追憶
これは、ごくありふれた、とある平穏な村に暮らす1人のやんちゃな少年の身に、突如として降りかかった災厄の話である。
15年前───────
近江国、蓬莱山麓・琵琶湖付近ノ村、
初夏の水気を含んだ風が吹き抜け、強い陽の光が木漏れ日となって差し込んでくる森の中。
大人が1人通れそうなくらいの幅の狭い路を2人の少年が駆けていた。
前を走るわんぱくそうな少年は、怖いもの知らずといった様子で目を輝かせながら、元気良く走り抜けていく。
一方、そんな彼の後ろをついて行く少年は、何か気がかりなことでもあるのか、時折自分たちが通ってきた道を振り返っていた。
「おい衛実、そろそろ本当にマズイんじゃないか?」
やがて耐えきれなくなった後ろの少年が、前を駆ける少年に不安そうに話しかける。彼の逃げ腰気味な態度から察するに、どうやらこの2人組は、何かろくでもないことをしでかしている最中らしい。
だが、そんな彼の声も、前をゆく『衛実』と呼ばれた少年の心には届かなかったようだ。
「大丈夫だよ源太! それに、もうすぐそこなんだから、つべこべ言ってねえでついて来いって!」
「そんなこと言ったって、もしこのことが村長にバレたら、きっとただじゃ済まないぞ?
お説教どころの話じゃない、手鎖付き正座の罰が半日、その後は倍の修練が課せられるって!」
「そりゃ"バレたらの話"、だろ? 要はバレなきゃ良いだけ。さっと行って、さっと戻る。そうすりゃ、もうこっちのモンだ!」
衛実少年は、どうやら筋金入りの"ガキ大将"のようだ。せっかく良識ある親友が諌めてくれているのに、この少年ときたら一向に聞き入れようとしない。
「そんなこと言って、今まで何度バレてきたんだよ! 村長も言ってたぞ? "次何かしでかしたら、縛り上げてやる"って!」
度重なる源太の訴えに、『もううんざり!』とでも言うような顔をした衛実は、一旦脚を止めて振り返り、荒く息を吐き出した。
「だ・か・ら! お前はいつまで父さんの話をすんだよ! あのちゃらんぽらんの言うことなんか、いちいち真に受けてんじゃねえ!」
「今回ばかりは、そうもいかないだろうが! なんでわざわざ"立ち入り禁止"の所に行こうとするんだ! 立て札も足蹴にして!」
「だったらお前、来なきゃ良かっただけの話じゃねえか。もうここまで来たんだ。いい加減腹決めろって!」
「そうまでして手に入れたいもんっていうのが、本当にこの先にあるのかよ?」
懐疑心丸出しで問いかける源太に対し、衛実は確かな証拠でも掴んでいるかのような顔で力強く頷く。
「ああそうだ! 椛姉が言ってたんだ、この先にある滝の裏側に、"幻の花"が咲く洞穴があるって! ……ほら、水の音が聞こえてきたろ? さあ行こうぜ、源太!」
そう言うと、不思議と力がみなぎってきたのか、衛実は先程よりもさらに速力を上げて駆けて行った。
あっという間に遠ざかっていくその背中を、1人取り残された源太は『ちょ、待ってくれよ、衛実ッ〜!』と情けない声をあげながら追いかけて行った。
やがて2人は、目的の場所に辿り着いた。
ザアアアアッ!
崖の上から、勢い良く水が下へと流れ落ちてゆく。
大きさとしては、"そこそこ"といった程度ではあった。それでも、2人の少年達に対しては充分な圧力を与えていたらしい。
衛実と源太は、眼前の滝の力強さに圧倒されて、2人揃って間の抜けた顔をしながらただ茫然と立ち尽くしていた。
「………………うっわ、すっげぇ……」
「…………なあ衛実、本当にもう引き返さないか? 危なすぎるって、こんなん」
源太の弱気な発言が気に障ったのか、衛実はムッとした表情を彼に向ける。
「はあ? 何言ってんだよ源太、ここまで来てそりゃねえぜ。怖気づいてんのか?」
「当たり前だろ! 見ろよあの滝の勢い! あんなの、どう見たって俺たちに掻い潜れるわけないじゃんか!」
「大丈夫だって! 俺たちももうガキじゃねんだ。あれぐらい、どうってことねえ! 日頃の鍛錬の成果を出す時だぜ!」
根拠の無い自信を振りかざし、何の恐れも抱かずに挑みかかろうとする目を滝へと向けている衛実。それを見て源太は『もはやこの男には、何を言っても無駄だ』と悟った。
「正気かよ……。だいたい、あの滝を抜けれたとして、その先にお前の言う"幻の花"があるかなんて本当かどうかも分からないのに………、って、もういねえし!?」
源太が滝から自身の横に視線を移した時には、そこにいたはずの親友の姿は既になく、代わりに滝のすぐ近くの方から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい源太! こっちから行けそうだぜ! お前も来いよ!」
大きく手を振りながら、満面の笑みでこちらを視ている。やはりあの少年は、本当にどうしようもない能天気、あるいはどうしようないアホなのかもしれない。
源太は衛実の強引さに根負けし、大きくため息をついてから、心持ちズルズルと足を引きずるように滝の傍へと向かって行った。
衛実が示した滝と岩壁のほんの僅かな隙間を何とか潜り抜けた2人は、滝の裏に形成された洞窟へと脚を踏み入れていった。
この洞窟は、大人が屈んで通れるくらいの高さ、4人が両腕を広げてちょうどくらいの幅という、横に細長い形をしていた。それだけでなく、外の滝とは別に流れの速い川があり、かなり湿り気のある環境となっていた。
「思ったより湿っぽいな……。源太、足滑らせねえよう気をつけろよ」
流石の衛実も、この状況では慎重に行動するようだ。川の縁の狭い陸地を岩壁に沿いながら一歩一歩ゆっくりと進み、後に続く源太に注意を促す。
一方、源太はというと、洞窟に入ってからずっと仏頂面で、今の衛実の注意に対しても、少し苛立っているような声音で応えていた。
「……うるせえ! んな事言われなくても分かっとるわ。良いから黙って前進めって」
「んなカリカリすんなよ。そんなんで川ん中に落ちちまったら大事だぞ?」
「だから、それも分かっとるわ! というか、なんでこんな危ない場所だってのが分かってんのに、お前は無鉄砲に突き進むんだよ。そんなにその花を見つけるのが大事なのか?」
「ったり前だ。だからわざわざここまで来たんだ。お前の言う事も分かるけどよ、それでも俺は……っと、お……? ここは……」
己の裡にある想いを呟きかけた衛実は、進む先に何かを見つけ出したようで、それに気を取られたのか、途端に口を閉じてしまった。
『……衛実? どうかしたのか?』と不審がりつつ、後からやって来た源太も思わず立ち止まって『おぉ……』と声をあげる。
彼らの前には、先程までの狭い通路とは打って変わって、天井の高い大広間のようなぽっかりとした空間が拡がっていた。
「まさかあの狭い場所を抜けた先に、こんな空間があったなんて……、一体こん中は、どんな造りになってるんだ?」
「んなことよりあれ見ろって源太! ほら、あそこ!」
内部の造りに関心する源太に、衛実が興奮した様子で話しかけながら、少し離れた所を指さしている。
その先を辿ると、どこか穴でも空いているのか、光が上から差し込んで来ている場所があった。どうやらそこが水源らしく、勢い良く水が流れ出ている。さらによく見ると、僅かばかりではあるけれど、それでも光に向かってめいいっぱい背を伸ばす紫色の花が咲いていた。
それは、まるでおとぎ話の存在が現実に舞い降りて来たかのような、神秘的な光景であった。
「……花、だ。嘘だろ、本当にあったのかよ。信じらんねえ……」
源太が呆気にとられて、ぽつりと感想を漏らしている一方で、衛実は『それ見たことか!』と何だか得意気であった。
「ほらな! だから言ったろ? それじゃ、さっさと採りに行こうぜ!」
「おい! いくら広いからって、湿っぽいことには変わりないんだからな! お前こそ、足滑らせんなよ!」
「わーってるって! 良いから早く、こっち来い!」
つい逸りそうになる気持ちを抑えて、注意を促す源太だったが、嬉々として目的の物を採りにいこうとする衛実の足を止めるには至らなかった。
彼のとどまる所を知らないヤンチャ坊主ぶりに、呆れを通り越した何とも言えぬ表情を浮かべて、本日もう何度目かのため息をつく。
「……やれやれ、相変わらずだな」
そんな事をボヤいて、源太は衛実の元へと向かった。
「ぐぬぬ…………、あと、少しッ……!」
「衛実まだか!? もう……、腕が限界だ!」
目的の物は少しばかり採りにくい場所にあったようで、2人は協力して採取活動にあたっていた。
衛実も源太も顔を真っ赤にして、懸命に踏ん張っている。
「もーちょいだ! 頼む源太、あと少しだけ耐えてくれ!」
友を励ましながら限界まで腕を伸ばす。『これ以上は……!』そう思いかけた衛実の手に、花びらのひらりとした感触が伝わって来た。
「………ッ! よっしゃ! 届いた! 届いたぜ、源太!」
「本当か!? ……ふぅ〜、良かっ、」
ズルッ!
一瞬の気の緩み、それが源太に致命的な痛手を受けさせた。『あ!?』と悲鳴をあげて身体を宙へと投げ出してゆく。
「源太ッ!?」
源太の身が川の中に吸い込まれる寸前、衛実の咄嗟に出した左腕が彼の襟首を掴んだ。
「うぐっ!?」
「堪えろ! 俺が引き上げる!」
しかし、咄嗟に手を伸ばした事で体勢が不安定になったのは衛実も同じだった。となれば、この後、彼の身に何が起こるのか察しの良い者達は分かるだろう。
ツルッ。
「…………え?」
残念ながら衛実は、今自分に何が起こったのか、すぐには察知する事が出来なかった。
彼の目に映る様々な物が、やけにゆっくりと動く。
「「うああああああああああああッ!!」」
2人の小さな冒険家達は、終ぞその望みを叶えることなく、真っ逆さまに川の中へと落ちてゆき、その流れに呑み込まれて行った。