2-4 來夢(ライム)へようこそ
スナとして生まれ変わって間もなく、俺は部屋にあったPCのチューンナップもこっそり済ませていた。役に何か立つ情報が拾えるかも、くらいの軽い気持ちだったのだが。
それでも今回、少しばかり事は急を要する。
ヤスカワの全ての記憶が出揃った訳ではない、しかし、思い出した限りでは他に手立てはなさそうだ。
俺はあの白銀に輝く蜘蛛の糸を辿ることにした。
検索でつきとめて、俺は『クラブ・來夢』の頁にイン。
ごく当たり前のように、美しい夕暮れの街並みと柔らかな琥珀色に輝く店内の様子が画面いっぱいに俺の目の前に現れた。
洒落た字体に、俺の目がしらがなぜかじんと熱くなる。
『來夢へ、ようこそ』
こないだ行ったのは三月末だろうか。すでにそれから何万年も経ったような気がする。
実のところ、サイトはあまり見た事がなかった。忙しいのもあったし、そこまで店自体に入れこんでいたわけでもない。しかし、飴色のカウンターと酒瓶の配置を目にしたとたん、色々とこみ上げてくるものがあった。
そうだ、確かにここだ、口の中にジンライムの香りと風味が蘇る。
そして思い出の断片が。
はたからみると十分ヘンだろうな、バーのサイトを開いて涙ぐんでいる小学生みたいなチュウボウ。涙ぐみながらしかも親に見つからないかキョロキョロしてさ。
右隅には黒い影、姿が少しぼやけているバーテンダーの姿が。
シェイカーを振りだそうとしたところだろうか、動きのせいでピントが合っていない。
しかしまさしく、鈴だ。
黒装束に包まれて、すらりとした長身で立つ姿には気品さえ感じられる。
表情まではうかがえないが、横向きにシェイカーを構えて画面の外に目を向けているようだ。黒いショートカットが無造作ともいえる跳ねをみせているのも懐かしい。
左にお洒落なアイコンが数個並んでいる、俺は下から二番目の『guest room』をクリック。
一度だけ、ここに連絡したことがある。後はもっぱら、店に訪ねて行って客が誰もいない時を見計らって話をするくらい。そして……
俺を助けてくれそうなのは、彼女しかいない、俺は心を決めた。
メールフォームが現れた。しばらく考えてから、俺は以下の文面をタイプ。
「貴店のジンライムをこよなく愛する者です。諸事情によりお願いがあり、メールを頂きたく存じます、至急ご連絡頂けますでしょうか?」
ゲスト名に『ken01』と入れ、記憶に残っていた自分のメルアドをリンクさせる。
賭けだった。
リンはバイトを入れたかも知れない。自分では忙しくてメールチェックも他人任せかも。機械は苦手だと常々言ってたし。
しかし、バーの経営や大切なことに関わる部分では、他人の手が入るのを極端に嫌がっていた。いつも独り、孤高の狼のような冷たい空気をまとわりつかせていた。
一時間ほど待っただろうか、開いていたメールフォルダのkenichiro1122アカウント宛てに軽やかな音をたてて一通、新しいメールが滑り込んだ。
文面には、こうあった。
「どちら様ですか」店のメルアドからではない。彼女個人のものだった。
俺は不器用な指先ながら大急ぎで文面を作る。
「列車に撥ねられたらしい男がもしどこかで元気に暮らしていて、助けを求めているとしたら?」
次は案外早く、返事がきた。
「冗談ならばタチが悪いですね。これ以上連絡を寄越すようでしたら、警察に連絡します」
焦った。手が震えてうまくタイプできない。
「頼む、信じられないかもだけど、何でも質問してくれ。本人しか知らないことを答えるから」
次のメールを待つ間、俺は親指の根元をぎゅっと噛みしめる。
永遠とも言える時を待ち続け、ついにメールが来た。文面を読んで俺は思わず噴き出した。
質問は全部で三つ。
『一.勤め先と仕事は?
二.オレオの正しい食べ方は?
三.飼っていた猫の名前は?』
スナの顔は泣き笑いを浮かべていただろう、震える手のままガシガシと答えを打ちこんでいく。どれもカウンター越しに会話した内容だ、二人きりの時に。
『一.しがないSE、というのは仮の姿で実は世界征服を企む豆腐屋です。
二.オレオはまずまん中で一枚ずつにはがし、クソまずいクリーム側は相手に渡します。そして消し炭のような一枚を一気に口に放り込む、クリームが少しでも付いている場合には』
そこまでタイプした時、電話が鳴っているのに気づいた。
近くの子機をみると、見たことのある番号。
タイミング悪すぎ、ササラからだ。
俺は慌てて続きをタイプする。
『三.飼っていたのはタマですが猫ではなくアロアナです。デカクなりすぎてこっそり夜中に池に放してしまい、偶然仕事帰りのアナタに見つかりメチャクチャ叱られて池に突き落とされました、サカナに何すんじゃワレ~~~! と』
階下で電話に出てしまったらしい、母親のやや取り繕った高い声が聞こえる。
「はい、スナオですね、ちょっと待ってね」
俺は脇目もふらず続きを打ち込む。
『あなたがどこにも話されていないならこれは多分二人だけの秘密だと思います。彼も誰にも言いませんでした。なぜなら助けあげられて着替えを貸してもらった時』
その時、階下から容赦のない母親の声がとぶ。




