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訪れる試練

 試験が終わってから成績表が返却されるまでの1週間、吉之は落ち着かない日々を過ごしていた。数学は不合格が確実、その他の科目も合格している自信のあるものは1つもない。吉之の落ち着かない様子を真奈美と楓も心配していたが、2人もどう声をかけていいか分からずにいた。

「きみ、もし留年したら学費ってどうなるの?」

 試験の結果発表を翌日に控えたこの日、いつものように部室に5人が集まって放課後を過ごしていると優花が吉之に質問を投げ掛けた。吉之が答えるより早く真奈美がこれに反応した。

「ちょっと先輩!吉之くんはまだ留年すると決まったわけじゃないですよ!」

「だってこの前の試験でどの科目も合格点をクリアできてる自信ないんでしょ?じゃあ無理だと思うけど」

「成績表が返ってくるまでは分からないじゃないですか」

「留年した去年のクラスメイトも、返ってくる前からどの科目も自信ないってぼやいてたよ。そりゃ1科目や2科目なら自信ないやつがあってもなんとかなるかもしれないけど、さすがに全科目自信ないのは絶望的だよ」

ここでようやく吉之が優花の質問に答えた。

「一応、俺がこの学校に通ってるのは学校側の都合なので留年しても学費は学校が負担してくれるらしいです。ただし卒業は保証できないって言われましたけど」

「ふーん、それなら最悪留年してもダメージは少ないじゃない」

「いや、高校で留年なんて俺の人生におけるダメージが大きいですけど……」

「本当にどの科目もダメだったわけ?これはまだ可能性あるとか、そういう科目はないの?」

「まあ、まだ可能性があるのは世界史ですかね。一応解答用紙を埋めることはできましたし」

「あー、あの600字とか書かされるやつ」

「はい」

「世界史はみんなが受験で使うわけじゃない科目だから、比較的簡単な方なんだよね」

「あれで簡単って、どういうことなんですか」

「だって、そんなに難しい知識要求されなかったでしょ?世界史の横の繋がりがきちんと頭の中で組み立てられてれば解けるはずだよ」

「それが難しいんですけどね……」

「それで、他には可能性のある科目ないの?まさか世界史だけなんて言わないわよね?」

「世界史以外だと、英語は可能性なくはないと思います」

「へえ、やるじゃない。英語はうちの学校できる人多いから、試験も難しめに作られてるはずなのに」

「そうなんですか?じゃあ俺が可能性を見誤ってるだけかも」

するとこのやりとりをそばで聞いていた楓が話に入ってきた。

「たしかに英語は難しかった!まずあの文章の長さをどうにかしてほしいよ。60分であんな長い文章英語で読んで、しかも要約まで書かなきゃいけないなんて、明らかに難易度おかしいよ」

これに対して真奈美が付け加えた。

「楓ちゃんは活字を読むの苦手だもんね」

「そうだよ。だいたい今どきなんでも動画で見られるのに、なんで字を読まなきゃいけないのさ」

「おいおい、仮にも文芸部の一員なのにそれでいいのかよ」

吉之がそう呆れていると、真奈美も

「そうは言っても、楓ちゃんは少し活字を読む習慣をつけた方がいいと思うよ。社会に出たら情報は基本的に文章で共有されて、誰も動画でまとめてくれる人なんていないんだから」

と釘を刺した。これを聞いて吉之は、だから真奈美は人生何周目なんだよと思った。

「社会にでなければ問題ないってことでしょ?私の目標はニートなんだから!」

そしてまたしても真奈美の大人なアドバイスは楓に全く刺さっていなかった。

「吉之くんの方こそ、現代文も自信がないなんて本当にちゃんと活字が読めてるの?」

みんなからの痛い視線を感じ取っていた楓は、その矛先を吉之に向けるべく話題をそらした。

「うっ……。それは……」

吉之が言葉に詰まっていると優花が

「たしかに、文芸部員なら現代文の点数は良くて当たり前よね」

と皮肉を言ってきた。吉之は、

「仕方ないじゃないですか、初見の文章で何言ってるのかさっぱりだったんですから。だいたい期末試験って教科書でやった文章から出されるのが普通じゃないんですか?」

と答えた。それに対して優花は

「まあ、それだと授業でやったことをちゃんと使いこなせるかどうか確かめられないからね。主張と反論の論理構造とか、抽象と具体の関係とか、授業でやった基本的なことを初見の文章に落とし込んで読めれば難しくないはずだよ」

とアドバイスをした。

「試験前にもその話聞きましたけど、正直どうやったら初見の文章に落とし込んで読めるのかが分からないんですよね」

「そこは問題いっぱい解いて慣れるしかない気もするけど」

「はあ……」

吉之がまいったなと頭を抱えていると、真奈美が優しく慰めてきた。

「現代文だって、まだ不合格と決まったわけじゃないでしょ。今は悲観的にならずに明日の発表を待とう」

「真奈美……。そうだな」

すると、吉之に矛先を向けさせた張本人である楓も、申し訳なく思ったのかフォローを入れてきた。

「吉之くんもきっと大丈夫だって。文芸部で麗奈先輩や真奈美ちゃんの小説も読んでるくらいだし、文章読むのは苦手じゃないでしょ?」

「……」

 吉之は真奈美や楓の励ましに少しずつ不安が薄らいではいたものの、不合格が確実な数学はどうしたものかという心配が心には残っていた。麗奈は相変わらず小説を読んではいたが、どこかでそんな吉之の様子を心配しており、読書に集中できずにいた。


 次の日、期末試験の成績表が吉之の手に返却された。吉之は自分の席に座ると恐る恐る成績表を開けた。英語……48点。この時点で吉之はまずいと思った。2番目に自信があった科目でこれなら他はどうなってしまうのかと、先を見るのが怖かった。それでも勇気を持って次の科目に目を移した。数学……21点。これについては、驚きはなかった。むしろよく点数が入ったものだと吉之は思った。そして吉之は震える手で次の科目に目を移した。現代文……46点。古文……43点。「文芸部員なら現代文の点数は良くて当たり前よね」という優花の言葉が吉之の脳裏をよぎった。自分は文芸部員失格かもしれない、そう思いながら吉之は次の科目へと目を移した。物理……29点。化学……35点。この2つについても数学と同じく驚きはなかった。いよいよあとは世界史だけ。頼むから世界史だけでも合格点を超えていてくれ。吉之は祈るような気持ちで最後の科目欄に目を移した。世界史……57点。終わった。

 最後の科目欄に目をやった時、一瞬の沈黙が教室に漂い周りの空気が重くなったように吉之は感じた。吉之は成績表の全ての科目に目を通し終えると言葉を失った。全ての教科で落第点。まるでその言葉が心臓に直接突き刺さったかのように、吉之は青ざめた顔で身動きもせずにいた。周囲のざわめきが吉之を包み込む中、吉之はただただ呆然とした表情を浮かべていた。

「……くん!……吉之くん!」

 誰かの呼びかけに吉之が我に返ると、周囲は既に休み時間に入っていた。隣では皆川が「世界史追試かよ」と嘆いている。やはり先生が授業中に説明した試験範囲をちゃんと聞いていなかった代償は大きかったらしい。そんな皆川の様子を見て、ちゃんと試験範囲の勉強をしていたにもかかわらず皆川と同じ追試になってしまった吉之は、現実を受け入れることができなかった。

「吉之くん、大丈夫?」

 再び呼びかけられた吉之が顔を上げると、机のそばに真奈美が立っていた。真奈美は吉之の顔を覗き込むと

「吉之くん、まるで魂が抜け落ちたようだったけど……。やっぱり試験結果あまり良くなかったの?」

と尋ねてきた。吉之はまだ気持ちの整理がつかないでいたが、せっかく心配して声をかけてくれた真奈美に対して成績表を見せながら状況を説明した。

「見ての通り、全科目不合格だ。唯一可能性があった世界史すら合格点を超えられなかった。もう終わったんだ……」

「……」

落ち込む吉之の様子を見て、真奈美もなんと声をかけていいか分からなかった。

「真奈美はどうだったんだ?さすがに落第点なんてないだろうけど、点数良かったのか?」

吉之は自分の辛い現実から目を背けようと、真奈美の状況について尋ねた。

「そうだね……学校の推薦がもらえるくらいの点数は取れたかな」

「そっか。やっぱり真奈美はすげえな」

「吉之くん……。私もできることは協力するから、まだ追試まで時間があるし留年が決まったわけじゃないんだから、一緒に頑張ろう?」

「でも、今までも散々宿題やらテスト勉強やら手伝ってもらったのに、これ以上真奈美に迷惑をかけるのは……」

「迷惑なんかじゃないよ!だって私は……、私たち同じ文芸部の仲間でしょ?このまま放っておくことなんて出来ないよ」

「ありがとう……」

「まずは今日の放課後、部室で試験の復習しよう。うちの学校は提出した解答用紙は返ってこないから、自分がどこを間違えたのか分からないでしょ。私がなるべく正解の答えを教えてあげるから、とりあえずはそこから始めてみようよ」

「そうだな、本当に何から何までありがとう」

「本当に気にしないでね」

そう言うと、チャイムが鳴ったため真奈美は自分の席へと戻っていった。吉之の心の中では、まだ悔しさと自己嫌悪が渦巻いてはいたが、真奈美の言葉に救われる思い出もあった。

「なんだ神崎、お前も追試になったのか?」

さっきの真奈美とのやり取りを聞いていたのか、隣の席から皆川が吉之に話しかけてきた。

「ああ。しかも全科目な」

吉之がそう答えると皆川は驚いた表情を浮かべた。

「全科目って、それさすがにまずくないか?俺は世界史だけだけど、それでもうちの学校の追試は1科目だけでもやばいって言うじゃんか」

「正直絶望しかない。でも真奈美も手伝ってくれるって言うし、ここで諦めたら彼女の善意を無駄にすることになるからな」

「ああ、伊藤さんね。お前、伊藤さんとけっこう仲いいもんな。付き合ってるのか?」

「ただの部活の友達だよ」

「へえ。でも、伊藤さんが見てくれるならワンチャンあるかもな。彼女うちの学年でもトップクラスに頭がいいって噂だから」

「そうなのか?」

「なんだ、お前知らないのかよ。彼女、中学の頃は模試で常に全体のトップ10に入ってたらしいぜ」

「頭がいいのは分かってたけど、そんな有名人だったのか」

「模試って成績優秀者はランキング表みたいなのに名前が載るからな。いつも上位にいるヤツは目立って有名にもなりやすいんだよ」

「俺はそういう世界とは無縁だったから知らなかった。じゃあ、お前もランキングに名前載ったりしてたのか?この学校に来てるってことは頭いいんだろ?」

「さあな。自分の順位なんて興味ないから気にしたこともないわ。有名人は噂で流れてくるから知ってるってだけだ」

「なんつーか、お前って変わってるよな」

「は?どこがだよ」

 本当に変わっている人は自分が変わっているという自覚がない、そのことを改めて吉之は思い知った。そして、真奈美が学年でもトップクラスの才女であるということを聞いた吉之は、そんな真奈美がわざわざ自分のために時間を割いてくれていることに感謝しつつ、彼女の期待に応えるためにもなんとか追試で挽回しなければと心に決めた。


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