呼び声【青に沈む大海の王】前編
空が薄い青を伸ばし、海が深い群青を波立たせる。
優美な帆船が帆を風になびかせ、穏やかな海の風景を描かせていた。
そこに男が一人、海に面する険しい断崖に立ってその様子を眺めていた。
湿った風が吹く。
「ピィィーーー。」男が右手の人差し指と親指を口に含み、甲高い音を鳴らす。
指をくわえたまま、空を仰いだ男の顔に影が落ちた。それに続く羽ばたきの音。
「ピョロロロ。」嘴が曲がった、赤茶けた猛禽が男の上に覆い被さるようにホバリングしていた。
手袋のようなものを着けた左手を、鳥に伸ばす。
バサリと羽の擦れる音をさせて、猛禽が左腕におさまった。
「ズズ、何が見えた。」男が左腕を動かし、正面に猛禽が見えるようにする。
『脈動する者。深い青の王。歌う者告げる。彼の者の声。呼ばわる。逆らえない。』猛禽が高い声で鳴く。
『呼ばわる。逆らえない。私逃げる。さよなら。』羽が開かれた。
「ズズ。」男が驚く。
『アナタ間に合わない。残念。ワタシ行く。』男の顔が青ざめ、羽ばたくズズを呆然と見上げた。
「待ってくれ。」男が手を猛禽に伸ばした時、前方でびちゃりと何かが音を立てた。
『彼の者眷属。』空の上でズズが鳴く。男が腰のナイフを取り出し構える。
青黒い、ぬめりを帯びた生き物がズルズルと這い寄って来ていた。
男のナイフを握る手はガタガタと震えていた。彼は戦士ではなかった。
青黒い生き物は断崖を上り、どんどん増えていく。
「ズズ!逃げるのは構わない。本部へ知らせを!」男が高くなった声で叫んだ。
『間に合わない』
男の足が飲み込まれた。焼け付くような痛み、足が崩れて青黒い塊の中に沈み込んでいく。
「ズズ・・・。」男の顔が飲み込まれた。
青黒い生き物はさらに空の上の鳥をも捕えようと触手を伸ばしたが、ズズは高く舞い上がり逃れた。
猛禽が輪を描いて飛ぶ。海を走っていた帆船が消えている。
『彼の者来たれり。』
不吉な言葉を残して猛禽は飛び去った。
「それは本当なのか。」暗い、光の差し込まない部屋で男達が言葉を交わしていた。大きなテーブルがあり、それを囲むようにして十数人の大人が立っている。
「本当も何も・・、すぐに思い知ることになるでしょう。」地味な服を着る痩せた男が、心ここにあらずといった様子で述べた。
「何だと!この街の守りは堅牢だ。早々破れるものではない。」青い制服を着た男が怒鳴る。腰には剣が提げられていた。
「彼の者は王。一度怒りを買ってしまったからには、もう破滅を逃れる手段はないでしょう。」痩せた男が虚ろな目で突っかかる男を見た。
「ゴーラ落ち着け。先見よ、怒りを買ったとは何の事だ。」紺色の服を着る立派な髭の男が、困惑を隠せず尋ねた。
「尾鰭持つ海の女を、私達は捕えましたね?」
「それがどうした。」髭の男が先を促す。確かに一週間前、女に似た下半身が魚になっている化け物を捕まえていた。
「彼女は海の司祭、王に仕え彼等の神の言葉を伝える役目を負っていました。」
「馬鹿な、化け物共に王など、まして神などいるものか。」
「あれと私は言葉を交わした。これはあれが言ったことです。」場に沈黙が落ちる。皆目を剥いていた。
「私は彼女を逃がそうと思っていた。しかし、必要ないと返された。」ドンッと青い制服の男がテーブルを叩いた。怒りで顔を真っ赤にしている。飛び掛かりそうなその男を制し、髭の男が険しい顔で先見に話しを続けるよう促す。
「彼女は迎えが来るから必要ないと言った。今朝の事です。もう全てが遅い。」痩せた男が渾身の力で殴り倒された。それを周りの男達が侮蔑を込めて見る。
「皆海岸の警戒にあたれ。今日はもう船を出さないよう触れを出せ。」
「この男の言う事を信じるのですか!」先見を殴った青い制服の男が言った。
「用心するに越したことことはない。」髭の男の顔は険しい。周囲の男達は頷くしかなかった。
先見の男は拘束される。殴られても痛みを感じる様子がない。
それを見るに嫌でも不安が増すのを感じた。