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3-19 とりあえず屋上

 放課後になり、皆がぽつぽつと帰り始める。

 期末テストからも解放されたのもあってか、クラスメートの足取りは軽い。

 一人昇降口に向かおうとしたら、ズボンのポケットに入れていたスマホが小さく震えている事に気づいた。


「何だ?」

 アプリを起動すると、赤坂からのメッセージが届いていた。

 赤坂:確認しときたい事があんだけど。

 リアルタイムで俺が見ているのを既読で確認したのか、返信する間もなくメッセージがもう一つ届く。


 赤坂:とりあえず、屋上。


「ええ……」

 俺は思わずそんな声を漏らしていた。

 これから赤坂にリンチでもされるんだろうか。あいつの気に触れるような事したっけ。


「見た?」

「げ、赤坂」

 後ろにいつの間にか赤坂本人が立っていた。ぐっと眉を寄せて俺を上目で睨みつけている。

 俺は思いきりびびりながら身を退く。


「ちょっといい? この前くれたメッセージの件なんだけど」

「ああ、工藤の一件か」

「そ。テスト終わったし」

 そこでようやく、赤坂の表情が柔らかくなる。

 期末明けに工藤が指定した日に赤坂も来れるか、先週の夜にメッセージを飛ばして聞いていたんだった。

 学校内では殆ど赤坂と最近は関わっていないから、この件に関して何かあるのだろう。


「ていうか、赤坂。メッセージで返せば良くない?」

「忘れてたのよ。それに直接話つけておきたかった事もあるし」

 そう言って上履きをぱたぱたさせて歩き出す。

 赤坂は昇降口に急ぐ生徒達に注意を向けながら、


「そういう訳で、屋上」

 小首をくいと、傾けた。ちょっとツラ貸せや、そんな風な仕草。

「だから怖いって」

 ずんずん進んでいく赤坂の後を追って、俺は元来た廊下を引き返すのだった。




 部活の掛け声を遠巻きに聞きながら、渡り廊下を越えて旧校舎に入る。

 よく考えたらもう七月も半ばだ。すっかり日も長くなり、この時間でも太陽は一向に沈む気配を見せない。

 西側にある旧校舎の階段も、いつもの薄暗い陰鬱さがまるで感じられなかった。


「あれ……?」

 一足先に屋上扉についた赤坂がドアノブに手をかけて困ったような声を出す。


「どうした?」

 俺が辿り着くと、赤坂はドアをガチャガチャさせながら、


「開かないみたい」

「ちょっと貸してみて」

 赤坂の代わりにドアノブを揺すってみるけど、扉はびくとも開かない。

 そこでようやく気付く。


「あーこれ。鍵修理したんだよ、多分」

「えっ」

 少し驚いた顔で赤坂がもう一度ドアノブを握る。触れた手の温度と柔らかな感触に、俺は弾かれたように手を離した。


「ほんとだ」

 しかし、赤坂は俺の感情なんて全く気にしないで、扉の施錠を再確認。


「ねえ、一之瀬。もっかい蹴り破ってよ」

 事もあろうか無茶ぶりを言ってくる。


「いや、もう無理だから。何回も繰り返したら流石に調査が入ってバレて退学させられるかもしれないから」

「それもそうね」 

 ふと、赤坂はドアの前で腕を組み考え込む。屋上にどう出るかまだ何か考えでもあるんだろうか。じっと、俺を値踏みするように見つめながら、


「ところで、一之瀬はテスト何点だった?」

 は思ってもいなかった問いを投げてくる。


「いきなりだな。どの科目? 日本史か?」

 赤坂は小さく舌打ちしながら、俺を見る。


「英語、数学と化学。あと現代文」

「全部俺の苦手科目でお前の得意科目じゃないか」

「現代文は違うし」

 日本史じゃ俺に勝てないのも織り込み済みかよ。本当に隙が無い奴だ。


「まさか、赤坂が張り合ってくるとは思わなかった」

「じゃあ、英語で良いわよ。そもそもアレは皆で対決しようって話だった教科だし。ね、一之瀬は何点?」

 何故か距離を詰めて聞いてくる。人懐っこくて猫カフェの営業上手い猫っぽさまである。

 一瞬心がドキッとするけど、こいつは単に俺に確実に勝てそうな教科だからノリノリで聞いてくるだけなんだ。


「79だけど」

 一応、証拠として答案も取り出して赤坂に見せる。


「へえ。そこそこに良い点だね」

 答案の点数を見ながら、赤坂は勝ち誇ったように口角を上げる。


「ちなみに私は86だけど」

 そして、負けじと自分の答案を鞄から取り出して勝利宣言をしてきやがった。

 どんだけ俺に勝ちたかったのこの子は。


「ああ、そうかい」

「桜川さんのおかげかな」

「お互い様だろ」

 赤坂はぎゅっと腕を組んで俺を見る。


「だとしても私の勝ちは揺るがなかったわ」

「ああ、もうそれでいいよ」

 ふふんと楽しそうな顔で屋上の扉を上履きの先で小突く赤坂。俺に勝ったので本当に機嫌良さそうだ。


「それにしても、風晴君。すごかったね」

「ああ。まさか本気出して満点取っちゃうような奴だとは思わなかったよ。いくら何でもやり過ぎだ」

「ね」

 赤坂はそう言って扉を背にしてしゃがみ込む。健康的な膝小僧を揃えた綺麗な体育座り。


「あんなの反則よ」

「何だよ赤坂。諌矢と桜川さんに勝つつもりだったの?」

 俺も一緒になって横に座る。

 正面上に見える踊り場の窓からは西日が差し込んでいてひたすらに眩しい。


「基本的に私は誰にも負けたくないの。勿論、一之瀬にもね」

「96点だったよ?」

「は?」

 訝しがる赤坂に俺は続ける。


「日本史」

 敢えて言ってやった。


「うざいよ?」

 赤坂はそう言って、もう一度英語の答案を見せつけてくる。

 俺も自分の鞄に手を掛け、日本史の答案を取り出そうとして、


「いや……もういいや」

 しかし、その動きを止める。何なんだろうな、この張り合い。

 諌矢と桜川さんはしょっちゅうこんなやり取りをやっていた話だけど、あれは二人とも小学生だった頃の話なのだ。


「まさか、赤坂が俺に張り合って来るなんて思わなった」

「私も……」

 ふと、赤坂が自分でも驚いたかのような声音でぽつりと呟く。


「え?」

 尋ねた先の赤坂はきょとんとした顔。夕陽が頬を朱色に染め上げていて、肌のきめ細かさが際立っていた。思わず鼓動が跳ねた。


「だから、私もここまで張り合うとは思わなかったって言ったの。それよりもさ」

 ふと、思い出したように赤坂がスマホを取り出した。


「テスト明けに工藤君達と出かける話。それの確認もしておきたくて」

 指で画面上をすいすいしながら、スカートのポケットに滑り込ませてしまい込む。


「工藤君の話は分かったし、その日は予定空いてる。でも、なんなの? 恋のキューピッドにでもなったつもり?」

 不信感たっぷりの赤坂。眉を寄せて俺を上目で見てくる。


「一之瀬の事だからノリで安請け合いしたんでしょ?」

「工藤のやつ、割と本気だったよ。あんな風に頼まれたら断れないって」

 焼きそばパンをおごられ、ダブルデートしてくれと懇願された時の話をすると、赤坂は諦めたように頷いた。


「そう言う事なら私は別にいいよ。それに竹浪さんなら結構私も気が合うし」

「一緒に出掛けるのが西崎なら断ってたのか?」

「まあね」

 迷うことなく答える辺り、ほんとに西崎の事は嫌いらしい。まあ、分からんでもない。


「そういえば。一之瀬って何で西崎さんにも親切に出来るわけ?」

「え?」

 ほっとしていたら、赤坂にそんな指摘を受ける。


「西崎さんが風晴君の事で悩んでて、それで代わりに一之瀬が悩み聞いてあげてたって――そんな話を聞いたんだけど」

「何でそれを?」

 俺は思わず聞き返した。西崎とのやり取りをこいつが知っているなんて意外だと思ったのだ。

 赤坂は頬に垂れ込んだ髪をどけると、膝を伸ばして座り直す。


「竹浪さんとそういう話してたって、江崎さんが教えてくれたの」

 赤坂の口から出てきたのは球技大会で一緒に野球をした女子の名前だった。

 江崎さんも竹浪さんも、クラス内ではそれぞれ別個のグループに属している。

 それなのに、赤坂まで話が回って来るとは。

 本当に女子の連絡網はすごいな。二度とこういう話を無闇に女子に打ち明ける物かと心に決める。


「それに……私も見たし。球技大会の時、竹浪さんと一緒に風晴君と西崎さんの様子見に行ってたじゃない?」

「西崎がテニスで怪我した時だな。見てたのか」

 意外と赤坂もちゃんと見ている事に驚く。クラス内の人間関係の把握に無頓着だと思っていたのに。


「つーか、あれだけ西崎さんに言われてよく助けようなんて思うね。あの人に絡まれてる時の一之瀬って、本当に嫌そうな顔してるよ?」

「竹浪さんにも似たような事言われたよ」

「じゃ、ほっとけばいいじゃない」

 割と投げやりな言い方。赤坂からすれば西崎は不倶戴天の敵みたいな存在なので、そうなるのも仕方ないか。

 でも、完全に関わりのない赤坂と違って、俺は諌矢繋がりで西崎に絡まれる事が多々あるのだ。決して無視できるような存在ではない。

 というか、諌矢と話してるとあいつも入って無視できないような状況に陥る。本当どうにかして……


「ほら。今も結構頭の中で色々考えてるでしょ?」

 赤坂は俺を覗き込むようにして笑っていた。

 透き通る赤褐色の瞳の中で驚いた顔の俺がいる。


「ち、ちげーし。俺は別に」

「一之瀬って態度顔に出過ぎなんだよ。それならもう少し上手くやりなよ」

「俺は……西崎がもう少しおとなしくなれば、教室の空気が良くなるかもって思っただけだし」

 弁明するけど、赤坂は面白いものを見たような顔のままだ。


「それに……赤坂も、大変そうだったから」

「えっ」

 言った瞬間、赤坂の表情が固まった。

 自然と小さな口が開かれていく。


「西崎達と真っ向から対立してる風だったろ? それでクラス内もギスギスしてたし……だから、何とかしたかったんだよ、俺は」

「そ、そうなんだ」

 驚いたように目を大きくさせて押し黙る赤坂。

 何故か、そこから先のツッコミ煽りや皮肉、それら一切の俺をディスる言葉が来なくなった。


「……」

 カアカアと背後の鉄の扉越しにくぐもったカラスの鳴き声が聞こえる。

 何だこの間。気まずいじゃないか。


「あ、あと竹浪さんにも頼まれたし!」

 破れかぶれに付け加える。実際間違ってないし本当の話だ、何の問題も無い。


「だから……?」

 赤坂は訝しがるように俺の言葉の続きを待っている。俺を上目で見つめるじっとりとした眼差しは、いつになくミステリアスで何を考えているのか分からなくなる。

 傍らには資材の段ボールの山。おまけに埃臭い。そんな場所のせいか、取調室で誘導尋問されてるような錯覚に陥る。


「だから、工藤と一緒に竹浪さんも来るなら行ってもいいかなと思ったんだ」

 俺は赤坂から視線を外しながら、必死に言葉を繋ごうとする。


「一之瀬。言ってる事支離滅裂だよ?」

「わ、分かってる。俺ももう何言ってるかわかんねえ」

「あはは」

 馬鹿にしたように頬を緩ませる赤坂。すっかり向こうのペースだ。


「じゃあ、赤坂は何で俺の頼みを聞いてくれたんだよ。お前だってお人好しだろ」

「え……私は」

 赤坂は小さく息を漏らしながら、俯く。その先にあるのは所々モルタルが剥き出しになった床のタイル。


「それは一之瀬、あんたに借りがあるからよ」

「借り……?」

 小さく息を吐き、俺を見て赤坂は頷いた。


「あの日、あんたはこの扉と一緒に私の悩みもぶち破ってくれたんだ。お礼を言うのは私の方だよ」

 赤坂は柄にもなく俺をまっすぐ見て言うと、これみよがしに背後の扉を小突いてみせる。


「多分、今までの私なら普通に一之瀬に頼まれても断ってるよ? こんな風に変われたのはまあ……何。あんたのお陰っていうのもあると思うんだよね。悔しいけど」

 最後に一言付け加えて薄く唇を噛む。照れくさそうな彼女の顔を見ていたら、この数か月の記憶がよぎった。

 俺と同じようにクラスでは目立たない存在だった赤坂。でも、かつては誰よりも目立つ存在で、クラスの人気者になるようなポテンシャルも秘めていた赤坂。

 クラス内で一人浮くような事もあったけど、今では桜川さん達を始め、順当にクラス内での交友関係を拡げつつある。

 俺はそんな赤坂に感謝の言葉を言われているのか。

 正直、俺に赤坂を助けたという自覚は無い。そうしないと自分がモヤモヤするから行動をしただけで、大層な事はしていないと思っている。

 けど、今俺を真っすぐに見て言ってくれた赤坂に思った言葉をそのまま返すのは何となく駄目だと思った。


「今のクラスは前よりも楽しいか?」

 だから、本音も建て前も言わず――何気ない、本当に何気ない一言を呟いた。

 赤坂がこんな風に俺と話してくれて、クラスの皆とも打ち解けていくのを見せてくれて、そういう教室が今は凄く過ごしやすかったから。


「まあね」

 そして、それは赤坂も同じようだった。彼女はとてもキラキラした瞳を向けて言う。


「それを聞けて良かったよ。俺も力になれて」

「……っ」

 今のクラスでの立ち位置は、赤坂にとっては好ましい物みたいだ。

 安心して呟いた先、赤坂は口をぎゅっと噤んで俺を見ていた。

 キラキラした夕陽を湛えたその瞳に吸い込まれそうになる。


「だからさ」

 その矢先、


「私はあんたの頼みなら聞いてやろうかなって思ったの。そんな風に余裕あるとこ見せつけないとカッコ悪いっていうか」 

 赤坂は立ち上がり、階段に足を掛けた。

 そして、言いそびれた言葉を思い出したように振り返る。


「――何だか、ちっちゃい人間みたいじゃない?」

 そう言って颯爽と階段を降りて行く。

 上履きが軽やかに階段を叩く音が小さくなっていく中で、ふと俺は胸が熱くなっていることに気づいていた。


「いい事言うじゃんか……でもな」

 一方で今さっきの出来事も思い返していた。

 苦手教科をピンポイントで絞り、あまつさえ試験の点数を張り合ってきた癖に。 

 あらゆる面で俺に張り合おうとしてくる。それが赤坂環季という女子生徒だ。


「よく言うよ」

 呟きながらも、俺は口元が緩むのを隠せない。

 暫くの間、窓から見える夕焼け空を眺め続けた。



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