第9話 ロザリア辺境伯
俺はその男性のいる方向を見た。
男性はタキシードを身に纏っている好青年だった。顔が落ち着きがあるけれども若さ溢れるタイプのものだったのに対し、声はかなり人生経験を経ている人間の声だった。
肩までかかるボブのような髪型で、目には明るさがあるが冷静さというか、冷たさというか。そういうものが感じられた。
「いやあ、まさか私の娘が家に気になっている男の子を呼んできた挙げ句、普段使ってはならないと言っている裏庭にわざわざその男の子と遊ぶために入るなんて、想定外だった」
男性は俺の方にニッと目を向ける。どことなく怖い笑顔だ。姉に似ている。
俺は反射的に怪訝そうにしてしまっていたらしかった。男性はガラス戸をすり抜けて俺の元へと歩いてくる。
「やあ、バルトロメオ『第二王子』」
男性は「第二王子」というところを強調するようにして話しかけてきた。
なぜ、俺の名を知っているのだろう。そんなことが気になったが、
「どうやらそうみたいですね」
どういう言葉を返してみせるべきだったかわからなかった俺は、自分でもよく意味がわからない相槌を返してしまった。
「あなたの話は国王様から聞いているが、まさか本当に生きていたなんてねーー」
男性は少し咳払いして、声の調子を整えてから名乗った。
「申し遅れました。私はこの地の辺境伯をやっている、ハンフリック・ロザリアです。このアマネの父親です。以後、お見知り置きを」
「そうですか、よろしくお願いします、ハンフリックさん」
そう述べると、ハンフリックはアマネのいる方へと歩み寄って行った。
「アマネ。私が見ていないうちに他所で男を作ってくるなんていい度胸じゃないか。彼はどんな男なのだ?」
と訊ねているのが聞こえる。
「私が私の計画を決めるために連れてきた、強大な魔力を誇る王家の第二王子。存在は隠匿されていたけどね」
「うーん」
ハンフリックは少し唸った。何かを考え込むようなポーズをしている。
続いて、ハンフリックは俺に接近してきた。
とても速い動きだ。
「ーーうん、実にいい。これが王家の血のイレギュラーか…」
俺はハンフリックに頬をうっすらと撫でられた。
「魔力、たくさん持ってるね。気配でわかる」
「気配、ですか」
俺は彼の発言の中から気になった言葉を復唱した。
「私が仕事中であるにも関わらず仕事を一段落させて抜け出してきたのはその魔力を感じたからだ。何せ、職業柄常に魔力を感じ取らなければならない身分だからわかってしまうんだよ」
「……」
「裏庭の方から魔力が感じ取られた。かなり迫力のある魔力の持ち主だね、君」
俺は、褒められているのだろうか?
褒められているベクトルがよくわからないので、いまいち素直に褒め言葉として受け取ることができなかった。
アマネは不敵な微笑みを浮かべている。
何となく、姉にレイプされそうになったときと同じ感覚に陥った。
まさかこの男もーー。俺は身構える。
だがその心配はなかった。
「アマネと君の戦いの様子は実はこっそりと見させていただいていた。ーー見た感じ、あれは初めて自分の意思で魔法を操っていたようだね」
ハンフリックによる冷静な分析が始まった。彼の発言は非常に的を得ていた。
俺は頷いた。あれですら、自分で魔法を操っていたのかと訊かれるとかなり怪しいものではあったのだけれど。
「アマネは一族の中で一番強い人間だった。純粋な戦闘力においては恐らく私よりも強い。そんなアマネの肩を抉ってみせるなんて……なんてーー」
俺は身体を強張らせた。
あのときはアマネが自力で再生したから罪悪感を感じずにいられたものの、いざその様子を見ていた父親から何か言われたりもしくは泣かれたりなどしたら今度こそメンタルが持たなくなってしまうだろう。
「素晴らしい雷の魔術だね。まずあの火の球を切断したこと自体私にとっては想像以上だった」
俺が予想していた全ての態度や反応とは異なるそれが返ってきた。
へ?
一切の緊張は全くの杞憂に終わった。
「雷の魔術は通常遠隔攻撃で、切るというよりかは散らすという戦い方が一般的なんだ。それを形あるもののようにしてみせる扱い方ーー流石だ」
ハンフリックはグッドポーズを俺に向ける。
「そして雷の魔術は攻撃対象を狙いづらいという欠点があった。一撃一撃のサイズが小さいからね、どうしてもアマネなどの火球と比べたら攻撃範囲は狭まってしまう。なのに、君はなんて高い精度で撃ち込んでいるんだと、驚いたよ」
俺はこのタイミングで右腕を唐突に掴まれた。かなり力が強い。ハンフリックだ。
「こうしなければ、ね」
俺は思い出した。
さっき、渾身の一撃を撃とうとして、結局アマネには当たらずに擦っただけだった。それも、腕を掴まれていたタイミングだったからなのである。
あれで照準がズレていた。
ハンフリックは1つ溜め息を大きくついた。
「接近戦とはものすごく相性が悪いね、君の術は。でも、いいものを見せてもらった。アマネがあの家から持って帰ってきた理由が少しだけわかるよ」
「ありがとうーーございます」
俺はとりあえずなんとなくお礼を言っておいた。
「君は、純粋な力というか才能というかそういう範囲だけだったら全然私よりも強いからね。第二王子、いいね」
ハンフリックが俺の前に手を差し出した。
握手をする、ということなのか。俺は手を出して、
パチン!
という大きな音を立てて握手をした。
ーーああ、なんか政治家の首脳会談の握手とかもこんな感じだなぁ。
そんなことを思いながら、俺はハンフリックの目を見た。
「ーーでも、アマネもアマネでこっそり男と戯れ合うために禁じられている裏庭へ許可も取らずに出て行ったのは、やっぱり父親として怒らなければならないね」
ハンフリックはアマネの方へ方向転換した。
俺を褒めていたさっきまでの優しく甘い声色とは打って変わって、だんだんと声を荒げる。
アマネの顔から、だんだんと無敵な感じが薄れていった。代わりに、紅潮が次第に現れていく。笑顔が消える。
「この庭はうちの領地よりも遥か前から持っていた土地だ。それを傷つけてはならないから私はこの場所へ許可のない立ち入りを禁止している」
「…わかってます」
「恋人ができそうで嬉しいのはわかるが、一族の守るべきものを傷つけてまで楽しむというのはどうかと思うよ。まあ羽目を外したくはなるのもわかるよ」
そう言われているアマネの顔色は、さらに赤く染まっていく。
その説教の言葉を小耳に挟んでいる俺も、顔が熱くなっていくのを感じた。
「じゃ、私はもう少しだけ仕事が残ってるからね。また夕食の時に会おう」
そう言ってハンフリックは幽霊の如くフェードアウトしていった。