1-3 暁のひとり委員会発足
翌日、水曜日。
俺は何となく学校に来て、何となくそこにいる。
そうそう、家には無事、帰れたぜ。まあその話はおいおいゆっくり。
それよか、あっという間に給食の時間だ。
メニューは、食パン、マーガリン、牛乳、鶏のピーナツまぶし揚げ、レタスサラダ、フルーツゼリー。
俺は食パンの耳をぐるりとむしってから、ちらりと件の小僧を見た。名前はまだない。
ヤツは、牛乳を一気飲みしてから隣の似たような小僧に笑いかけ(隣の小僧の名も不明)、それから、こっちの視線に気づいて、くい、とあごをあげてみせた。
―― やれよな
目が、そう告げていた。俺はごくりとつばを飲む。
怖くはなかったはずだ、俺にとっては。なのに……
体は条件反射を起こしている。この小さな体は、確かに恐怖に固まっていた。
どうする? どうするオレ? 完全にムシするか? 言いなりになってみるか?
どちらも微妙にマズイ。相手の名前はおろか、仲間が何人いるかも分らないのに、うって出ようがない。
俺はうつむき加減にパンをかじる。とたんに、どこか教室の前の方から、えへん、とわざとらしい咳払い。他の誰かがえへへと乾いた笑いを洩らす。また、ヤツを見るとその目は明らかに、嗤っていた。
少なくとも、数人は絡んでいるんだ。
顔がかあっと熱くなる。
何となく感じる、過去の記憶。トイレの個室に押し込められて、上からホースの水を撒かれる、モップで突かれ、飛び出したところを掴まって数人にこづかれて、おい、これを呑めよ、と濁って揺れるバケツの水を差し出され……
俺は思わず、立ち上がろうとした、その時。
「なんだよこのレタスサラダ!!」
すっとんきょうな叫びが教室中に響き渡る。
みんなの目がそちらにくぎ付け。声の主は、クラス一ひょうきんモノの(これはすぐ名前がつながった)ノグチ・キヨタカ、通称キヨ。でっかい図体で立ち上がり、四角い顔を大げさにゆがめる。
「しょっぱ過ぎだよ、誰だよドレッシングかけたヤツ!」
以前は個別についていたドレッシングが、いつの頃からか「合理化」の名を借りて1クラス1ポットでまとめて割り振られるようになったとのことで、それを配膳の時に当番が回しかけてそれぞれに盛り付けるらしい。オレはざわつくクラスの会話からその情報を即座に拾い上げた。
「誰だよ、今日のドレッシング当番!?」
キヨがふざけて言ったはずなのに、急に、しん、となる。言った本人も「マズイ」と言った顔で固まった。
かけたのは、芹澤汐里。
クラスでもジミで目立たない小柄な女子、シマジリくんと似たタイプ、かな。数人の女子から密かに虐められているのも、実はシマジリは気づいていたようだ。
視線が集まる。シオリのショートカットで囲まれた小さな顔、赤いべっこう縁の眼鏡の奥で視線が揺れている。口がへの字になってる。今度はオンナの数人がかすかにイヤな笑い声をたてた。セリザワの口がわなないた。やべえ、泣きオンナなのか、コイツは。
気づいたら俺は立ち上がっていた。
それも、机の上に飛び乗って。
トレイごと食器が床に落ちてガラガラと派手な音を立てる。
今度は俺に、視線が集中。
俺は、誰かに視線を合わせようとした、いや、やっぱ止めた。今は心をニュートラルに。
そして、両手をぴたりと脇につけて、直立不動の姿勢から
「どーももーしわけありませんでしたーーーーーーーーーーーーーっっっっ」
腹の底から叫んで、キヨに向かって深々と頭を下げた。
しばらく、その姿勢。キヨの素っ頓狂な叫びが教室に響き渡る。
「なななんでスナが謝んだよぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
「どういうことだ、嶋尻」
担任のカネザキが教卓から立ち上がったのを気配で感じる。キマジメなタイプだなこの男、きっと額に青筋立ってるな。
俺を辱めようとしていたヤツらも、よく分らない展開に口をあんぐり開けているようだ。
「何ふざけてんだ、嶋尻!!」
「先生!」いきなり、窓際の席からよく通るカワユイ声が飛ぶ。
「ふざけてるんじゃないんです、シマジリくん、アレなんです!」
ウインブルドンの試合だね。今度はそっちに視線が集まった。俺も目だけ向けた。
花野木杷奈だった。
ふわっとした天然パーマが肩に届いてて、目鼻もくりん、と愛きょうのある感じ。少しばかり横幅もある、どちらかというとおっとりしたタイプ。ある意味マイペースというのだろうか、他人とはあまり濃ゆくは関わりたくないが、一通り温和にあたりさわりなく接して、同性にも異性にもほどほどの人気のタイプ、といえばいいか。
そんな彼女が、顔を赤く染めて立ち上がっていた。そして俺をまっすぐ指さして、こう言った。
「シマジリくん、『責任とります委員会』の委員なんです!」
えっ。
カネザキももちろん、俺も、キヨも、セリザワもクラスの全員がかたずを飲んで見守っている。
「せきにん、とります、なんだって?」
カネザキの途方にくれた声。
ハナは、頬を染めたまま、今度はハッキリとこう宣言した。
「『責任とります委員会』です」
「……それは」カネザキ、迷ったように俺を見た。
「嶋尻、オマエ、誰かに言われたのか?」
「いえ」
俺は覚悟を決めた。この時にね。
顔をまっすぐあげて、カネザキの目をとらえ、こう宣言。
「立候補、です!」