3-4 地元の風物詩
「ああ、違いますって。だから、こうで……」
赤坂が台所で矢継ぎ早に指示を飛ばしている。
「ええ、違うの⁉ じゃ、こう?」
フライパンを握る美祈さんがその度に右往左往していた。
赤坂は制服の上から、美祈さんはゆるふわな部屋着の上、二人ともエプロン姿だ。
「だからまだ焼けてないから! もう少し待ってくださいっ」
美祈さんは俺達より一回りも年上の大人の女性だ。それでも、赤坂は毅然と言い放つ。
広いキッチンの三口コンロの一角で作られているのは、卵焼きだった。
そう、卵焼き。日本人の一般的な朝食メニューのアレ。
「ダメでもいいわ。その時はスクランブルエッグにするから、ね。いいでしょ? 早くひっくり返させて。私ってひっくり返すの好きなのよっ」
フライ返しを振り回しながら、美祈さんは赤坂を急かす。
でも、フライパンの上のそれはまだ溶き卵の状態で、ひっくり返せるほどに固まってすらいない。
「いくら何でも急ぎ過ぎだよな……」
滅多に料理しない俺の目から見ても、美祈さんのヤバさはすぐに分かった。
「先に考えながら手を動かさないと、料理は失敗しちゃうんです。駄目ならこうするって考え方はまず捨ててください」
赤坂は額に浮いた汗を拭いながら、ぎゅっとフライパンの柄は握りしめたまま。決して美祈さんに譲ろうとしない。
「逃げ道を作る場合も人生には必要です。でも! 今は向き合う時なんです」
「新兵の教育でもしてるような剣幕だな」
恐る恐る二人が悪戦苦闘している対面のキッチンを覗き込む。
その奥には容器が三つ並んで入った、昭和の雰囲気のする調味料入れ。赤坂はそれをびしびしと指さしながら言っていた。
「それに! また塩と砂糖間違えそうになってたし! 私が味見しなかったら味のバランスが滅茶苦茶になってましたよ」
三つある赤い取っ手の下にはそれぞれ『塩』『砂糖』と、達筆なマジックペンで記されたラベルが貼られている。
先程、赤坂が間違えないようにと作ったものだ。
「ああ。だから、うちの旦那変な顔してたのね。美味しいって言ってくれたから安心してたのに」
こつんと頭を叩き、てへぺろの顔を見せつける美祈さん。
何で他人事なんだろうな、この女性。
もし、赤坂がこの処置をしなければ、北畠家の味付けはこれからも時々砂糖と塩の因果が逆転したメシマズ料理が並ぶ事になっていたのだ。
俺も大概だけど、この人も頭のネジが飛んでるなあ。流石、俺の従姉。血は争えないし笑えない。
「言っても無駄だから薄ら笑いで誤魔化してただけじゃないですか? 悠二さん、めちゃくちゃいい人じゃないですか。そういうの言いにくいんですよ」
美祈さんの旦那――悠二さんははっきり言えないタイプだ。だから、俺が代わりに言い放つ。
すると、対面キッチンの美祈さんがプンスカし始めた。
「煩いわねえ。トイレもう貸さないよ!?」
「うっ」
思わず声を失う。
学校で腹痛に襲われた時、俺はいつもこの家のトイレをお借りしている。
戦略上、重要な場所がこの北畠邸のトイレ。緊急回避的な意味合いを持つこの拠点を失う訳にはいかない。
富士山の頂にトイレがあるのを感謝する登山客と同じように、俺もこの家の立地に感謝をしなくてはならない。
「――よし、できた!」
瞬間、赤坂が解放されたような歓喜の声を上げた。俺が美祈さんの注意を逸らしている間に無事料理が完成したらしい。
相当妨害を受けまくっていて物を教えるってレベルじゃなかった。
料理完成が余程嬉しいのか、赤坂は素の表情で喜びを表現している。
彼女が持ってきた皿の上には、青のりが交えられた美味しそうな卵焼きが乗っている。
「一之瀬も食べていいよ?」
「お、おう」
箸で卵焼きを一切れ、口に運ぶ。
肉厚に巻かれた卵の甘みと同時に、口内で広がるじんわりと効いた塩味。
「これは……」
対面に座る赤坂がニヤリとほくそ笑む。
「これを使ってみたの」
そう言ってテーブルの下から掲げるように取り出したのは何のことは無い。わかめのふりかけだった。おにぎりなどに使う濃いめの味のやつ。
「これを混ぜ込めば、磯の香りと塩味が豊かになるの」
「へえー」
舌先に広がる奥深い風味はこれだったのか。
俺はもう一切れ平らげる。
「赤坂は自分で料理作ったりするのか?」
「弁当は全部自分でやってる。うちって共働きだから」
「へえ」
そんな事を交わしながら食卓は弾んだ。
今は夕食前の一番お腹が空く時間帯だ。俺達は夕食前にも関わらず卵焼きや、一緒に作ったというほうれん草とベーコンの洋風ソテーにも箸を伸ばす。
「ありがとね、環季ちゃん。ようやく卵焼きの作り方が分かったわ」
美祈さんもほくほく顔。一方の赤坂はゾッとしない顔をしていた。
「まさか、こんなに疲れるとは思わなかったわ。初めて逃げようかと思ったかも……」
そう言った赤坂の顔にはいくつもの汗粒。右手にはかちかちの氷が入った麦茶のコップが握り締められている。
「本当にお疲れ様だな」
「美祈さんとは前に約束したからね」
事も無げに返す赤坂だけど、本当に律儀だし親切だと思う……性格のキツさに目を瞑れば。
これほど頼れて、世話を焼いてくれる女子は俺の知り合いにはいない。
まあ、俺にとって女子の知り合いは赤坂くらいだけど。
「それにしても、暑くなって来たわね」
美祈さんは冷凍庫からカッチカチに凍ったタオルを持ってきて赤坂に渡す。
「ありがとうございます」
それを額に当て、椅子の上で身体をだらりとさせる。キッチンの熱気は外気温以上の灼熱だったに違いない。
「ナツと環季ちゃんは高校生活初めての夏休みだね。どう、青春しちゃうの?」
「何ですか、その言い方。そもそも、講習のせいで休みなんて大分削られてますよ」
俺が椅子の上で大きく伸びをすると、美祈さんがくすくすと笑う。
「講習かあ。私達の時もあったわ。やっぱ変わんないものね」
懐かしそうに目を細め、麦茶を一口。
ちなみに、美祈さんは俺達の通う冬青高校の卒業生でもあるのだ。
「東京は九月まで夏休み何だっけ。ずるいよなあ。あーあ」
「まあ、進学校の宿命ってやつね。とりあえず、私は講習が終わるくらいに課題も片付けて、後は終遊びまくるつもり」
冷えタオルを額からどかし、すっかり調子を取り戻した赤坂が会話に加わってくる。
「そういえば、環季ちゃんってねぶたは見に行くの?」
「え!? ねぶたですか?」
卵焼きを食べながら、赤坂はきょとんとした顔。
ねぶた祭はこの街最大のイベントで、全国的にも有名な夏祭りだ。
日本や中国の武将・英傑をモチーフにした人型の巨大な灯篭。それを乗せたねぶたの山車が夜の街を練り歩く。
その勇壮さは世界的にも有名らしく、開催期間中は海外からも観光客が押し寄せる。
「跳ねたりしないのかなあって。環季ちゃんの性格的に見るのだけでは収まらないんじゃない?」
「え、私ってそう見えるんですか!?」
白い歯を見せて可愛らしく驚く赤坂。しかし、俺の視線に気づくと赤坂は立ち上がりかけた腰をそのまま椅子に降ろした。
街を練り歩くねぶたと一緒になって跳ね踊って楽しむのもまた、この祭りの醍醐味だ。
「昔は家族で跳ねたりしましたけど。流石に今は……」
しかし、赤坂はそういった類には興味がないのか首をゆっくりと横に振った。
「ああ、そういうのは恥ずかしくなっちゃう系?」
「そうですね。衣装とかも揃えないと行けないし、うちは遠いので……」
口ごもる赤坂。美祈さんに活発な性格なのを見抜かれて気まずいんだろう。
まあ、赤坂が住んでいる所は、ねぶたが運行される中心部からはかなり遠い距離にある。
「車ないとキツイからとか?」
俺が尋ねると、赤坂がこくりと頷く。
「そうなんだよね。お兄ちゃん達が一緒に住んでた頃は家族で行ったりもしたけど。もうそういう歳じゃないし」
そう言って肩をすくめた。
街中に住んでいる俺や諌矢はチャリさえあれば中心部のねぶたの運行コースに出向けるが、やっぱり赤坂の住んでる地区からは難しいのだろう。
「まあ、俺も小さな頃くらいしかねぶたなんて見に行ったことないよ」
「え? そうなの? ナツの家って結構祭りのコースに近いでしょ?」
これまで話を聞いていた美祈さんが俺の方に向き直る。
「今の家に住み始めたのって俺が中学入ってからだし……」
「ああ、確かに」
ぽんと、手を叩く美祈さん。
「ナツが小さな頃って、正月と夏休みくらいしか会えなかったわね」
元々、俺はこの街に生まれた訳では無い。
小さな頃にこの街に滞在したのは決まって正月か夏休みくらい。いつも親父の車で美祈さんの実家である本家に里帰りをしていた。
その頃は美祈さんの他にも祖父がいて、夜になると家族三世代揃ってねぶたを見にいったりしたっけ。
「ふーん。一之瀬も、それからずっと見ていない感じ?」
「そうだな。最後に見たのが確か小学校の夏休みかなあ」
「え。中学の頃から住んでるんでしょ? 一回も行かなかったの?」
「この街に生まれるとそんなに珍しい物でも無いからな」
俺が言うと、赤坂が口元で薄く笑う。
「あ、わかる。地元でやってるから行こうと思えば見に行けるし。逆になかなか行かないんだよね」
妙なところで親近感だな。
「それなら……私に良い考えがあるの!」
すると、何故か美祈さんが思いついたように立ち上がった。
驚きの表情で赤坂を顔を見合わせる。
「車あるし。なんなら、環季ちゃんの家からねぶたやるとこまで送ってあげるわよ」
「え、いいんですか?」
その提案に真っ向から食いつく姿勢の赤坂。本心では見に行きたかったのかもしれない。
美祈さんは、その様子を見てすっかり気分を良くしたようだ。鼻歌混じりにテーブル上のスマホを手に取る。
「うんうん。じゃあ、早速連絡先交換しとく?」
「はいっ!」
俺には見せない純粋な少女のような明るい声音。快諾する赤坂に美祈さんも嬉しそう。
料理教えてくれるし何かと礼儀正しいし、赤坂みたいなタイプって年上の女性にも可愛がられるのかもしれない。
そんなこんなで、二人はスマホを向かい合わせて連絡先を交換する。
「良かったわね、ナツ。一緒にねぶた見る人がいて」
そう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべて目配せする。
「ていうか、美祈さん。俺も行くんですか」
「えー。だってその方が面白いじゃない。一人で見てもしょうがないでしょう?」
完全に俺も同伴前提の話で進めていたらしい。美祈さんは俺の反論を聞く素振りを見せない。
ふと、思い出したように天井に目をやった。
「ナツは……昔からこういうの消極的だったからねえ。お爺ちゃんが連れていく時もめんどくさいとか言ってたし」
「……」
返す言葉も無い。昔を知り尽くしている従姉相手は厄介だなと思い知る。
「でも、こいつ。球技大会でピッチャーやったんですよ?」
俺達のやり取りを聞いていた赤坂が口を出してくる。何故か笑いをこらえたような口調。
「しかも、結構頑張ってたし。ねっ、一之瀬?」
そう言って、赤坂は悪戯っぽく口許を吊り上げる。
「へー。やるじゃんナツ」
それを聞いた途端、美祈さんも悪だくみしたような顔で笑う。この二人、まるで姉妹だな。
「赤坂。美祈さんに学校の俺の姿を教えるのやめてくれよ」
「何で?」
「監視されてるみたいで嫌なんだよ」
一方で俺は面白くない。身内に学校の様子をべらべらと話されて楽しい男子高校生がいるのかな? いや、いない。
特に俺みたいに他人の目ばかり気にしている人間なら猶更だ。
「俺は誰にも干渉されずに生きていきたいの。だから、これ以上美祈さんに学校での俺の事言うな。いいな?」
「やだ」
即答で否定した赤坂は最後の卵焼きを口に運ぶ。
そして、箸を持ったまま、指先だけ俺に向けてきた。
「一之瀬さ。ピッチャー変わった時に、なぁんか熱い事言ってたよね? なんだっけ――」
まさか、このタイミングで切り出すなんて。背筋が一気に寒くなる。
「やめろ。やめて、やめてさしあげろ……」
赤坂は動じる様子はない。涼しい顔でテーブルに置かれたクッキーに手を伸ばす。
「そもそも、赤坂のピンチを助けたのは俺だよね? 救われといてよく言うよ」
「……なっ!?」
途端に顔を赤くさせる赤坂。
「それは……あんたに見せ場を作ってやろうとして、私の方が譲っただけだし!」
そのやり取りを、美祈さんはニンマリしながら観察している。
テーブルについた腕に顎を乗せながら。その視線が優しくて、尊くて。
赤坂と恥ずかしい事を言い合っているのに、いつもと違って気にならない。
開き直ったような、むず痒いような、俺の心の中はどこかおかしな感情に包まれていた。
いつの間にかブックマークが増えていて励みにさせてもらってます!
ありがとうございます。
ローカルネタ多めの章で伝わりにくい点もあるかもしれないのですが、引き続きお付き合い頂ければと思います。




