突如現れた試練
吉之たちの入学から1週間が経ち、ほとんどの学生が部活動への入部も終わった。吉之は文芸部に入部してからは、教室でも真奈美と話すようになった。彼女は相変わらず教室では仮面とマントをつけたままである。吉之の目下の悩みは勉強のことである。とにかく進むのが速い授業に対し吉之は1週間で音を上げ始めていた。教室での真奈美との会話も、主に吉之の勉強に関する相談だ。
「なあ、この不等式の証明って何でこんな式変形が思いつくんだ?」
吉之はこの日も休み時間に真奈美に授業で分からなかったことを訊いていた。
「うーん、式を見たら出てくるとしか言いようがないんだけど……」
このような感じで、もともとの知能指数が違うので吉之の悩みは全く解決しない。しかし、
「でも、吉之くんは今までの授業の内容はちゃんと覚えられてるんでしょ?だったらきっと大丈夫だよ!」
真奈美はこうポジティブなフォローをしてくれるので、なんとなく吉之の気持ちは楽になっている。
この日は週に一度の保健の授業がある。吉之は、この学校での保健の授業とはどんなものなんだろうかと思いながら席に座って授業の開始を待っていた。チャイムが鳴ると、服の上からでも分かる筋骨隆々の肉体の男が入ってきた。さすがは保健体育の先生といった感じである。
「起立!礼!着席!」
授業開始のあいさつが終わると、先生は話を始めた。
「今日から保健の授業を担当する佐々木だ。よろしく。君たちはこの学校の厳しい入学基準をクリアして入学してきた、言わばこの社会のエリート候補だ。しかしな!エリートとはただ頭が良かったり勉強や仕事ができたりする人間のことを指すわけではない!人の模範となり、人に信用される人間でなければ、エリートとは呼べないのだ。私は、この授業を通して君たちに、真に信頼される人間になるための何たるかを伝えていきたいと思っている。どうかしっかりついてきてほしい」
保健の先生の佐々木は、開口一番熱い想いを語り出した。吉之も、たしかに正論だと感じた。しかし、
「では授業を始める」
と言って授業を始めた佐々木を見て吉之は、この教室にもパッと見ただけで明らかに信頼できなさそうな人がいることについてはスルーなのだなとも感じていた。
授業が終わり放課後になると、吉之は真奈美に話しかけられた。
「今日このあと部室行く?」
「うん、行くつもりだけど」
吉之がそう答えると、真奈美は嬉しげに原稿用紙の束を取り出して
「よかった。実は今日、麗奈先輩に見てもらおうと思って小説を書いて持ってきたんだ。吉之くんもよかったら読んでみて」
と言った。吉之は1週間でもう書いてきたのかと驚きつつ
「へえ、すげえな。俺も読んでみたい」
と答えた。続けて吉之が
「どんな内容なんだ?」
と尋ねると、真奈美は照れながら答えた。
「推理小説だよ。舞台は1930年代で、アメリカからドイツに向かう飛行船の中。飛行船にはアメリカの博物館から盗まれた古代エジプトの聖遺物が積み込まれてて、FBI職員の主人公がその聖遺物を取り戻すべくゲシュタポの工作員と戦うって内容だよ」
「もうその話を聞くだけで面白そうだ」
「ありがとう」
「でも、よくそんな設定思いつくな。歴史とか好きなのか?」
「うん、好きだよ。だから世界史の授業も楽しい。吉之くんは、歴史は興味ある?」
「俺も嫌いではないよ。まあ、世界史の授業に関してはもう少し進むのが遅いとありがたいけどな」
「あはは……。じゃあ、そろそろ部室に行こうか」
その後2人が部室に行くと、既に麗奈と優花は部室にいた。真奈美はさっそく部室の一番奥の窓側の席に腰掛けている麗奈に歩み寄り声をかけた。
「先輩!私あれから小説を書いてみたんですけど、読んでいただけませんか?」
真奈美がそう言うと麗奈は
「おお!さっそく書いてきたか!まあしかし、とりあえず仮面くらい外したらどうだ?」
と言った。すると真奈美は慌てて
「そうですよね、先輩の前で失礼ですよね。すみません」
と答えて、いそいそと仮面とマントを外した。吉之はそれを眺めつつ、失礼という感覚はあるんだなあと考えていた。真奈美は外した仮面とマントを机の上に置くと、麗奈が座っている正面の椅子に座り改めて切り出した。
「それで、これなんですけどぜひ読んでいただけませんか?」
そう言うと真奈美は鞄から原稿用紙の束を取り出して麗奈に手渡した。麗奈は原稿用紙の束を受け取ると「どれどれ……」と言いながらその小説を読み始めた。麗奈は普段見せないような真剣な表情で小説を読み進め、吉之も思わず息を吞んだ。速読ができる麗奈は、300ページはあろうかという真奈美の力作を30分ほどで読み終え、原稿用紙の束を机に置くと口を開いた。
「なかなかいいんじゃないか?展開も巧妙だし読み応えもあったぞ」
部室に入ってからというもの緊張しっぱなしだった真奈美は、麗奈の言葉を聞いて初めて笑顔を見せた。
「本当ですか!?ありがとうございます!先輩に褒めていただけて夢のようです!」
「私はお世辞とか言わない主義だからね」
「私、これからも頑張ります!また小説読んでください!」
「もちろん。文芸部の一員として期待しているぞ」
「はい!」
こうして真奈美の文芸部デビューは麗奈にも認められ上々のスタートとなった。一方、吉之はその様子を眺めながら、学校の勉強すら満足に理解できていない自分と、学校一の天才である麗奈に認められる小説を一週間で書きあげてきた真奈美との間には、同級生という間柄とはいえ埋められない差があるのだなと実感していた。そんな吉之のネガティブな思考を感じ取ったのか、今まで麗奈の様子を黙って眺めていた優花が話し始めた。
「そういえば、もうすぐ麗奈の誕生日だよね」
麗奈の誕生日は5月7日であり、まだ3週間ほど先だったが麗奈は「まあ来月だな」と答えた。優花は続けて
「私と麗奈の仲だから、今年は期待してよね!去年は”ルームメイト”で1年間一緒に過ごしてたんだし!」
と言った。優花が麗奈の去年のルームメイトだったと聞いて吉之はドキッとした。吉之が初めて麗奈の部屋に入った時、ゴミの量に比べて洗濯物の量が少ないことに疑問を感じた。しかし、1年の時の麗奈にルームメイトがいたとなれば納得できる話であった。そして本来寮生活は3年間同じ人と相部屋になり、ルームメイト同士のトラブルなどが起きないかぎり変更にはならない。今回は麗奈の寮生活があまりにだらしなかったせいで急遽吉之を住まわせることになったが、これは異例のことだ。前のルームメイトである優花が今も麗奈と仲良くしているということから、吉之は優花が寮の変更に不満があることを容易に想像できた。
「えっと……なんかすみません」
吉之が優花に対して謝ると、
「謝らなくても大丈夫だよ」
と優花は笑顔で答えたが、続けて
「でも、ルームメイトってただお世話すればいいだけじゃなくて、寮生活のパートナーだからね。1年間別々に暮らしてて歳も性別も違う君に本当に麗奈のパートナーが務まるのかな?」
と、明らかな敵意を向けてきた。
「な、なにが言いたいんですか?」
吉之がそう訊くと
「簡単だよ、もうすぐある麗奈の誕生日に、どっちが麗奈にとって嬉しいプレゼントをあげられるか勝負しようよ!」
優花はそう挑戦を挑んできた。これを聞いて麗奈は
「おいおい、私の誕生日を気にしてくれるのは嬉しいが、そんな勝負みたいなことは……」
と言ったが最後まで話し終わる前に
「受けて立ちましょう!先輩には悪いですけど、姉とは14年は一緒に過ごしてました。俺が負けるわけないじゃないですか」
と吉之が言った。これに「吉之まで……」と麗奈は呆れていたが、優花はそんな麗奈の様子も気にせず
「そういうなら証明してみてよ!君が私より麗奈を理解していてパートナーに相応しいってことを!」
と言い、吉之もそれに応えた。
「分かりました。絶対に負けませんから」
吉之もまた、ここで引き下がるわけにはいかないと感じていた。IQで入学の条件を満たしていない自分がこの学校に来たのは麗奈のお世話をするためだ。その仕事に疑問を持たれるようなことはあってはならない。勉強についていけずにいる焦りも相まって、吉之はそう考えるようになっていた。
そうして、自分の誕生日が勝手に勝負の舞台にされてしまい困惑する麗奈と、突如同級生と先輩の対立が始まってしまったことで呆然とする真奈美を置き去りにして、文芸部の中で最も優れた麗奈の誕生日プレゼントを決める戦いが始まってしまった。




