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独白

作者: 月下香

処女作です。

構文がめちゃくちゃですが、許してください。

『壇上、独り。』



 私は世を彷徨う幽霊です。


 私とこの世を繋いでいるのは福祉(これは非常に事務的かつ義務的に働いているように感ぜられます。感謝するのが礼ではございますが、正直に心の底を明かしてしまいますと少々滑稽な様をしております。彼らの形質には、親切心に満ちているかのような振る舞いに棲む規則性が垣間見える時がございます。まるで変化に失敗し、尾だけ生えている狐や狸のようで見ていてとても痛快なのでございます。皮肉に聞こえるかもしれませんが、良い言い表しをいたしますと「愛嬌があって可愛らしい」とでも申しましょうか。いたずら好きの狐も狸も傍目に見れば愛らしい小動物でございます。)か、愛か、好奇の心か、或いはそれら全てによるはたらきなのです。

 この福祉の義務は殆どの場合消費者からなります。それは私のようにも思えますが(現に私は希死念慮持ちという名目のために隣町の精神病院に入院しております。)これに私は何処か違和感を感じずにはいられないのです。と言いますのもこれはあくまでもわたしの場合のことでございますが、私への福祉を欲しているのは私自身ではなく、私の家族の方である(実を申しますと私はついひと月程前、実家の常備薬を有るだけ嚥下しODによる自殺を計画しておりました。そして丁度今夜に実行しようと心に決めた日の昼下りに学校から帰ると母から入院の誘いがあるという私の嫌う「奇跡」ような出来事があったのです。)ためでございます。

 つまり、私への福祉の義務は家族からの重い重い愛からなっているのです。


 私は生まれてこの方この奇妙で晦渋な現象の理解に苦しんでおります。

 何故彼らは私の命をそうまでして繋げようとするのでしょうか。確かに血は繋がっております。ですがそれだけ、所詮それだけにございます。そんなものただの戸籍に過ぎません。

 人は絶対的個人であり、他人を完全に理解することは不可能なのです。

 それでも彼らは私を呼び止めます。

 私欲のためでしょうか。今まで私に費した金銭が無駄になる(私は今まで多くの習い事や学習塾などに行かされて来ました。)からでしょうか。老後に養って貰う為でしょうか。それとも狭い世間での誹謗を避けるためでしょうか。それならまだ理解が及びます。

 ですが彼ら彼女らの愛の重さはそんな比ではございません。私という一人の人間を潰し殺してしまう程の愛でございます。何故それほど愛せるのか。そんなにも沢山の愛を与えられても私一人ではとても嚥下することができません。吐こうものなら罪悪が私を襲うことでしょう。そう考え出すと身体の節々に悪寒が走り、臓物の一つ一つが震え上がり、止まらないのです。(愛が与えられず苦しんでいる方もよく拝見いたしますがありすぎるのも恐らく同様に辛く寂しいものでございます。)


 そのような様子でございますから例の重さと、それからなる気色の悪い触覚とで私の認識は心労で歪み、思考が浮世離れしていくように感ぜらました。ところがそうはならなかったのです。と言いますのも私は生まれながらに人並みより勘が冴えておりました。その天性とまではいかない半端な勘によって非常に世渡り上手なPersonaが出来上がってしまったのでございます。

 今思えば私の人生はこのときのペルソナによって大いに妨害されてきました。

 現にはもう残っていない「生」への欲(なんと懐かしく風情のある響きでしょうか。もう長い間味わっていません。)がまだ人並みあった時のことです。私の心、身体が潜在的に死に魅力を感じ始めると(私は11になるかならないかという具合のことだと記憶しております。)私は助けを求めました。「生への欲」によるはたらきでございました。ですが私がどれだけ苦しい、辛いと周りに訴えかけても普段の世渡り上手という認識からか、真面目に取り合ってはくれず、或者には「何だ、嫌味か。珍しい。」とまで言われてしまい、私の発した信号は終ぞ相手に届くことはなかったのです。


 そのようにして私の心は少しずつ衰弱し、死に至るまでになってしまったというわけでございます。


 それほど最近の話ではございません。死へ魅力を感じ始めたのは先程の通り11のとき、心身が死へと赴き始めたのは13と半年程のことでございます。(完全に心が死に至ったのは此処半年程前のことでございましたが。)


 苦しい時期もありました。過去を嫌っているため具体的には覚えてはいませんが、ただとても辛かったことだけは確かなのでございます。

 だがしかし、今はどうでしょうか。苦しみ、増しては辛さなど微塵も感じることは無くなりました。ただ此処には緩やかな疲労が漂うばかりであります。心が息をしていないのだから当然のことでございます。

 これはめでたいことでしょうか。私には全く逆のように思われます。

 人は何故苦しむのか。それは死に抗う為でございましょう。毒苺を食むと舌が痺れるのと同様に本能的な領域の話であります。

 ですが今はそれがない。逆説的に今の私は死に抗っていない。それどころか順従であるとすら思えます。いや、実にめでたくないお話でございます。

 例えば世の人々は、意識せずとも生きたいと思っております。将来の夢も持たず、勉学に励む人を見たことがございますか。彼らは一見なんの目的もなく「可能性を広げる為に励んでおります。」などと言い抜かしているが、実際のところ皆の目的は一貫して「生きる為。」なのでございます。今、やりたいことがなくとも成人すれば「働かなければ死ぬ」ことになりましょう。(さもなくば路傍に転がる社会の塵となり、生きながらも死ぬことになるようです。)

 このように世の人々が無意識に「生きたい。」と思うように、私も無意識に「死にたい。」のでございます。


 私の独白は以上になります。





『退場際、呟く。』



私は溺死した



この社会という 世間という

暗く 緩やかな 冷たい川で


生きなさい。と言う人に 袖の先を引かれる 

その人の思う儘 するすると水面を滑る


食べなさい。寝なさい。起きなさい。

行きなさい。生きなさい。


この暗い冷たい川で



草舟のように軽い 私の溺死体 


川の生温い流れは袖引きのただ一つにすら抗うことは出来ない


河口へ辿り着けるのは 遠い浅夢か

おやすみなさい。

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