偽りの付属品
両親の離婚をきっかけに、祖父母の家で生活して1年が過ぎた。
祖父母は相変わらず優しくはしてくれていたが、僕の生活で気に入らない事があるのを知ると、祖母に強く当たっていたらしい。
時折、一瞬ではあるが母と顔を合わせると
「あんな態度をするようになったのは祖母がちゃんと見てくれていないからだ!!」
などと責めていたらしい。
祖父母の僕への接し方は僕のためではなかった。
自分達が僕の母に強く当たられたくないから、そんな気持ちが僕には伝わっていた。
小学校4年生を過ぎた頃に突然母が祖父母の家に帰って来た。
「今度から一緒に住むから。」
そう一言だけ言われた。
思い返してみても、嬉しく思った記憶が無かった。
どちらかというと、唯一の居場所だと思っていたゲームが出来なくなるな、居場所が無くなる、そんな不安感の方が強かった。
しかも後日詳しく聞くと、どうやら男の人も一緒だと知った。
嫌だな、不安だなとも少し思ったが意外とすぐその気持ちは消えた。
どうでもいいや。
僕は自分の気持ちを受け止めてくれる人なんて居ないと心の底から思っていた。
そして母に連れられて、古い市営団地に引越した。
いざ一緒に住むと意外と最初は何も無かった。
むしろ生まれて初めてノートパソコンなんて物まで貰えた。
その男性のお古ではあったが、僕にとってはすごい物だった。
その男性と母は再婚した。
僕が中学に上がって1年の頃、二卵性の双子の妹と弟が産まれた。
可愛くて仕方がなくて、率先して面倒を見た。
ミルクを飲ませて、オムツを替えて、お風呂に入れて、寝かしつけもした。
母は僕が育児を手伝う事に何も言わなかった。
大丈夫もありがとうも何もなかった。
当たり前だったんだろうと僕は思っている。
そんな生活の中、ある日から眠れなくなった。
僕は誰にも言わなかった。
家で夜中眠れない事にため息をつき、中学校に登校してほぼ全ての授業で寝た。
何故だか、授業で先生が話しているのを聞いてると安心したような感覚になって眠れたのだ。
先生ごめんなさい、という感じではあるが、先生はたまに優しく起こすくらいで何も言わなかった、
僕は暴れたり、怒ったり、気性の荒い生徒ではなかった。
背もこの頃はずば抜けて小さく、顔が幼く、男子と言うよりは女子の様に扱われる事が多かった。
でも僕には良く分からなかった。
そんな事よりも、自分が死んだら悲しむ人が居るのか?
そんな事ばかり考えていた。
夜も眠れず、学校では寝てばかり。
家に帰れば妹と弟の面倒を見て。
親から目も向けてもらえない。
愛されてると感じない。
自分がなんのために生きているか分からなかった。
学校に行きたくなくなった。
でも寝れないので登校していた。
体育はいつも見学していた、動くと体調が悪くなった。
髪も満足に切ってもらえていなかったから、汗でベタベタになるのも気持ちが悪かった。
家庭科の授業はとても楽しかった。
料理が好きだった。
でも音楽の授業が1番大好きだった。
音楽を聞いていると涙が出る時もたくさんあった。
だから部活は吹奏楽に入っていた。
大変だったけど部活だけは頑張って取り組んでいた。
中学に入ってからはお弁当というものとは無縁だった。
弁当がいる日は朝になるとキッチンのテーブルの上に500円玉が置いてあってそれを持ってコンビニによってから登校していた。
僕はお小遣いももらっていなかったから、その日はお金を少し貯めるチャンスの日だった。
安いイチゴジャムのコッペパンとパックの野菜ジュースを買っていた。
中学校での風当たりは強かった。
「先生、こいつパンとジュース飲んでますよ」
クラスメイトからの野次も多く、先生も「弁当は?」と聞いてきた。
「あんまりお金なくて、野菜ジュースなので栄養にでもなればと思いました。」
そう答えると、先生は自分の弁当の唐揚げをこっそり分けてくれた。
美味しかったです、先生あの時はありがとうございました。
吹奏楽部だった事もあって夏休みも毎日練習があった。
当然弁当が必要だった、この頃になると流石にパンと野菜ジュースだけでは身体が言うことを聞かなくなりしんどかった。
なので毎日コンビニの冷やし中華を食べていた。
忘れた日は祖父が冷やし中華を届けてくれていた。
正直しばらく冷やし中華は見たくなかった。
中学2年生の頃、その日母は気が立っていた。
何でも気に入らないと言った感じで僕のする事1つ1つに怒っていた。
とうとう怒りが最高潮に達したのだろう。
「あんたを産んだのは失敗だったわ!!」
自分の中で何かが完全に壊れた音がした。
何も分からなくなった。
本当に自分の事が、存在している意味が、産まれてきた理由が。
何も分からなくなったのだ。
それからしばらくすると身体に変化が起こった。
それまで真っ直ぐに生えていた髪の毛は朝起きたら突然天然パーマになっていた。
普通より気持ち肉が付いた身体はみるみる痩せていった、もちろんご飯は頑張って食べていた。
そして、中学3年生になる頃にその時の両親は離婚した。
双子の妹と弟と僕は、またしても祖父母の家に預けられたのだ。
僕は、親にとってはアクセサリーのような物だったのだろう。
必要になって、ケースから出されて。
また必要なくなったから、ケースに戻された。
そんな感覚だった。
この頃には、両親が離婚する事に何の想いもなかったのだが。
自分の自己肯定感は底なし沼を沈み続けているかのようだった。




