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03

 ユーリは目をみはり、ジアの目をまともに見据えた。

「初めて会った時から、ずっと思っていた」

「ジア、あなたは」

「キスをしたことはあるか?」

「そりゃあ、昔は」

「甘かったか?」

 耳まで熱くなって、ユーリは大きく息を吸う。肩の痛みも一瞬忘れていた。

 口唇の記憶がまざまざと蘇る。


 十四の誕生パーティーだった、幼なじみのアンナと、初めてキスをした。ただ一度だけ。

「……甘くはなく、ただ、」オレンジを浮かべたフルーツパンチの香り、口の傍についていたクッキーの欠片がほろりと歯の間で崩れ、思ったよりも

「水っぽかった、というか」

 くぐもった笑いはすぐに咳にかき消される。ジアは撃たれた腹を押さえ、しばし苦痛に耐えているようだった。

「そんなもんだ。生きている肉体なんて、味はない。舌を使う者の思いこみや希望が幻の風味を生みだすんだ、だから逆に、愛する者のすべてを味わうことができる、たとえば」

「もうしゃべらないで、さあ」ユーリは彼の肩をそっと地面につけてやる。

 

 それ以上聞くのが、急に怖くなった。

 

 もしかしたら、と感じたことも確かにあった。彼が自分に好意を持っているのはどこかで感じていた。しかし、厳しい任務の中で、いつも沈着冷静なジアの姿を間近に目にしていたせいか、それがまさかそこまで深い思いだということを考えずに過ごしてきたのだ。

 お互いに命を預け合い、命をつなぐことを祈り合う仲間、それだけで十分だったのに。


 ジアがそれ以上のものを求めていたのだと、今は知りたくなかった。


「分かりました。約束します」

 ユーリは彼の目を見ずに、立ちあがろうとする。

「どこだろうと、味わってください。どこでもすべて」

 敵の気配が消えていた。出ていくなら、今だ。


「本当は、嫌だろう?」


 ユーリは声が出ない。正直に言えば、相手を傷つける。しかし、腹を撃たれたジアの傷はかなり深く、出血もひどかった。その上、ユーリですら無事に脱出できるかさっぱり分からない。


 ここで別れたらもう二度と、生きては会えないだろう。

 

 ジアは顔をそむけ、息を吐くように静かに言った。

「すまない、卑怯な真似をした。逃げ場のないところで」

「……気にしないでください。私が戻った時に、その話はまたゆっくりとしましょう」

「約束は忘れてくれ」

 ジアの声を背中に、ユーリは装備を検めてからそっと伸びあがった。


 霧がまた山から下りてきたようだ。先ほどまで見えていた林の一番近いところにある木まで、黒い影に沈んでいた。手前に一人、ジアが倒した人間がうつぶせに倒れたまま、すでに動きを止めていた。

 

 死んだ人間はすでに、味わうことを止めているんだ。

 

 急激な衝動に突き動かされ、ユーリはふり向きざまにかがみこみ、彼を見送ろうとしていたジアの顔に、自分の顔を近づけた。

「ユーリ」

 驚いたようにそう言った口をユーリの唇がふさぐ。

 

 自分のものより熱い息が吹き込まれ、すぐに両者の温度は等しくなる。さし込まれた舌を迎え入れ、ユーリも思いきって舌をのばし、彼の口中を探った。固く、柔らかく、新しく触れたところは常に熱く、すでにかすかに腐敗臭を漂わせている。それでも自分の中に動きまわる彼の舌は常に新鮮で、跳ねまわるようで、生の甘美さに満ち満ちていた。

 

 束の間の口づけだった。

 それでも、互いに納得した瞬間にどちらともなく体は離れ、間には熱い吐息だけが残った。


「憶えてくれたか?」

 ジアのことばに、ユーリはうなずいた。

「ジア、あなたも」

「じゅうぶんだ。絶対に忘れない。死んでもなお」

「大げさですよ」

 少し笑ってから、ユーリはジアをそっと地面に寝かせた。


 くぼ地のふちに足をかけてあたりをざっと見渡し、ふり向かずにユーリは言った。

「じゃあ、行ってきます」

 ジアが静かに答えた。

「次に君が帰ってきたら、生きることを考えよう、二人とも」

 ユーリは空気の匂いをかいで、最後に前方の倒れた男に目をやってこう返す。

「そして生かすことを?」

 ジアにも何のことか分かったようだ。彼はかすれた声で笑う。

「それはいい。僕はもう誰も殺すことはないだろう」


 霧の中に飛び出した時に、ユーリが最後に感じていたのはジアの温かい舌だった。

 甘いと言えたのだろうか?

 それでも、自身の血肉の破片を口いっぱいに頬張っているよりは、ずいぶんマシな感触だった。そう信じたかった。

 確かに、生きているという感覚記憶はすぐに脳の大切な部分にしっかりと刻み込まれたようだ。この記憶は自分が生きている限り、ずっと残されるだろう。

 残っている限り、自分は生きて、次を思うことができる。

 そうしてエネルギーは循環する。


 ジアも、同じように感じてくれているのだろうか?


 その時ユーリは目の端に敵をとらえた。とっさに銃を構え、引き金をひく。

 その瞬間、すべての感覚が消えた。




 了


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