5‐ 8 イヌはニンゲンの最良の友
ボクは午後の公園をヤス犬とトボトボ歩いていた。
故ヤスカワ・ケンイチロウのとり憑いた大型犬、略してヤス犬。
公園も奥のほうまで来たので、人にはほとんど会わないで済む。
歩きながらボクらは話した。誰か来ると口をつぐみ、しばらくするとまた会話する。
会話といっても、ヤス犬に言わせると周りの人間にはボクの声しか聞こえないらしい。
それじゃあ、周りから見ればボクは単なるアヤシイ人じゃん。
しかも連れているワンコはどこかイキが悪いし。
先日の台風の時、鎖が外れてさまよい歩いていた飼い犬が道路に飛び出し、そこを大型のバンに撥ねられたんだって。ラブという名前だったそのワンコはまっしぐらに家まで走って帰ろうとしたが途中、草むらで力尽きて倒れてそのままずっと虫の息で、ケンイチロウさんが見つけた時にちょうど、息を引き取ったところだったらしい。
「あわてて見つくろっちまったよ、あんまり小さいヤツには入れなくてさ、猫かハトくらいまでが限界らしいし、」
それに新しい魂を受け入れたシカバネは、じゃっかん腐敗も遅くなるとは言え、時間の経過には逆らえない。
「オマエさんみたいに、いったん入った身体とは何故かこうやって会話できるらしくてよ」
少しばかり、オマエさんとまだ話がしたかったからね、とヤス犬はまたにやりと笑った。
「とか言って」
ボクの腕に鳥肌がたったのは、単に日が傾いてきたからばかりではないだろう。
「またボクが弱ったらこの身体に入り込もうなんて思ってんだろ」
「んなこた、ねえよ」
マジな声音だった。でも、片眼が飛び出しかかったワンコに言われても。
「オメエみたいなヒヨッコに入り込んでまたアンナやらコンナやら苦労したかねえし」
それにしてもよ、と急にヤラシイ言い方になってこちらをのぞきこむ。
「オメエんとこの女子、カワイイの多いよなー」
「……ついて来ないでもらえますか」その要望には完全無視くれてヤス犬、声の調子が変わった。
「スナくん、これからどーするつもりだよ」
「え」
そう、そこが問題。
「まあ仕方ねえ。俺がしばらくついていてやっからよ、もうちょいと崩れてくるまでは、な」
何だか、あまりうれしくはなかったけど、とりあえず「ありがとうございます」と棒読みで礼を言っといた。
ヤス犬はまたにやりと笑う。お世辞にも、ステキとは言いかねた。
家の近くまで歩いて行く間、何度も通行人からジト見された。
そうだよな、こんなにでっかい犬を、リードも無しに脇に従えて歩いてるんだから。
とりあえず、ササハラさんに連れて来られた墓地の裏手に入り込んだ。
八月のお盆シーズンになると少し人が多くなるけど、元々あやしい感じの寺で、参拝客はごく少ない。その裏手なので幽霊犬でも隠れる所はありそうだ。
その前に目立たない水道を使って、ボクはヤス犬を洗ってやった。
だって、汚いのもそうだけど何となく……匂うし。
「ねえ、痛くない?」
脇に開いた穴付近、固まった血をはがしてやりながら聞くと、薄いコハク色の右目を「いや別に」と満足そうに細めながらそう答え、ヤス犬は大人しく丸洗いされていた。
一通りできてから、ぶるぶるぶるっと身震いしてみたら、うん、それでもさっきよりはずいぶんマシにはなったかな。
左目も気味悪かったけど、押しこんでやったら一応近い位置に戻った。
……十人中四人くらいまでなら、「ああ、大きくてやんちゃそうなワンちゃんですね」と言ってくれそう。くれないか。
とにかく、六割ゾンビなヤス犬は改めてボクに向き直り、こう言った。
「じゃ、そこ、安藤さんち墓石の前に座れ。とりあえず抜け落ちてた間の引継をしてやる」
そして、まずボク/ヤスケンがササハラさんと机の前で会話したところから、委員会活動の全てについて聞かされることとなった。
すっかり日が暮れた頃、ヤス犬はふうっと息を吐いて、前脚を少しなめてから話を終えた。
「と、まあこんなところだ」
あまりにもボクが黙ったままだったんで、心配になったらしい。
「何か聞きたいことねえか」
「うん……」
何もかもハッキリした。ボクは本当に、のっぴきならないところまで来てしまってたんだ。でもさ
「ササハラさん、そんな趣味あったんだね」
「イヤか?」
「え?」ボクは何だか、嬉しかった、その話を聞いた時。
今までの流れを聞いてきた中で一番、ほっとしたかも。
いいな、って思う。正直にそう言うと、ヤス犬は目を見開いて首を傾けたままボクを見た。
「オマエも、いいな、って思ったか」
「うん。だってさ、何か好きなことに夢中になれる、ってステキじゃん」
「そうか」
「見てみたいよ、ボクも。そのオカルト演歌」
「なら、検索したのブックマークしてあるから見てみろや、帰ってから」
ヤス犬が優しく言って、ボクの腕を舐めた。うん……ひやりとして気持ちいい、ワケないか。
「そんで、帰ってからもう一度よく考えてみろ。どうするかはオマエの自由だ」
まあな、とコハク色の目は最後にこう告げた。
「一回飛び降りちまったニンゲンだ、もう怖いものなんてないだろ?」
その晩、ボクはまずハナノキさんに電話をかけた。
ヤス犬と話し合った末に、ようやく出した結論を伝えるために。
話し合った? 説得された? それとも脅された? 自分にもよくわからないけど、もう、そうするしかないような気がして。怖いものがないって? ううん、そんなことはない。
ボクには何もかもが怖い。でも、もうこれしか選択肢は残されてないんだ。
「はい」
ちょっとよそよそしい返事にわずかにひるみはしたが、ヤス犬のあのコハク色の目を思い出し、勇気を振り絞りこう告げる。
「……あのさ、委員会を続けたい」
「は?」
意外だったんだろう、ハナノキさんはそう高く叫んだきり何も答えない。
沈黙をいいことにボクは立て続けに頼む。
「でも、ボクひとりじゃ何もできないと思う、だから力を借りたい、何とかしようって思うんだけど、まず何していいか、それでさ、キミらの方がずっとアタマいいし行動力あるしそれにさ……」
「みんなを集めりゃ、いいんだよね」
「ああ……うん、お願い」
「わかった」
この人は以前から、他人を責めない。そういう所は見たことない。ノンキそうだけど気配りできるし、とにかく前向きに何でもやろうとするんだ。こんな時には本当に頼りになる。
明日の正午、ランガクジ公園の高台に集合となった。




