9‐ 8 レンガの黄色い道の上で
ふわふわと赤い、いや黒い、なんだか分からないモヤの中を漂っている。
いつかこんな所にいたかもしれないな。ずっと、ずっと昔。
なつかしい声がする。かすかに。
ボクは声の方を見ようと身体を動かす。カラダ、いや、カラダなんて無い。
ボクは何なんだろう。それに、呼んでいるのは、誰?
声は歌になっているようだ、高く、低く、切れ切れにだけど確かに……それは歌だった。
いったん歌を掴まえたら、薄暗がりの中に道が浮かんで見えた。
うっすらと淡く黄色く光る、オズの国のレンガの道みたいだ。
ボクは以前から、時々その道をみることがあった、と思う。そう……どこかで迷ってしまい、それでも帰らなければならない、って強く思う時。
小さな時には多かったかもな、でも、ここのところほとんど気づかなかった、この道には。
うまく、たどれるだろうか。ボクは歩きだす。
途中でなぜかセイギに出会った。そう、コイツの名前はすぐに分かった。
ミヤモト・マサヨシ。正義と書いてマサヨシ。
白いベッドの上に寝ている。誰かが言った。「腕は再手術だな、しかしこのくらいで済んで……」あとは聞こえない、ボクは滑るように彼のもとに寄る。
ベッドの脇にしがみつくように、小さなマイちゃんが座っていた。椅子に腰かけたまま眠ってしまったようだ。
セイギは空いた方の手で、マイちゃんの柔らかな髪を撫でてやっていた。ボクの気配に気づくと、「なんだ」決まり悪そうにその手を止めた。
「オマエさ」セイギは、痛み止めのせいかモウロウとした目をしていたが口調は思いのほかハッキリしていた。
「オマエのせいで二度も落ちた」責めている口調ではなかった。続けてこう言う。
「まあオマエ、けっこうがんばったみたいだけどな」
「あのさ」ボクが言いかけると、
「あのさ、とかあのねは無し」そうさえぎった。でも以前みたいな毒はない。
「ミヤモトくんも、がんばったよ」
「あのさ」
言ってから、セイギは苦笑した。「オレばか。自分で言ってら」そしてボクを見る。
「セイギって呼べよ」
「……ああ」
「スナ。オマエ、死にたいと思ったのか」いきなりストレートに聞いてくる。
「ああ」ボクも正直に答えた。
「なぜいじめられるか分からなかったし……(ここであのねを呑み込む)、家でも両親とギクシャクしてたし、友達とかもいなかったしつまり、居場所がないっていうか」
「やっといて理由は分かんねえ、なんて言い訳はきかないよな」
セイギは大きくため息をついた。
「やっちまったことについては、本当にすまなかった、って言うしかねえ。いくら謝っても取り返しはつかねえだろうけど」
「そう?」
「多分……これからもオレみたいなんでも、ずっと心のどっかでは気になり続けていくのかもな」
「ふつうさ」ボクも姿がないからなのかな、とても素直に言葉が出る。
「いじめた方って、その頃が過ぎると忘れちゃうことが多いんだって、いじめたっていう意識もあんまりないまま。だからさ、謝罪より何より、そうして心にちゃんとひっかけてくれた、ってこと、ボクはとても嬉しいよ」
セイギは目をそらしてまたマイちゃんの頭を撫でた。ボクはもう一歩踏み込む。
「多分……ミヤ、セイギとボクとはどこか似た気持ちを抱えてたんじゃないのかなあ」
「そうかな」
「居場所がない、っていうところとか」セイギは少し考えてからまたボクをみた。
「今は、できたか? 居場所」
「多分」無事に、帰れればだけどね。そこは言わずにおいた。
セイギは手を置いたマイちゃんの頭に目をやった。
「オレんちも、オヤはいるけど全然アテになんねえ。でもオレがどうにかなっちまったら、コイツは誰が面倒みるんだろう、そう思ったらなんかさ……」
「分かるよ」ボクも実体がないままうなずく。
「誰かを守りたい、って思ったら、何だか頑張れる気がしてくるんだ。オヤとかどーしよーもなくてもさ」
「……言っとくけど」少しセイギらしい尊大な言い方になった。
「ウチのオフクロ、玉子焼きだけはどこにも負けねえぞ。オマエんとこは何かあるか?」
ちょっと真剣に考えてから、これも正直に答える。
「ごめん何にも思いつかない」
セイギは笑った。無邪気な笑い方だった。
「……勝ったね」
ボクも一緒になって笑う。
ようやく、かたい固い氷が溶け出した気がした。
そのままセイギはまたすやすやと眠りについた。点滴のついた手を妹の頭に乗せたまま。




