4‐ 6 我が名はヤスカワ
バーガーショップ「はさみ☆むし」の二階席、奥どん詰まりトイレに一番近いボックス席に彼女はカフェオレひとつ持って収まった。
少し遅れてついて行った俺は、階段手すりの切れ目から姿をみせないようにそっと様子をうかがう。
さすがチューボー、不審者に対する警戒心はほとんどない。自身のことだけで頭が一杯のようだ。
紙カップの乗ったトレイを置いてから、どさっと合成レザーの赤いシートに身を投げ出し、すぐにポケットから何かの端末を出す。ひとつはスリムなガラケー、もうひとつはスマホだろうか、まずそちらで何かをし始めた。一心不乱という風だ。
俺はするりと向かいの席に滑り込む。彼女は顔を上げずにこう言った。
「何の話。他のヤツらは」
「今日は一人で来たけど」俺がそう声をかけるとシオリはソファの上で飛びあがった。
眼鏡の奥の目をいっぱいに見開いている。
追いつめられた草食獣だ。多分今なら肉も食う、パンにはさんであってもなくても。
「話がある」
「な、なんでシマジリくんが」
誰かと間違えていたらしい。みるみるうちに真っ赤になった。
それでも、シオリの目はきょときょとと落ちつかなげにさまよったままだ、口調はあくまでも冷たい。
「ねえ。頼みがあるんだけど」
俺はもう正直モードで行くぞ。
「休んでいる理由は特に聞かない。勝手だと思うかもしれないけど、その方がお互い気が楽だろ?
二学期から学校に来てほしい。いいや……体育祭まででいいんだ」
答えはなく、こちらを見ていない。でも、手は止まっている。
「もちろん、御礼に何か支払うよ、現金でもいい、できるものなら何ででも」
ちょっと頭の片隅に残ってたんだ、部屋にヘソクリがあったはず、ヤスケン時代に、だけどな。五百円硬貨を頁に一枚ずつはめてく『10万円貯まる本』つうやつが本棚の奥に。かなり、いい線までいってたって記憶が。
「セイギとスズキのことでしょ」耳には入っていたようだ。
「別にいいじゃん、一緒に運動会に出れば、アイツらと」
「できねえから頼んでんだろ」
俺の、いや、スナの意外にも強い口調にシオリはまたびくんと身を震わせた。
「なによ」
「スナ……いや俺、けっこうヤバい感じなんだよ、今」
なぜだろう、冷や汗もさることながら、オヤジモードもスラスラと出てくる。
「終業式にもチャリ置き場の横に呼ばれてコテンパンにやられた、休み中は何と、一緒に練習しませんか、だとさ。『シンダホウガマシ、って知ってるか?』ってよ。驚いたよな」
「……誰? アンタ」
俺はぐっと息をのんでから、シオリにまっすぐ向き直った。
彼女もじっとこちらをみている。俺ののど元くらいに目線を止めてはいるが。
「アンタと取引したい、シオリちゃん」
「誰?」
「俺は……ヤスカワ・ケンイチロウ」
シオリは固まったままだったが、わずかに視線が動いた。
「ちょっとワケありで、シマジリ・スナオの中に閉じ込められちまってる」
手短に、訳を話す。おかしなことに、手ごたえはあった。
彼女は疑っていない、直感で分かった。
「……本物のシマジリくんは」シオリの目がようやく一瞬だけ俺の目を捉えた。
「俺には分かんねえ。夏休みに探すつもりだった」お前のせいで探すのが遅れてる、って言ってるつもりはなかった。しかし、シオリは辛そうに唇を噛んで下を向く。
「ヘンだと思ったんだ」
俺は身を起こす。
「ヘン? ってどーゆーところが」
「だって……落ちてきたし」
「はあ?」何か、今ちらっとさりげなく重要な情報を小耳にはさんだ気が。
「落ちてきた? どっから」
「あの崖」そこまで言ってから急に、プレーリードッグのように身を起こす。
「たいへん」顔色まで変わってる。
「アイツらが来る」
俺も身を起こす。
「アイツらって?」
早口のようにシオリが言った。
「セイギとスズキとチンタオ、呼び出されたんだよ、今日」




