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トラウマ  作者: Y氏
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 懐かしい友人から連絡があった。

 〈 大変なことが起こった、至急家へ来て欲しい 〉

 その手紙は宛名のない封筒に入った、二行だけタイプされた便箋で、切手は貼っていない。

 すると、昨日の夕べの内に自分の手で私の家の郵便受けに入れたことになる。

 些か不可解ではあったが、私は取るものもとりあえず、手土産を片手に友人宅へと駆けつけた。


 友人の家は私の家と同じブロックにあるが、ちょうど正反対のところに位置している。

 四角を描いて対角線を引いた、その頂点同士といった塩梅だ。

 いつもどおり、仕事や買い物に行く時みたいに大通りを歩きかけ、ふと私は思い直した。

 馬鹿正直に公道を歩くよりも、路地を突っ切ったほうが早く着く。

 私は適当なところで角を折れ、背の低い建物が無作法に密集している、蜘蛛の巣のような道をくねくねと歩いた。


 路地を歩くのは久しぶりだったが、意外に身体は道を覚えていた。

 かつて、我々がまだ子供だった頃。私たちは頻繁に互いの家々へ遊びに行った。

 そんなとき、我々はいつも「どのルートを辿れば最短で相手の家に着くか」といったような、

 少年によくありがちな他愛のないことで競い合ったものだ。

 背が高くなり、腹は出て、髪の毛の少し寂しくなった中年の今でもなお、私の脚は件の「最短ルート」を的確になぞった。

 周囲の建物は、変わっているものもあれば、変わらないものもあった。

 懐かしいような、新鮮なような、そうのちょうど中間、形容のかなわない不思議な気持ちで

 私は路地裏をずんずんと進んだ。


 やがて友人宅に着き、私は玄関のドアをノックした。

 こんこん、こん。

 ……返辞はない。

 そりゃそうだ。周囲の静まり返った夜半ならともかく、真昼間からノックの小さな音が聞こえるわけもない。

 「私はなにかに遠慮をしているのだろうか……?」

 すっかり緊張してしまっている自分に気がつき、ひとり苦笑をした。

 ひとしきり笑い終えたところで、私は玄関のチャイムを鳴らす。

 きんこん。

 ……返辞がない。

 まさか、自分から呼びつけておいて(それも大変なこと、とまで言って)留守にしているわけでもなかろう。

 私は何気なくドアノブを手にとった。と、ノブはなんの抵抗もなくするりと回る。

 ドアが開き、嗅ぎ慣れた友人の家の香りが鼻に飛び込んでくる。

 「おーい」声をかける。「居るのかー? 入るぞー?」

 返答はない。あかりのない室内は暗く、ひんやりとした風が音もなく私のそばを過ぎていった。


 数秒間、私は思案をする。

 あるいは友人は、お茶請けでも買いにちょっと出ただけかもしれない。

 多少無作法ではあるが、中で待たせてもらうことにしよう。なに、勝手知ったる他人の家である。

 私は玄関に入り込み、靴をスリッパに履き替えようとしたそのとき、下駄箱の上に一枚の紙が置いてあるのを発見する。


 それはどうやら、私に宛てて書いたメモのようだ。

 太字のサインペンの走り書きで、字の綺麗な友人には似合わず、字体がものすごく荒れている。

 〈 〇〇へ、突然のお呼び立てすまない 〉

 私はくすりと笑ってしまった。……こんなところまで、礼儀正しいやつだ。

 〈 わけがあって、自ら君を迎え出ることが出来ない 〉

 〈 すまないとは思うが、これも許して欲しい 〉

 字面は深刻だが、私には余裕があった。

 ……もしや、これは。


 友人お得意の冗談だろうか?

 彼はこんな風に、手の込んだことをするのが好きだった。

 いつだか、私が十歳の誕生日を迎えた時に……と、これは迂闊には話せない。

 これは私たちだけの、大切な思い出なのだ。

 だれにも話すことはできない。


 〈 これから君は、このメモの指示に従って行動して欲しい 〉

 私はくすくす笑いを押し殺しながら(友人に聴かれるのはしゃくだ)メモを読み進める。

 〈 まず、絶対にスリッパに履き替えないこと 〉

 〈 普段みたいに外には出しっぱなしにはしていないのだが、どうせ君のことだ 〉

 〈 下駄箱を漁ってでもお気に入りのやつを引っ張り出すんだろう。それは御免被る 〉

 そこまで読んだ私は、まさに友人の予言した通り、

 勝手知ったる下駄箱から勝手に自分が愛用している青いスリッパを手にとったところだった。

 「ふむ……」私は唸る。「なかなかに手強い」

 そしてメモを読み進めた。……スリッパを履いてはならない理由に関しては、これといった説明がなかった。

 〈 もうひとつ。そこの下駄箱の脇に 〉

 〈 いつだか君がふざけてプレゼントしてくれた空気銃があるだろう 〉

 〈 部屋に入り込むにあたって、それを忘れずに持ってきて欲しい 〉

 〈 たまに、暇を見つけては思い出し、手入れをしていたから 〉

 〈 今でもおそらく淀みなく作動するはずだ 〉

 〈 たまもしっかり込めてある 〉

 〈 なにかあったときのために、というのが、プレゼントのときの名目だったからな 〉

 そうだそうだ、と私は頷いた。そんなこともあった。


 我々は互いに、相手の嫌がるようなプレゼントを送りあうのが好きだったのだ。

 自分で考えた(自称)大傑作の長編ミステリ小説を送りつけたりだとか。

 無闇矢鱈にピースの多いジグソーパズルを見本を渡さず送りつけただとか。

 そして、ミステリ小説のオチは、ジグソーパズルの裏側にボールペン字で書きつけてある。

 どちらも私がやったことだ。


 それはさておき、私は更にメモを読み進めた。字体がいよいよ荒れている。

 〈 そしておそらく、これからなにかが起こる 〉

 〈 けっしてじゅうをはなしてはならない 〉


 唐突に、メモはそこで終わっていた。

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