01
内外にボーイズ・ラブの要素を含みます。ご承知おき下さい。
ここを抜けさえすれば、生き延びることができる。
そう思ったとたん、銃声が途絶え、急にあたりがしんと静まり返った。
ユーリは外に向けていた感覚のすべてをいったん鎮め、崩れるようにその場に座り込んだ。
くぼ地の斜面に背中を預け、いったん目をつぶる。
肩が焼けつくように痛む。それでも、肩だけで済んでいた。
この場に生きて残ったのはたった二人。ユーリと、目の前にあおむけに近い状態で横たわる先輩のジアだけだ。
闘いがいつまで続くのか、今は何も考えたくなかった。
時だけが過ぎる。
「例えばだよ」
優しいとも言えるハスキーな声が下の方から響く。
「熱く焼けた砂の味と舌触りとか、分かんないかな」
ユーリの口の中に、急にそれが蘇ってきた。
粒が目に浮かぶ。ちくりと棘のように舌先を刺し、混じっていた細かい泥の粘り気と匂いとに一瞬吐き気を覚えた。そのすぐ後から、融けないと思っていた微小なキューブがじわりと砂の隙間から融け出して舌の上に塩辛さを伝えるのに、意外にも快感を覚えた。塩けは口の中の幾か所もの地点で同時に起こり、ユーリは、豊かなミネラル分を感じるそれをいつまでもじゅうぶんに味わっていたくなる。
不快な砂粒と泥の風味さえなければ、呑みこんでしまいたいところだ。
「分かります」
やはり小声でユーリはそう答える。
「多分それは、海に行った時に実際に経験しているんでしょうね」
寝転んだままのジアは、状況も忘れるようなくつろいだ口調だった。
「一緒に行ったよな、海水浴。休暇で」
「ああ……日帰りでしたし、海水浴、というか昼寝に行っただけでしたけどね」
「日没まで何もせず、ずっと二人で砂浜に寝転んでさ」
「でも、あの砂の味ではないですね」
ユーリは少し顔をしかめる。
「あれは肌理が細かかった。僕が思い出したのはもっと粒が大きくて黒い砂の感触です」
「僕はそんな砂浜は知らない、君が幼い頃よく遊んだという、海岸の砂なんじゃないのか」
「でしょうかね。他に海水浴に行った記憶はないですし」
先ほどから、二人はずっと「あり得ない味覚の記憶」について語り合っていた。
手負いとなり、退路を断たれ、暗くむし暑いくぼ地の底、二人きりで。
敵からの攻撃はいっとき、完全に止んでいた。
ジアがその話を始めた時、ユーリは最初何を言われているのかさっぱり見当がつかなかった。
でも、いくつか話をしていくうちに、確かに思い当たる節があった。
ジアは始めに、こう言い出したのだ。
「ねえユーリ。今まで絶対に食べたことがないだろうものについて、君はなぜか思い出すことができるんじゃないかい? 口の中に。例えば、
小さなナイフの刃が平らに当たる、あの冷たいような震えるようなちょっとした酸味」
ナイフは確かに口に入れたことがある、そうユーリは答えた。
桃を食べる時に小さな切り出しナイフで皮を削ぎ落し、上から順に輪切りにしては口に運んでいった。とろけるような甘さと、日なたの熱で駄目になりつつある果実の苦みの中に、確かに薄く冷たく、気づくかどうかの金属の酸味を舌の上に細くまっすぐとらえてしまったのだ。
すぐには気づかなかったが、少しばかり舌にナイフを強く当て過ぎたようだ。後からすうっと別の塩味をおぼえ、じきに舌のまん中あたりに、ひりつく痛みが襲ってきた。
「確かに。薄い刃を持つナイフの味はよく知っていますよ」
ユーリは思い出しながら答える。
ジアはかすかに、笑ったようだった。
「ならばあなたは、食べられないはずの何かの味を、なぜか知っているということがあるんですか?」
ユーリが逆に尋ねると、暗闇の中、束の間の沈黙が訪れた。
やがてジアは、ゆったりとした口調でこう言った。
「紙というものは、なぜだろうか、よく知っているね」
紙にくるまれたお菓子とセットになることが多いね、とジアは言う。
薄いセロファン紙、ラムネの包み紙を口で開こうとして端を噛んだことがある。生温かくて、鼻腔にまとわりつき、人間が知ってはいけない味を教えようとする。ろう紙はキャラメルで。これも温かく、優しい感じだ。少し厚手の蝋引きはカップで経験している。もてあまし気味の時間というものを、緩くなった紙の縁で感じることがある。急に親しくなってしまった馴れ馴れしさに通じるようだ。間違って噛んでしまったアルミの薄紙はチョコレート、これは歯に響くような酸っぱさだ。
食べ物以外でも紙は知っている、とジアは続けた。
上質紙と再生紙との味の違いは見るよりも舌が納得している、ノートの切れ端も味が知れている。フールス紙が特によい風味だ。
木もいくつか味を知っている。松のヤニを含んだ湿り気の多い苦み、ポプラの淡い青臭さ、それを言うならば草だって。
草木だけではない、身の周りのありとあらゆるもの。見ればなぜか口の中にそれの味や舌触りが確実に蘇ってくる。