厨房バトル
ギラリと光る眼。ドクンドクンと脈を打つ心臓。グッと殺した息。
獲物に狙いをつけ、一歩、また一歩と、気づかれぬよう慎重に、ゆっくりとだが確実に距離を縮める。近づくたびに、早まる鼓動に息をつまらせそうになる。
ゴクリとつばを飲み込んだ。
少しの隙をも見逃すまいと、神経を辺りに張り巡らせる。時間が、意識が遠退くほどゆっくりと流れていく。
辺りはそう静かではないはずなのに、次第に早くなっていく鼓動しか耳に入らない。
少しずつと縮めていった距離は、とうとう、隙さえあらば十中八九しとめられるほどの距離になっていた。
息をひそめ、相手の動向を伺う。少し、ほんの少しでいいのだ。いつでも飛びかかれるよう、身を精一杯縮め、構える。
相手はコチラに気づく様子もなく、さらにはコチラに背をむけた。またとないチャンス。迷うことなく、飛び出した。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。のばした手は獲物をかすめただけで、今は、冷たい台に手のひらを押し付けるのみ。甲には銀に光る棒状の物が突き刺さっていた。
「痛ッ!!」
声の主は叫ぶが早いか、慌てて手を引き、手の甲をさすった。くっきりと残った痕が痛々しい。
涙目になりながら、う〜、と唸るような声を出す。
「自業自得、って、知ってるよなぁ、船長さん?」
「……ッにしても、刺す事ないじゃん!!」
「刺すつったって、ただのフォーク。死ぬことはないっしょ。それに、お灸を据える意味ではナイスチョイスだと思ってたところだけど?」
敵もさるもの。一筋縄ではいかない。口ぶりから察するに、大分前から船長の気配を感じ取っていたらしい。
本日の戦績は一戦一敗。食い逃げ大戦厨房バトルは、朝をもって始まる。
「あ〜、痛〜」
「自業自得です! 少しは懲りたんじゃないんですか」
ルルはどこかで聞いたようなセリフをはいた。
今日のルルはいつになく、機嫌が良い。朝イチで船長を“捕獲”できて、それこそ超がつくほど嬉しいのだ。怒ったようなことを言っているが、それとは裏腹に、声はいたって明るい。それほどまでに嬉しいか、と怒りを覚えたが、自分のまいた種であるし、まさしくその通りなのだ。
村正もやり手だなぁ、と思う。捕獲してすぐに、ルルへ連絡するのだから。
“連行”される船長の姿を見て、船員たちは「またか」と苦笑する。中には、ご愁傷様ですと手を合わせるものまでいた。もとはといえばこれも自分のせいで、誰をせめられるものではないが、やはり腹立たしい。隙をついて逃げてやろうか。
「ホラ、行きますよ」
よからぬ考えをめぐらしていたところ、グイと手をひかれた。
ズルズルと半ば引きずられるようにして着いたのは、航海士の待つ部屋だった。
本音を言えば、自室で仕事をしてもらいたいところではあるが、あのカラクリ部屋で船長と対等に追いかけっこをするだけの自信は、今のルルにはない。それに、場所を選ぶようなものでもない。どこでもいいか、と思って連れてきた先が、航海士の部屋だった、というわけだ。
この船・聖魔殿の航海士はシーナという少女である。少女というにはいささか大人びていて、落ち着いた人であるが、実は船長と一つしか違わない。どうしてこうも違うのか、と見比べずにはいられない。
「船長、あんまりルルちゃんを困らせないであげてくださいよ? 見ていてかわいそうですから……」
「へいへい。で、何?」
すっかりふてくされて、気のない返事をする船長。ルルはむっとしたものの、シーナはそんなことを気にするそぶりを見せない。そんな落ち着いた態度に頭が冷えたのか、ルルは言い書けた言葉を飲み込んだ。
「今回は、船の修理だ何だで一週間ばかり時間が欲しいんです。特に急がなければならない予定もないことですし」
「何だ、そんなこと? 別にいいけど?」
「そうですか。船長、その詳細なんですが……アラ?」
ルルもシーナも目を離した一瞬の隙をつかれた。流石ね、と呆れつつも拍手を送るシーナに言葉もなかった。
「……黙って出たのは悪かったかな?」
珍しく反省する船長。ルルは年下で、自分とは正反対といってもいい性格をしている。世話焼きなしっかり者の妹、といった存在だ。遊び相手と言ってもいいかもしれない。あんまりこうしてばかりいると、そのうち相手にされなくなるかな〜とのん気にも、それでいて少し心配しながら歩いていた。
そうだ、厨房にもう一回行こう。リベンジだ!!
そう思っていた時だった。
「おい、聞いたか?」
「聞い……。村正さんのことだろ?」
船員たちの話声が聞こえる。つい、隠れてしまった。話だけは聞いておこうと耳を澄ます。少し距離があるせいで、会話が途切れ途切れにしか聞こえない。
「……だから……村正さんが、船を……んだって」
「あの村……が降りるなんてね。ま、しょうがな……いえばしょうがないけどさ」
話題が変わったのか、船員たちの笑い声が聞こえる。だが、船長の表情は暗い。
さきほどの会話をまとめると、「村正が聖魔殿を降りる」のだ。当然とも言える、なんらかの理由で。
きっと、嫌気がさしたんだろうな。こんな船だから。私が……、こんなだから。
胸が押しつぶされるような気持ちがした。いつもいつも、つまみ食いをしにいっていたけれど、そんなことで船を降りるのだろうか。いや、そんなこと、あるわけない! と力いっぱい否定したものの、どうしても、否定しきれない。
厨房に行こう。
ふいにそう思った。もちろん、つまみ食いのためではなく。
厨房に入ってみると、村正がいた。
「あれ? 昼には早いけどなぁ? つまみ食いできるほど用意もしてないっての」
冗談ぽく言う。何を考えているのだか、やっぱり分からない。
「珍しいよな〜。正々堂々と勝負ってワケ?」
そんなのじゃない。ただ、確かめたかっただけ。
けれど、どう言えばいいのか、分からない。何を言えばいいのか。
「……。とりあえず、コレ食べる? 朝食のあまりものだけどさ。捨てるのもったいないだろ」
そう言って、透明な小ぶりの器に盛られたフルーツポンチを、船長の前に置く。ご丁寧にさくらんぼをサービスしてくれた。
いつもなら喜んで平らげたあと、おかわりまで注文して、ゴツンと一発……というところだが、今回ばかりは少し事情が違った。
フルーツポンチは大好きだ。それでも、食べる気には到底なれない。
しばらくスプーンをもてあましていたが、ついに口を開いた。
「村正ぁ……」
「何だよ」
「聖魔殿を降りるって……本当?」
船長にしては珍しく、しおらしかった。
「あぁ、そのつもりだけど」
村正は、顔を背けるでもなく、怒るでもなく、淡々と、ごくごく当たり前のように言い放った。
やっぱり、本当なんだ。
そう思うとやっぱり腹立たしく、何か言ってやりたかった。それでも、理由は多分、自分にあるのだろう。
出すに出せない言葉を、出ないように、フルーツと一緒に飲み込んだ。どこか苦かった。
「でさ、それを聞くために来たのか。変な奴」
「変って……気になる! ……ッ私は、聞いてない!」
つい声を荒げてしまった。目頭が熱くなる。
「あぁ……? 何で言う必要があるんだよ。買出しに行く程度でさ」
「へ?」
意外な一言に、あっけにとられた。
「今度の街ってさ、香辛料のいいのがそろってんだよ。それを見極めたいから、直接この村正様が行くってわけよ」
「買出し……香辛料……」
村正の言葉がグルグルと頭の中を回り続ける。
「そっか、そうなのか、そうだよなぁ。あひゃひゃひゃひゃ」
「何がおかしいんだよ」
「べっつに〜」
口いっぱいにほおばったフルーツポンチは、とても美味しかった。
息を押し殺し、そろりそろりと獲物に近寄る。射程に収めると同時に、それっと飛び掛った。
「あ、やりやがったな!!」
「ふっふっふー。まだまだ精進が足りぬな。デザートげっちゅ!」
食い逃げ大戦厨房バトルの本日の戦績・二戦一勝一敗。
友人の水無月が考えたキャラを動かさせてもらいました。
厳密に言えばFFに分類すべきなのでしょうけど、「(諸事情により)合作ってことでOK?」と聞いたところ「OKさ」ということで合作ということになりました。