9‐ 6 死闘だわっしょい
と、急にそこに影がさした。
たん、というよりずじゃ、と半分崩れるように着地したのは……狼犬・ラブ。
いや、今では
「オマエ、なんてことを!」
スナの乗り移った犬、略して『スナ犬』。
「バカ! 出て来れなくなっちまうかも……言っただろ、もう」
『セイギの身体から出て行け、このクズやろう』
地響きに似たうなりを喉の奥から発しつつ、スナがヤツに言った。じりじりと時計回りに迫りながら燃えるような琥珀色の隻眼を上目に傾け敵に向けている。
『セイギを返せ』
「いーやーだね」
そう答えながらヤツはようやく俺の喉首から手を放して立ち上った、そして俺を挟んでじりじりと犬との間合いをはかっている。
と、どんっ、と鉄製のドアがノックされる音。
「いるのっ? スナ! ソルティ! ケンさん? 開けてぇっ!」
ササラの叫び、続いて「待ってくれ、カギ」コースケの声に続いてガチャガチャと金物をいじる音、そして、バン! と開け放たれた扉。
ササラ、ハナ、ルモイ、「俺を置いて行くな!」とすっかりハゲザキバージョンに戻ったコースケが次々と屋上に現れる。
「いた! ソルティ!」
ハナがスマホを上げてみせると、ソルティもちらっとスマホをかざした。こんな中でもハナに居場所を伝えていたらしい。
ソルティの下に駈けつけようとしていた四人はしかし、中央付近に対峙するものどもを目にとめ、ぎょっとして立ち尽くした。
「ヤス犬!!」三人の女子が同時に叫びソルティが
「ちゃうって!」と返しコースケは何故か俺をみて
「ヤスケン! またどーしてここに」と叫ぶ。またコイツ、意識朦朧状態らしい。よろめいて一歩こちらに出る。
「先生あぶない!」俺は叫んだ。
そのわずかな隙に乗じて、スナ犬がセイギのボディに突っ込んだ。足もとをすくわれてセイギが倒れ、そこにスナ犬は一気に喉を食い破ろうと大口を開け……とっさにニンゲン的判断が働いたらしい、その口を逸らせてヤツに頭突きを喰らわせる。気を失わせようとしているようだ、すでに半分そげかかった左顔面が衝撃で崩れ、半分乾いた肉片が散る、そしてぽっかりと穴の空いた眼窩からあごにかけて、白い骨が丸見えになった。ずらりと並んだ牙がぎりぎりと鳴っている。セイギもどきも負けちゃいない、
「この……クサレ……ぞ、こ、ないめ!!」
ぐぐうっとそのあごに開いている手をかけて押しのけてから跳ね起きる。
セイギの体は狼犬より一回りほど小さいのだが、今の力では互角の戦いになっていた。
ゆっくりと回り込むように、セイギモドキは動いていた、少しずつ、ソルティの近くまで。
「解けよ!」
いきなり叫んだセイギモドキ、複雑ながら流れる動作で空いている腕を振り動かす。と、どす黒いガスがさあっと吹き払われ、ソルティの周りから結界が解かれた、だが駈けつけようとした俺たちより早く、セイギもどきがその腕を掴む。
気づいた時には、彼らは中庭側のフェンス際にいた。
立っているすぐ背後のフェンスはいつの間にか、一区間ほど消え去っている。
「オメエら、みんな死ね」
セイギモドキの目は真っ赤に塗りつぶされていた。
「まず最初は、このチビメガネを血祭りにあげてやる」
ぐい、と屋上から押され、ソルテイが悲鳴を発した。
「止めろ宮本ぉっつ!」
あれはちゃんとミヤモトに見えているらしいコースケが叫んでまた一歩前に出た、が
「近づくな、ホントウに落とすぞ」低い制止にぴたりと足をとめる。
「どうするつもりだ」
俺も、落ちついた声になるように低く語りかける、時間を稼ぐために。
「このまま、その子と落ちるつもりなのか」
「そーだな」
ははは、とセイギの軽い笑い方でヤツは笑う、しかし手はみじんも揺るがない。
「その前にそうだね、オマエさんにこっから飛んでもらうかな」
「そうしたらその子を助けるか?」
「どうしよっかなー」
会話を続けながら、さっきから感じていた<もう1人>に話しかける、ちょうどササラの真後ろ。
『聴こえるか、俺の声』
一拍おいて、ためらうような声。『あ、ああ』
『状況がわかるか?』
『なんとなく……あんた、誰だ?』
『誰でもいい、それよかオマエさん本体も危機一髪だな、どーする』
見えないけれども、ごくりとつばを飲んだのが気配で感じられた。そしてきっぱりとした返事。
『やるよ』 そのとたん、
今まで落ちつき払っていたセイギモドキ、「ぐふっ」急に苦しみ出した。
「な、何しやがる」自分で自分の喉首あたりをかきむしっている。急に束縛から離れたソルティ、女子たちの中にだっと走り逃れた。
「や、やめやがれぇ」
セイギ、本当のセイギの声が聴こえた。
『止めるもんか、オレの身体を返せぇぇぇ!』
「い、いやだね」
急にどちらの声もセイギの喉を介して聞こえ出す、まるでラジオの混線みたいだ。
「便所でいきなり後ろから襲いやがって、このヘンタイヤロウ!」
「ばか人聞きの悪いコト言うな、離せ」
「とにかく返せ、身体返せ」
セイギは一人で首を絞めようとしたり手を遠ざけようとしたり身をよじって苦しがっている。
「やだね、別に身体なんか無くなってもいいだろよテメエ、オヤから棄てられたーみたいにしょぼーんとしてたじゃねえか、ションベンしながらよ」
急にセイギの手が止まった。その瞬間、ヤツの体が宙に躍った。
やばい! スナ犬がほぼ同時に跳ぶ、そして俺も。
スナ犬のあごがセイギの身体をかすめ、俺のか弱い腕がスナ犬の小汚えしっぽをがっしりと掴む、スナ犬はその反動で、校舎の外壁に激突、そしてセイギは……落ちていく。
「があああああああっっっ」誰の絶叫か、学校中に響き渡った。
そして、
ずざん、と何かが地面に届いた音。しばしの静寂。
俺たちは、おそるおそる縁から覗いてみた。
すぐ真下、耕した中庭花壇の中にセイギが倒れていた……大きな高跳び用マットのど真ん中にちょうど収まって。
少し先の陸上部備品置き場が大きく開け放たれていて、そこからまっすぐでかいマットをひきずった跡、そしてマットの端をまだしっかと咥えたまま立っていたのは、
「こ、ここ校長?」コースケが叫ぶ。その声に校長がマットからぱふんと口を放し、こちらを見上げて一言。
「わをん!」
校長、どうもトイレでラブに襲われたらしいな。




