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甘い誘惑

 期末試験の成績表が返却された日の放課後、吉之と真奈美はいつものように部室を訪れた。吉之が部室の扉を開けて中に入ると、一番奥の席に座っていた麗奈が立ち上がり吉之に尋ねた。

「吉之!試験結果はどうだったんだ?」

「姉さん?もしかして心配してくれてるのか?」

「そりゃ、ここ1週間の吉之の様子を見てたら、誰だって心配するだろ……」

「そりゃどうも」

そう言いながら吉之はいつも自分が座っている席に腰掛けた。それに続いて真奈美も吉之の向かいの席に座った。その様子を見た麗奈は繰り返し尋ねた。

「で、試験結果はどうだったんだ?」

「全滅だ。見事に1科目も合格点に達してなかった。はあ……」

すると、紅茶を飲みながらくつろぎモードに入っていた楓と優花が反応した。

「吉之くん、それ本当?」

「きみ、マジで言ってるの?」

吉之は頭を掻きながら「ああ」と一言答えることしかできなかった。麗奈はこれを聞いて「うむ、そうか……」と言うと何か考え事を始めた。一瞬の沈黙が流れた後、優花が話し始めた。

「全科目追試かあ……。いくら私でもそれは想像できなかったな。昨日の感じだと、せめて世界史くらいは合格してるんじゃないかと思ってたけど。こんなこと言っちゃ悪いけど、それはさすがに厳しいんじゃないかな。全科目追試なんて聞いたことないよ」

「やっぱりそうですよね……」

吉之が弱気になっていると、今度は楓が話し始めた。

「吉之くん、まだ諦めちゃダメだよ。諦めたらそれこそあとは留年しか残ってないんだから。私、吉之には留年してほしくないな。留年しちゃったら、もう二度と同じクラスになるチャンスも無くなるし、一緒に卒業式に出ることもできなくなっちゃう。そんなの寂しいよ」

「楓……」

楓の想いに吉之ももう一度頑張ってみようという気持ちを抱いた。するとここで真奈美が楓に尋ねた。

「そういえば、楓ちゃんは追試の科目1つもなかったの?」

「私はどうにか全科目合格だったよ。全部60点台でギリギリだったけど」

楓はそう笑いながら自身の成績表を開いて見せた。 たしかに楓は全科目60点台でなんとか追試を回避していた。英語に至っては60点ちょうどで、指先が掛かっただけの状態であった。それでも本人は満足げな表情を見せていた。

「楓って、本当に要領がいいよな」

吉之がそう感心をしていると、真奈美がいつものように大人のアドバイスを楓に送った。

「楓ちゃん、次はあんなギリギリになって慌てないように、もう少し毎日コツコツ勉強した方がいいと思うよ」

これに対して楓は

「今回も上手くいったんだし、次回も直前に頑張ればきっとなんとかなるよ」

と、こちらもいつものように真奈美のアドバイスが全く刺さっていなかった。

「優花先輩。うちの学校の追試って、具体的にはどんな問題が出題されるんですか?」

吉之は優花に対して疑問を投げかけた。優花は「うーん」と腕組みをすると、ゆっくりと吉之の疑問に答えた。

「私も人から聞いた話でしか分からないんだけど、問題形式は本試験と全く同じらしいよ。ただ、英語や国語なんかの問題文は本試験と違うものが出たって聞いたし、同じなのはあくまで問題の形式だけだね」

「そうですか。追試は本試験より難しいってのは本当なんですか?」

「うん。もちろん本試験で落第点取った人が受けてるわけだから、難しいって話を聞くのは当たり前かもしれないけど。でも先生も本試験より難しめに作ってるって言ってたね」

「この学校の期末試験、気合い入りすぎじゃないですか?」

「まあ、先生も生徒に簡単に解かれるわけにはいかないと思って作ってるみたいだからね」

「なんて迷惑な話なんだ……」

するとここで真奈美が

「吉之くん、そろそろ試験の復習した方がいいんじゃないかな?」

と言ってきた。吉之は

「たしかに。追試まであと2週間しかないんだ。おしゃべりはこの辺にしておこう」

と言って鞄から期末試験の試験問題と筆記用具を取り出した。

「吉之くん、自分が書いた答えって覚えてる?だいたいでいいんだけど」

真奈美がそう尋ねると吉之は

「そうだな。だいたいでいいなら覚えてるぞ」

と言ってノートに自分が試験を受けていた時に書いた答えを書きだした。それを見て楓が

「おお、すごいね。私は自分が試験で何を書いたかなんて、試験が終わった瞬間に忘れちゃうよ」

と驚いた。吉之は

「まあ俺の場合そもそも書いた量が少ないってのはあるけどな」

と言いつつ次々と答えを書いていった。真奈美は吉之の書いた答えを眺めながら、どこが正しくてどこが間違えているのかを考えていた。吉之の書いた答えに一通り目を通した真奈美は、吉之の方に向き直ると解説を始めた。

「じゃあ、まずは数学からね。1問目のこれは、関数の問題のように見えるけど実は図形の問題なの。ここでメネラウスの定理を使えば、簡単に値が求まるんだよ」

「そうだったのか。しかしこの問題文からどうして図形の問題だって発想になるんだ?」

「うーん、それはね……。グラフを書くとここに三角形が2つできるでしょ?そこから図形としてとらえれば単純な式で表せることに気づくんだ」

「な、なるほど……」

吉之はそう答えたが、頭の中では結局なぜ図形としてとらえようという考えになるのか理解できずにいた。その後も真奈美は本試験の問題を吉之に詳しく解説した。学校からは解答解説などを何も渡されていない期末試験の問題を完璧に解説してしまう真奈美を見て、彼女が学年でもトップクラスの才女だという話は本当なのだと吉之は実感した。


 その日の夜、吉之と麗奈が夕食を囲んでいると、

「吉之、試験が終わるまで夕食の準備は私に任せてくれてもいいぞ」

と提案をしてきた。これに対して吉之は

「なに言ってるんだよ姉さん、姉さんは料理なんてできないじゃないか」

と反論した。しかし麗奈も食い下がった。

「私だって、カレーを作ったりとかできるぞ!」

「いや、それってレトルトのことだろ。これから2週間もそんな食事を続けるつもりかよ」

「だが、私だって吉之には留年なんかしてほしくない。それに吉之がこの学校に来る前はそのレトルトとかいうやつで毎日過ごしていたんだ。今さら2週間くらいどうってことない」

「気持ちはうれしいけどさ、それじゃ俺は何しにこの学校に来たのか分からないだろ」

「私は吉之が一緒にいてくれるだけで満足だぞ」

「なんだよそれ」

「とにかく、私も協力するから今は試験対策に専念するんだ。いいな?」

「そこまで言うなら、俺も覚悟決めて勉強に専念させてもらうか」

「私も何か対策は考えるから、がんばれよ」

そう言うと麗奈は食べ終わった皿も片付けずに自分の机へと戻っていき小説を読み始めた。吉之はそんな麗奈の様子を見て

「まあ、部屋の片づけは変わらず俺がやらないとダメそうだな」

と呟いた。


 次の日から吉之は部室で真奈美や優花のサポートを受けながら猛勉強を始めた。期末試験の問題を徹底的に復習した吉之は、自力で期末試験の問題を解けるようになった。そんな吉之の様子を見て優花が鞄からプリントの束を取り出した。

「これ、私たちが去年受けた期末試験の問題なんだけど、今なら解けるんじゃない?」

そう言って吉之に去年の1年生の期末試験の問題を手渡した。

「優花先輩……。ありがとうございます」

吉之がお礼を言うと優花は

「じゃあ今から時間計るから、まずは世界史から解いてみようか」

と言ってスマホのタイマーを起動した。その後吉之は2日かけて去年の期末試験の問題を解いてみた。しかし、やはり一度真奈美から解き方を教わった問題と初めて見る問題では勝手が違うのか、吉之は思うように問題を解けず苦戦した。全ての教科の問題を解き終えると、優花と真奈美が手分けして採点をした。

「うーん、世界史と英語はギリギリ合格できてそうだけど、現代文と古文はこれだと不合格だろうね」

優花がそう言うと真奈美も

「数学と物理、化学も合格点には届いてなさそうです」

と残念そうに呟いた。

「やっぱり、初めて見る問題はどう解いていいのか分からないです。俺、みんなと違って頭よくないですから……」

吉之はそう落胆した。

「吉之くん、そう落ち込まないで。まだ追試まで時間はあるんだから」

真奈美がそう励ましたが吉之は

「でも、追試まであと10日だろ?どんどん時間が過ぎていってて、正直なんとかなる気がしないよ」

と弱音を吐いた。真奈美と優花は顔を見合わせながら、なんと声をかけていいか悩んでいた。すると、この数日吉之が勉強している横でずっとスマホゲームをしていた楓が、スマホの画面から顔を上げて吉之にアドバイスをした。

「こういう時は一回外の空気を吸ってみるのも大事だよ」

「外の空気か……優花先輩、真奈美、悪いけどちょっと外に気分転換に出てみるよ」

すると真奈美は

「そ、そうだね。一回休憩にしようか」

と言い、

「ここ数日張りつめてたもんね」

と優花も続いた。吉之は席から立ちあがると、部室を出て校舎の外に向かった。


 外は綺麗な夕焼けであった。吉之は夕日を眺めながら自分の不甲斐なさについて考えた。吉之が追試を控えている今も、学校の授業は構わず進んでいる。本当は真奈美も自分の勉強をしたいはずだ。それなのに吉之の勉強をサポートすることに時間を割いてくれている。楓も吉之のことが心配でいつも部室に様子を見に来ている。これまでずっと吉之を敵視していた優花も、心の底から吉之に不幸になってほしいとは思っておらず、今回の危機に対して手を貸してくれている。みんなが吉之のことを心配し、どうにか力になりたいと思っている。吉之はその思いに応えたいのに結果がついてこない現状に絶望を抱き始めた。自分は本当にダメなやつだ、そう思いを巡らせていると、吉之は校門のところに人影があることに気づいた。吉之が校門に近づくと、そこにいたのは瞳であった。

「瞳……?どうしてここに?」

吉之が驚いて校門の前に立つ瞳にそう尋ねると、瞳が振り返った。

「吉之くん!やっと会えた!私、夏休みが明けてから毎日ここに来てたの。吉之くんに会いたいなって思って」

「毎日来てたのか?俺は付き合えないって言ったのに」

「私言ったよね、諦めないって。あれ、本気だから」

吉之は夏祭りでの瞳の「私、諦めないから!」「今はダメでも、私は諦めない!吉之くんがその気になるまで、何度だって告白するから」という言葉を思い出した。そしてあの言葉の意味はそういうことだったのかと気づいた。

「そっか……」

吉之がそう呟くと、瞳が吉之の顔を覗き込んで尋ねた。

「吉之くん、元気ないね。何があったの」

「いや、ちょっとな……」

「もしかして、期末試験がうまくいかなかった?」

「な、なんで分かるんだよ」

「分かるよ。だってうちの高校も先週試験期間だったもん。それに吉之くん、夏祭りで勉強についていけてないって言ってたでしょ?」

「そうだったな」

「で、どのくらいうまくいかなかったの?」

吉之は観念して全科目落第点を取ってしまったこと、追試まで時間がないこと、このままだと留年だということを瞳に話した。瞳は話を聞き終えると

「たしかに、それは大変だね」

と呟いた。

「私は頭よくないから何もアドバイスしてあげられないけど、留年は回避できそうなの?」

「今のままだと……難しい。部活の仲間が俺に勉強教えてくれたりとか協力してくれてるけど、俺の頭じゃ理解できないことも多くてさ」

「そっか。そのうえ吉之くんはお姉さんのお世話もしないといけないんでしょ?よく頑張ってるよ」

「ありがとう。でも、この試験勉強の期間は姉さんも協力してくれててさ。夕食の準備は姉さんがしてくれてるんだ。まあ、毎日レトルトだけどな」

そう吉之が笑うと、瞳は何かをひらめいた。

「じゃあさ、私が吉之くんとお姉さんの夕食を作って届けてあげるよ。毎日レトルトじゃ勉強も捗らないでしょ?私、明日もここに来るから。だから吉之くんも忘れないで来てね」

そう言い残すと瞳はその場をあとにして帰っていった。


「随分と長いこと外の空気を吸ってたじゃない」

吉之が部室に戻ると、優花がそう吉之に話しかけた。

「すみません。校門のところで中学の時の友達に会って、ちょっと話し込んでしまったんです」

吉之が答えると真奈美が

「少しは気分転換になった?」

と尋ねた。

「まあ……」

そう吉之は答えたが、気分はまだ晴れずにいた。その後、吉之が解いた去年の期末試験の問題についてどこが間違っているのか真奈美と優花が丁寧に解説をしてくれた。吉之は、世界史や英語はなんとなくコツが掴めてきたように感じていたが、一方でその他の科目は全く解ける気がしないでいた。その吉之の様子を見て真奈美が悩んだ。

「数学は特訓が必要そうだけど、どうしたらいいのかな……」

解決の糸口が見えないまま、日が暮れてしまいこの日は解散となった。


 次の日も吉之は放課後に部室に行き勉強をした。この日は珍しく麗奈が部室に来ておらず、少し寂しい雰囲気が漂っていた。そんな中、いつもと同じように吉之が問題を解いて真奈美と優花が答え合わせをしていた。相変わらず吉之は自力で問題を解くことに苦労し、気が付けば外は日が暮れてしまっていた。

「暗くなってきたし、そろそろ終わりにしようか」

優花がそう言うと真奈美も「そうだね……」と続いた。

「吉之くん、勉強は進んだ?」

今日も変わらず部室でスマホゲームをしていた楓が、顔を上げて吉之に尋ねた。

「あんまり……」

吉之はそう嘆息すると机の上のプリントや筆記用具を片付け始めた。4人が片付けを終え部室を出た時、吉之は昨日の瞳の言葉を思い出した。夕食を作って持ってくると言っていたから、今頃校門のところにいるかもしれない、そう思った吉之は真奈美たちに「悪いけど先に寮に戻るわ」と言って校門の方へと向かった。

 吉之が校門にたどり着くと、瞳が1人立って待っていた。

「瞳、遅くなってごめん」

「吉之くん!よかった、来てくれて」

「昨日の約束、破るのはさすがに申し訳ないから」

「ありがとう。はい夕飯!保冷してるから温めて食べてね」

「ありがとう」

「勉強の方はどう?順調なの?」

「……いや、順調ではないな」

すると瞳は「うーん」と言って右手の人差し指を頬に当てた。

「いっそさ、今から西高に転校しちゃえばいいんじゃない?私、今日先生に聞いてきたんだ。西高って転入とか受け入れてるのかって。そしたら転入はいつでも大丈夫なんだって。もちろん転入試験はあるけど、聞いてる限り才城学園の期末試験ほど難しいわけではないだろうから、吉之くんなら受かると思うよ」

「転入か……。でも、俺がいなくなったら姉さんはどうなるんだ?」

「お姉さんも去年は吉之くんのお世話なしで生活してたんでしょ?それにまず、吉之くんの人生は吉之くんのものなんだよ?少しは自分のことを中心に考えてもいいと思うけどな」

「まあ、たしかにそうだけど……」

「西高なら私や高橋くんもいるし今から転入してきてもすぐ馴染めると思うよ。期末試験だって、私みたいな普通の人でも解ける難易度だから、真面目な吉之くんなら今みたいに留年の危機になんてならないだろうし」

「……」

「吉之くんはもう十分頑張ったと思うよ。そろそろ自分の人生を始めてみてもいいと思うけど?」

「……考えてみるよ」

吉之はそう答えながら空を見上げた。吉之自身、もし西高に進学していればどうなっていただろうと考えたことはあった。このまま才城学園にいたとして、留年せずに3年間を終えられる可能性は低い。それどころか、卒業できるかすら怪しい。瞳の言う通り、自分の人生を考えるべきではないだろうか。吉之の中でそうした考えが渦巻いた。

「今日はもう遅いから、私はそろそろ帰るね……。転校のこと、考えてみて。それじゃ、明日も来るからまたね」

瞳はそう言うと手を振って帰っていった。吉之はしばらくその場で立ち尽くして自分の人生について考えていたが、答えが出ることはなく寮に戻っていった。吉之が寮の部屋に戻ると、麗奈はまだ帰ってきていなかった。

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