拓海と美花とバレンタインデー
今日は二月十四日一年の行事の中で独り者の俺には縁のない最悪なイベントの日だった。
「ええなぁ~! 相手のおるやつは楽しそうで!」
「拓海ちゃんも早くええ人見つけなアカンね~」
俺が一人でカウンターに座って拗ねていると、オカンはクスクスと笑いながら俺の前に生ビールのおかわりを注いだジョッキを置いた。
「誰か好きな子とかは? おらへんの?」
「なかなか出会いがないんやわ! この店にも出会いを期待して通ってるんやけどなぁ~」
もうすぐ二十六歳になる俺は、実は好きな子と聞かれても自分でもどれ位を好きって言うのかもイマイチわからんから、この歳になっても彼女の一人も出来きんかった。こんな性分やから仕方ないんやと自分でも恋愛に関しては殆ど諦めに近い気持ちで開き直ってる。
それでもこんなイベントの日はやっぱり彼女がおる奴が正直羨ましいと思う。
どう見ても俺のほうがイケてるやろ? っていうようなパッとしない野郎が可愛い彼女を連れてるのを店に来る途中で見て胸糞悪いから俺は酒を呑みながらオカン相手に悪態ついてた。
「ただいま~! お腹空いた~!」
店の戸を開けていつもと変わらん同じセリフで美花が仕事を終えて帰って来た。
「おかえり~美花ちゃん! 今日も一日お疲れさん!」
オカンに熱いおしぼりを貰って美花はニコニコしながら俺の横に座った。
「あ~~! 疲れた~! 今日は殆ど外回りでめっちゃ歩いたから足が痛いわ~」
「それやったら! 座敷の方に拓海ちゃんと座ったらええやん! もうすぐこうちゃんらも来るやろし、ええやろ? 拓海ちゃん」
俺に気を利かせたつもりなんか知らんけどオカンはニヤニヤ笑って俺らを座敷に座らせた。
「ミャーミャー…ミャー」
また少し大きくなったがんもが、俺の膝にすり寄ってくると美花が俺の横に来てがんもを抱き上げて笑っていた。
「猫に好かれてもなぁ~。今日みたいな日は虚しいだけやねんけどなぁ~!」
「そうなん? チョコくれる彼女もおらんの? 学生の頃は沢山チョコ貰ってたのになぁ~」
美花はがんもを膝へ乗せて俺を見てクスクス笑いながら、オカンに夜の定食を頼んだ。
確かに中学、高校が俺の一番のモテ期やった。社会人になってからは仕事場が男ばっかりやから色気もクソも無かった。
出会いを期待出来るのはほんまにこの『オカンの店』しかなかった。
俺が少し物思いにふけってる間に、美花は夜定食を美味しそうに食べながらスマホに夢中になっていた。
「そういうお前はチョコ渡す相手くらいおるんやろな?」
俺が美花に顔を近付けて聞くと、美花は少し慌てた様子で顔を少し赤くして必死に誤魔化そうとしていた。
「そ、そんなん別におるというか……。なんていうか……。もう~! どうでも良いやん!」
良くはわからんけど……。それ以上聞くとアカンような気がしたから俺は聞かんかった。
「オカン! ただいま~」
店の戸が開いて、こうちゃんと宗ちゃんと麻由美ちゃんが揃って帰って来た。
三人は迷わず俺と美花が座ってる座敷に腰を下ろした。宗ちゃんの持っていた大きな紙袋を指差してこうちゃんがニヤニヤと笑いながら宗ちゃんをちゃかしていた。
「宗ちゃんって会社でめっちゃモテるみたいやで! その中全部チョコらしいわ!」
「ちゃうちゃう! 全部義理チョコって奴やから別にモテてないんやで!」
宗ちゃんは顔を真っ赤にして、慌てて紙袋を自分の後ろに隠した。
「宗ちゃんも大変やな! そんなに貰ったらお返しが大変やもんなぁ~」
「わかります? ほんま大変なんです。返さんかったら何言われるかわからんからお返しせんわけにはいかないでしょ? 誰から貰ったかを覚えとくだけでもほんま大変でほんまに好きな人にだけ渡せばええと思うんですけどね」
一気にビールを飲み干して宗ちゃんは照れ臭そうに頭を掻いていた。
俺は気になって宗ちゃんの紙袋を覗き込んでみた。するとそこには、確かに綺麗に包装されたチョコが何個も入っていてそのチョコ一つ一つに名前を書いた付箋が貼ってあった。
「そんなん! 貰わへんかったらええやん! 僕はほんまに好きな人からしか貰いませんとか言うて貰わんかったらええのに!」
宗ちゃんに向かって少しむくれた感じで美花が言った。
「そういう訳にはいかんのと違う? 宗ちゃんにも会社での立場とかもあるやろしな! 穏便にしとかんと仕事が回らんようになると困るんやで? 女って怖いからな~」
麻由美ちゃんが宗ちゃんを庇う形で美花を宥めていた。
「何度か断った事もあったんやけどな! 折角用意したんやから! って押し切られてさすがにそれ以上は僕も断りきれへんかったんや」
宗ちゃんは苦笑いしながら生ビールをおかわりしていた。
「こういうイベント事はやっぱり学生の頃が一番楽しく感じたな! 好きかキライかってはっきりしてたしな!」
こうちゃんが宗ちゃんの背中を叩いて笑った。
それにしてもさっきから俺が気になってるんは、美花がちょっと機嫌が悪いと言うか何というかどうしたんやろ? 宗ちゃんの紙袋一杯のチョコを見てから、どうも美花の様子がおかしい気がする。
あいつもしかしたら宗ちゃんを好きなんか?それならそれで面白いから俺はこのまま様子を見ることにした。
チョコの話で盛り上がってる間に店は満席になっていた。オカンが忙しそうにしてるので、俺はいつものようにカウンターに入って洗い物をする事にした。
「拓海ちゃんはほんま優しいなぁ~」
オカンを手伝ってる俺を見て、カウンターに座ってた桜絵ちゃんがニコニコと笑ってる。
「口説くなら今のうちやで! 拓海ちゃん今寂しい独り身やからな! お買い得やで!」
オカンは俺を桜絵ちゃんの前に立たせて今なら半額! とか言いながら俺のことをほんまに勧めていた。
「オカン! 俺を安売りせんといてや! 俺は高いんやで!」
俺がオカンに向かってツッコミを入れていたら、桜絵ちゃんが楽しそうに声を出して笑っていた。
「それで? どれ位高いん? 気になるわ~! 拓海ちゃんてほんまに独り身なん?」
今度は桜絵ちゃんに顔を近付けてツッコミを入れられてちょっと俺は焦っていた。
桜絵ちゃんは繁華街のクラブで働いてる人気のホステスなだけに、めっちゃ色気たっぷりでべっぴんさんやから口説かれて落ちひん男はおらんと思う。
でも、水商売の女は危険やから俺はそこをグッと我慢するねん。
「うちなぁ~そろそろこの仕事辞めて昼間働こうかなぁ~って思ってるねん」
俺の気持ちを見透かしてるかのように桜絵ちゃんが話し始めた。
「なんで? 店で何かあったんか?」
凄く気になって俺が身を乗り出して聞くと桜絵ちゃんは
「うちな、半年くらい前から好きな人が出来てしまって仕事に身が入らんようになってしもてな……。今日もほんまは店に出なあかんかってんけど休んでしまってん」
溜め息を吐きながら色気タップリの目をして桜絵ちゃんは俺のことを見て少しだけ笑っていた。
最近ずっと桜絵ちゃんがこの時間にオカンの店におるからおかしいな~とは思ってたんやけどそういう事やったんか……。
「お父ちゃんの借金返すために十八の時からこの仕事始めて、去年全部借金の返済が終わったからうちも今年で二十五歳になるし、そろそろほんまに昼間の仕事をしたいと思うねんけどね。店のオーナーさんにもう少しおってくれって頼まれて続けてるんやけど。そろそろ潮時かなぁ~って思ってるんよ」
桜絵ちゃんはこんな俺に自分の身の上話をしながら、オカンにワインを注文していた。
俺が桜絵ちゃんにその人と付き合ってるんか聞くと首を振りながら
「多分相手は全然うちの気持ちに気付いてへんわ~! フフフ」
ちょっと哀しそうな目をして桜絵ちゃんはオカンに預けていた紙袋を出してくれとお願いしていた。
するとオカンは棚の中から赤い紙袋を取り出して、桜絵ちゃんに手渡していた。
「うちの手編みのセーターとチョコやで!」
俺のことを真っ直ぐに見て、立ち上がった桜絵ちゃんが俺に向かってその紙袋をにっこり笑顔で差し出していた。
「え? え? 俺に? マジで? ほんまに?」
俺が慌ててるとオカンがかなり呆れた感じで俺の背中を力いっぱい叩いてた。
「拓海ちゃんはほんま鈍いからな~うちはもうずっと気付いてたんやけどほんまに気付いてなかったんやな~」
俺はオカンに言われてようやく思い出した。
去年の秋頃に桜絵ちゃんに肩幅やら胸回りやらって寸法測らせてくれって言われて何でやろ? と思いつつもその時はされるがままでスッカリ忘れてた。
セーターやったんか!分からんかった。
「俺なんか相手にしてもらえるわけないって思ってて全然気が付かんかった。ありがとう! めっちゃ嬉しいわ」
俺が嬉しくて感動してたら桜絵ちゃんの目から涙がこぼれそうになっていた。
「おいおい! ちょっと待って! 泣くこと無いやん! 悪かったって! 俺が気付かんで悪かった!」
俺は慌てて新しいおしぼりを出して桜絵ちゃんに渡した。
「なんかそこ! 盛り上がってるやん!」
俺が慌てふためいてるとこうちゃんと麻由美ちゃんが笑ってこっちを見ていた。
すると美花がいきなり立ち上がって自分の持って来た紙袋を宗ちゃんに向かって差し出して渡していた。
「私も! 私も手編みのマフラーと手作りのチョコ! 義理と違うからね!」
耳まで真っ赤な顔をして少しうつむき加減だったけどアレはアレで美花なりに頑張っていたと思う。
「あ、ありがとう! 嬉しいわ! ほんま嬉しい。ありがとう」
宗ちゃんも立ち上がって紙袋ごとそのまま美花を抱きしめていた。
宗ちゃんのくせになかなかやるやん! と思いつつ俺も桜絵ちゃんにもう一回ありがとうって言ってから優しく桜絵ちゃんを抱きしめていた。
その後は皆で盛り上がって年に一回の俺にとっての最悪なイベントが最高のイベントになっていた。