表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【ダーク】な短編シリーズ

顔貌剃り

作者: ウナム立早


 久しぶりの晴天だった。空はどこまでも青く澄みきっていて、雲一つ無い。こんな日は、絶好の散髪日和だ。


 私は朝早くに家を出て、山の麓にある、小さな理髪店へと足を運んだ。私が街を離れて、田舎で暮らすようになってからは、ここが唯一の理髪店なのだ。店はずっと店主が一人で仕事をしている。その腕前は確かなもので、これまで事故があったとか、経営が苦しいだとか、そのような話は、噂でも聞いたことがない。


 カラン、カラン。


「いらっしゃいませ! おや、今回は早いですね」


 ドアを開けると、店主のはつらつとした声が響いた。


「おはようございます、よろしくお願いします」


 私はサングラスとマスクを外し、折り畳んでから上着のポケットにしまった。店主は私の容貌を少し見つめてから、ふふっ、と笑みをこぼした。


「こりゃあまた、ずいぶん伸ばされましたねぇ」

「ははは、お恥ずかしいことです、今年の害虫は特に手強くてですね、野菜も例年より出来が良いもんですから、朝から晩まで必死に格闘してたんですよ。自分の頭の刈り取りなんて、すっかり忘れちゃって」


 椅子の周りを準備していた店主は、白い歯を見せながら、はっはっはと笑った。


 準備が整うと、店主は椅子の背もたれをポンと叩く。


「さあ、準備できましたよ、まずは髪から切りましょうか、長さは……いつもどおりでいいですね?」


 私は椅子に腰かけ、鏡に写る自分の顔と相対した。少し呼吸を置くと、後ろに控えている店主に告げた。


「そうですね、いつもどおりの、短めのカットでお願いします」

「かしこまりました」


 そう言うと店主は私の服の上から、首周りを保護するシャッターと、少し厚めのケープを取り付けた。


 チョキチョキチョキ。


 カットが始まった。リズミカルなハサミの音とともに、肩口まで伸びていた毛髪はみるみるうちに切り取られていく。私はしばし目をつむりながら、ハサミの奏でるリズムを楽しんでいた。


 だいたいのカットが終わると、店主は開き鏡を持ってきて、私の後頭部を写しながら尋ねた。


「どうでしょう、こんな感じでいいですか?」

「ええ、これで構いません」

「顔の前に、髭も剃りましょうか?」

「お願いします」

 

 ほどなくして、ちょうど良い温度に蒸しあげられたタオルが、私の顔を覆った。すぐ後ろで、シェービングクリームを泡立てる音も聞こえてくる。タオルが取り除かれると、たっぷり水分を含んだ顎の肌に、ふわふわのシェービングクリームがぬり付けられる。


 そして店主が、剃刀を構えて後ろから現れると、二つの手で私の頭を固定し、撫でるような手さばきで、顎髭を瞬く間に取り除いてしまった。テンポ良く正確で、まるで手品のショーのようである。


「眉も剃ってよろしいですね?」

「はい」


 最後は一気に、両方の眉毛を跡形もなく剃り落とした。眉毛を残すかどうかは各々の好みによるものだが、私は昔からゲジゲジ眉毛にコンプレックスがあり、剃ってもらうようお願いしている。


「では最後に、顔貌剃りにいかせてもらいます」


 目をつむっていた私の横で、店主がささやいた。その声は今までと違い、真剣な気迫を感じさせるものだった。


「お願いします」


 何度も経験しているとはいえ、自然と私も覚悟を決めたような口調になる。


 私の背後で、店主が顔貌剃りの準備に入った。複数のクリームや薬草をボウルに入れ、素早い動きで一気にかき混ぜる、この理髪店に代々伝わる顔貌剃り用の調合薬なのだそうだ。これは怪我の傷に使っても有効で、あっという間に止血し、傷跡の保護もしてくれるスグレモノだと聞いたことがある。


 でん、と私の横に調合薬がたっぷり入ったボウルが置かれた。店主が2つの手に調合薬を乗せ、もう2つの手で、私の顔に直接塗り付けていく。塗った瞬間から顔を通り抜け、骨まで届くような爽快感が染み渡る。やがてその感覚は少し痺れたようなものに変わっていった。この薬は麻酔の役割もかねているのだ。


「いかがですか?」


 店主が私の右頬あたりをつんつんと突いていたが、全く感覚がない。私は手で、問題ないと合図をした。


 店主は軽く微笑むと、これまでとは違う特殊な剃刀を取り出し、構えた。そして残りの手で、私の頭を優しく固定し、左目の眼窩に剃刀を差し込んだ。


 くるりと目に沿って剃刀の刃を回し、眼筋から目を剥がして、最後に顔を繋いでいる視神経をチョンと切ると、顔の横から目玉が滑り落ちていった。仕上げに、店主が調合薬を左目があった窪みにたっぷりと塗り付ける。さすが店主だ、痛みも全く感じなかった。


 店主は右目も同じように難無く剃り落とすと、次は鼻に向かった。店主の話では、鼻は顔貌剃りの中では一番簡単なのだそうだが、私の場合は生まれつきの団子鼻で、他の部分と比べて生えてくるのも遅いとのことで、綺麗に仕上げるためにはそれなりのコツがいるらしい。


 店主が鼻の先のあたりをつまむと、上に引き上げつつ、下から上へ向かって刃を通した。鼻自体はこれであっけなく取り除かれたが、その後で、店主は入念に鼻があった部分へ調合薬を塗り広げ、さらに予め用意されていた、コーティング液を重ねるように刷り込んでいく。仕上がる頃には、私の鼻の周りは全くデコボコが無くなっていた。


「では最後、口にいきますよ」


 店主が改まって声をかける。そう、この顔貌剃りで最も厄介なのは口なのだ。それは単に、難易度だけの問題ではない。


「口は完全に塞がなくても良かったんですよね?」

「ええ、舌も残してもらって大丈夫ですよ」


 仲間たちの間では完璧さを求めて、唇や舌も完全に取り除いて、あとは口の中を調合薬と膨張剤で埋めてしまう者も少なからず居る。その場合は顎の下に新しく、呼吸や食事をするための仮の口が作られるのだが、これがなかなか不便みたいで、メンテナンスも必要とのことらしい。それに、私の場合は収穫した農作物を、自分の舌でも味わってみたいという願望もあるのだ。


 店主は唇を上のほうから、丁寧に少しずつ削り取っていく。唇は柔らかくデコボコしているので、剃り跡を綺麗にするためには、細心の注意が必要とのことだ。


 唇の後は、歯だ。さすがに硬い歯は、剃刀だけではどうしようもないようで、ノミやヤスリといった道具も使っている。


 コツン、コツン。ギリギリギリ。


 歯が削られていく音が、耳に伝わってくる。まるで彫刻をほっているようだ。もちろん、痛みなどは一切ない。


 いくらかの時間が経過して、ようやく、口剃りが終わったようだ。店主が、ほうっ、と、安堵混じりの溜息をつく。


「お待たせしましたね、いよいよ最終仕上げですよ」


 店主のテンションも普段通りになりつつある。ここまで来たら、もう大丈夫なのだろう。店主は一度店の奥にひっこむと、『膏薬』と書かれた壷を何種類か持ってきた。まずは調合薬を顔全体にまんべんなく塗り、薬が乾かないうちに次から次へと、膏薬を重ね塗りしていく。すべて塗り終わったら、ちょっと熱いぐらいに蒸しあげたフェイスタオルを、顔の上にかぶせていく。


 ああ、ここが顔貌剃りで一番気持ちのいい所だ。タオルの熱さとともに、幾度も重ねられた膏薬の成分が、じわりじわりと、顔全体に染み渡っていくのがわかる。


 数分経ったのち、私の顔からゆっくりとタオルが剥がされた。


「お疲れさまです! 終わりましたよ」


 店主はそう言うと、リクライニングを元の位置に戻した。


 そこには、眼も、鼻も、唇も、綺麗さっぱり無くなった、何も無い顔貌かおの私がいた。


「ん、い、い」


 私は少しずつ、口だった部分を開けてしゃべった。


「い、いやあ、さすが、見事な出来栄えです」


 最初はしゃべりにくかったが、今はほとんど不自由を感じない。口を開けた私の姿は、更地の顔面に、黒い穴がぽっかり空いたようになっている。店主は、得意げに4本の腕でマッスルポーズをとってみせた。


顔貌剃かおそりが、離れの神社で儀式として行われていた時代からやってますからね、年季が違いますよ!」


 それから後は、ちょこっと髪のほうを手直しして、残った髪や顔の残骸をブラシで払い落とし、最後にケープと、首のシャッターを取り外してもらった。これでめでたく、全行程の終了である。


「お疲れさまでした。立って大丈夫ですよ」

「ありがとうございま……あっ!」


 席を立ってすぐに、床に転がっていた自分の目玉を踏んづけてしまい、危うく転びそうになった。両目に頼らなくても、私は十分に活動できるほどの妖視力と感覚力を身に着けてはいるが、顔貌剃りの直後は、どうも感覚が狂ってしまう。


 大丈夫ですかと店主が駆け寄ってきたが、私は心の中で苦笑いをしながら、問題無いよと手で合図し、そのまま出口のほうへ向かった。


「では、カットと顔貌剃りで、3200円になります」


 毎度の事ながら良心的な値段だ。あの技術や調合薬などの費用も考えると、もっと貰ってもいいんじゃないかと、いつも思ってしまう。


「どうもありがとうございました。野菜の収穫が終わったら、ラッキョウをいち早く店主のところへ持っていきますよ」


 そう言うと店主は4つの手を揉みながら、すみませんねえ、と、はにかんだ笑顔を見せてくれた。店主は一族にしては珍しく、ラッキョウやニンニクなどのユリ科の野菜が好物らしい。


 店主に別れのあいさつをして、私は店を出た。空はまだ来た時と一緒で、雲一つない晴天が広がっている。私の顔も、この空のようにスッキリとしていた。手で触れてみると、まるで殻を剥いたゆで卵のようにスベスベとしている。


 さて、これからまた、畑を荒らす害虫共との闘いだ。私は帰り道で、顔の感触を確かめながら、ふと昔のことを思い出した。


 自分の顔に強いコンプレックスがあって、人間を捨て、この人里離れた土地にやって来た私。妖怪の一族――『のっぺらぼう』になることは全く苦に思わなかったが、よもや、定期的な顔貌剃りが必要だとは、あの時は夢にも思わなかった。



-END-


 もしあなたも、自分の顔貌になんらかのコンプレックスをお持ちでしたら、ぜひ当店へどうぞ! ――4本腕の店主より。


 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ