿いの、小さな漁師町。
雪などめったに降らない、穏やかな町だった。
夏になれば、バカンスだと言って、人々が海水浴に訪れ、
冬になれば、避寒地として、お偉いさん連中がやって来る、そんな町だった。
そんな町で生まれ育った私は、親の仕事を継ぐことがどうしてもいやで、
学者になりたいという夢を持って、学業に励み、夢叶って中央で働くことになった。
だが、人生はそんなに甘くなかった。
ある日のこと、私は上司と些細なことで口論となり、結果、暴言を吐いてしまったのだ。
しまったと思った時には、もう遅く、私は解任され、地方に飛ばされることになった。
その頃の左遷先といえば、寒さ厳しい土地での集団農場勤め。
私はそこで生涯を終えるのかと覚悟したが、なんと別の地域での欠員が出たから、こっちに回してほしいとの要請で
急遽、この地にやって来たのだった。
思わず、これで死なずにすんだ、と安堵したものだが、それは抜か喜びだったと、後々に思うのだった。
五日経ち、六日経ち、天候は相変わらず良くならない。
「なーにが、極地観測だぁ、クソが!」
私は、昼間から酒を飲み、誰にともなく愚痴を吐いた。
極寒のこの地では、酒でも飲まないと生きてはいけない。
全てが凍り付くこの世界で、酒は不凍液の役割を果たし、凍りそうな私の身体を循環し続けてくれる。
だが、身体は温めても、心までは温めてはくれない。
「……中央勤めは、よかったなぁ」
そう呟くと、私の意識は、深い眠りへと落ちていった。
ふと、目が覚めた。
手元の時計を見ると、針は真夜中の時刻を指している。
それにしては、外が明るい。
まるで、昼間のような。
寝起きの冴えない頭が、一瞬で覚醒する。
「で、でた!」
思わず窓に飛びつき、それを確認する。
猛吹雪から一変、薄くなった雲の隙間から、星空が見えている。
そして、その星空を覆い隠すような、神秘のヴェール。
極北の光、オーロラが、発生していた。
「ええと、じ、時間、は……」
酒瓶の転がるテーブルの上で、私は、必死に記録をつけた。
小さな観測小屋に、筆の音だけが響いている。
観測地点、日にち、時刻、気温、天候、風速、等々。
さらには、オーロラの色や形状まで、事細かに記していく。
眠る前、愚痴しか言わなかった私の口は、言葉を発することなく、ただ黙々と手を動かし、それらを書きつける。
そして、一通り記録を終えると、私は防寒着を着て、外へと出てみた。
空の雲はいつの間にか消え失せ、天には星空、そして、緑白色の輝く光の帯。
音のないこの町を、静かに覆い隠す極光の奇跡。
中央にいた頃は、こんな気持ちになったことなど、一度もなかった。
風に吹かれるカーテンのように、光は次々に形を変え、この大地を包んでいる。
母なるヴォルガ、ウラルの果て、ポーラーウラルのその向こう、私は、ここで、極光を見つめていた。
長い冬が過ぎ、海の氷も薄くなった頃、私の元に友人が訪ねてきた。
友人は、手土産だと言って、いくつかの酒と、道中の町で買ったという、置物の石を私にくれた。
そして、こんな話を語ってくれた。
中央の研究所が再編成され、私の上司だった男が、地方へ飛ばされたとのこと。
これには、正直、ざまあみろとしか思わなかった。
肩を震わせて笑う私に、彼は苦笑いしつつ、同情してくれていた。
彼の話はまだ続き、わが国が、人類初の偉業を成し遂げたという。
ヴォストークだろう。
私が、ぽつりと言うと、彼はそうだと言わんばかりに頷いた。
この寂しい地でも、ラジオの電波は入る。
観測データの通信の合間に、少しだけ聞くラジオ放送。
ほとんどはニュースや音楽なのだが、外界と途絶している私にとって、それは唯一の楽しみでもあった。
ヴォストーク、差し詰め東方の夜明け。といったところか。
中央はお祭りのような騒ぎで、飛行士の帰還を喜んだらしい。
彼は凱旋の騒ぎを間近で見た、と私に自慢までしてくれた。
こういう時、僻地勤めは辛いな、とつくづく思う。
うらやましい。
私はテーブルに突っ伏しながら、呟いた。
君は見たのだろう?その、人類の英雄とやらを。
彼はその時の様子を、興奮しつつ、こと細かに語ってくれた。
見たかったな、英雄。
中央にいれば、見られたのだろうか。
もう、二度とないだろうな、こんな偉業を成し遂げた英雄が見られたなんて。
中央に、帰りたい。
極彩色の玉ねぎを持つ大聖堂を、もう一度見たい。
友人の自慢を聞きつつ、私は中央への思いを募らせていた。
短い夏が訪れていた。
ここ極北の地にも、夏はやって来る。
地面に積もった雪は溶け、そこかしこで、小さな地衣類が顔を見せていた。
友人は、とうに帰って行った。
次のプロジェクトがあるから、忙しいんだ。
そう言い残し、彼は船に乗った。
「帰りたい」
私の口から、その言葉が自然と出た。
思わず周りを見回し、人がいないのを確認すると、安心して胸をなで下ろした。
どこで、誰が聞いているか、分かったもんじゃない。
迂闊な一言が、命取りになる。
今度は、こんな辺境ではなく、東の最果てに送られてしまう。
ヴォストークは東方。そこに夜明けはあるのだろうか。
過酷な労働の末の夜明け、それは希望ではなく、今日も始まる絶望の夜明け。
いつまでも繰り返される、奴隷のような日々。
それはこの最果ての観測所も同じことだが、東方と決定的に違うところがある。
そう簡単に、死なないことだ。
あっという間に夏は通りすぎ、再び冬が始まる。
昇る日の時間は、みるみる短くなり、この町は長い闇の季節に突入していた。
闇が長いということは、観測にも適した季節になったということだ。
私は日毎に空を見上げるが、降雪している時を除き、空に極光は現れなかった。
例年であれば、もう出現していてもおかしくはない、なのに、このシーズンは何も起きない。
来る日も、来る日も、私は夜空を見上げ、そしてため息をつく。
何故、出ないのだろうか。
何故、光は見えないのだろうか。
ヴォストークが、夜明けを連れてきてしまったからだろうか。
私は悩み、また酒を飲む日が増えていた。
闇の中、観測小屋の天井を見上げる。
なにも起きないことを、報告する日々。
これに、なんの意味があるのだろうか、こんな内容で、中央は満足しているのだろうか。
分からない。
そもそも、これは、本当に、必要なことなのだろうか。
世界は、偉業を成し遂げた、飛行士のことで盛り上がっている。
私は、偉業すら成し遂げられない。
学者になりたい、と故郷を飛び出し、中央で夢叶えることはできた。
だがその後は、こんな僻地での極地観測員。
観測をしているのだから、せめて、極光ぐらい出てきてくれ。
風が、観測小屋の窓を、叩いていた。
本格的な冬の到来。
私は、思うところあって、酒瓶を片手に、町の近くにある、小さな丘にやって来ていた。
この地に住まう人々が言っていた。
『願いがあるなら、あの丘で酒でも撒くといい』
本当だろうか。
あの人々は、良く分からないものを信仰している。
そんなものを頼っていいのだろうか、私は背教者にはならないだろうか。
しかし、それにすがりたいという気持ちもある。
数日悩んだ末に、私は決心し、そこに佇んでいた。
瓶の蓋を開け、丘じゅうに染みわたるように、中身を振り撒く。
「友人のくれた、とっておきの酒だからな」
誰かに言い聞かせるように、そう呟いた。
「今日こそ、出てくれ、頼む」
私は、願いを込めて祈った。
と、その時、足元がふわりと動いた気がした。
「な、なんだ」
酒の飲みすぎで、ついに頭がおかしくなったのかと思ったが、違う。
「じ、地震だ、大きいぞ」
地面が激しく揺れる。
轟音を響かせて動く大地に、私は腰が抜け、その場にへたり込んでしまった。
白い雪煙が、もうもうと立ち込める。
「ああ、怒らせてしまった、私は背教者になってしまった」
あまりの恐怖に、私の震えは止まらなくなっていた。
私は、必死に許しの言葉を唱え続け、それが収まるのを待っていた。
やがて揺れが収まると、私は、もうこんな場所はこりごりだと、一目散に丘を駆け下りていた。
白い吐息を巻き散らかしつつ、ようやく観測小屋に辿り着いた私は、そのまま寝床へと潜り込んでいた。
先ほどの地震のせいか知らないが、部屋には酒の匂いが充満している。
戸棚のものが落ちてしまったのだろうか。
そんなことを思いながら、私はいつの間にか眠りについていた。
外が騒がしい。
誰かが、この観測小屋の扉を叩いているようだ。
起きろ、起きろ、大変だ。
眠い目を擦り、私は起き上がった。
足に何かが当たる。
やはり、戸棚のものは落ちているようだ、朝になったら、片づけをしないと。
観測小屋の扉を開けると、そこには、驚いた顔の町の人がいた。
「あんた、何してたんだ、見ろよ」
そう言って、指差す先。
それを見て、私の目は、一杯に見開かれた。
「な、なんだ……これは……」
絶句した。
空には、全天を覆うような、巨大なオーロラが出現していた。
いつもの、緑白色だけではない、赤や、ピンク、青に、紫。
今まで見たことのない色のオーロラが、一同に会し、夜空を飾っていた。
「い、いつからだ、いつから、これは出ていた」
町の人は、ほんの少し前からこうなったと言っていた。
「あんたは、いつもオーロラが出ると、外に出ていただろう?」
そうだった、一通りの記録をすると、私はいつも表に出て、それを眺めていた。
「それが今晩に限って、出てこないから、様子を見に来たんだよ」
呆れた。この町人はチェキストか何かか。
いや、この人は親切とお節介で、私を叩き起こしてくれたのだ。逆に感謝をしないといけないぐらいだ。
「知らせてくれて、ありがとう」
私は、そう礼を言い、急いで記録を取り始めた。
散らかる床を踏み分けて、私はテーブルで筆を取る。
いつものこと、いつもの記録、軽快な音が、部屋に響く。
ようやっと記録を付け終え、私は再び表へと出た。
夜空には、広がるような光の帯。
先ほどまでの勢いはないが、それでも満天の光が、この町を覆っていた。
中央では、決して見られない、極光のヴェール。
華々しき世界、刺激溢れる中央には、ないもの。
私は、これを見るために、ここに、いる。
北の、果て、地の、終わるところ、海を望む、小さな、町。
時を忘れるほどの、光のただ中、私はそれを、眺めて、いた。
翌朝、散らかる部屋を片付けていた時。
ふと私は、割れた酒瓶の中から、それを見つけた。
友人のくれた、置物の石。
道中の町で買ったということは、ドードーのものだろうか。
ウラル山脈の北のはずれ、ポーラーウラルのドードーという町で採掘される、水晶。
戸棚から落ちた衝撃で、それは、見るも無残に壊れていた。
「せっかく、もらったのにな」
透明な水晶の、破断面を見ると、ヒビの影響なのか、内部には、七色の光が見えていた。
まるで、昨夜の極光を思いだすような、鮮やかな光の色。
私は、何故か捨てるのが惜しくなり、それをそっと戸棚に戻した。
小さな、北の観測所、私は、ここで、光を見続ける。
たとえ、偉業は成さなくとも、私は自然の奇跡を見る。それで、いいではないか。
ヴォストーク。
夜明けが、やって来た。
1961年。