三番目《さいご》の質問
『ただの米の塊を、なぜそこまで神経質そうな目で見ているのか』
衛実は、自身が手渡した食べ物を受け取ったきり、ピクリともせずにそれを凝視している朱音の不自然さに首を傾げる。
(……そういうこと、か)
そう難しいことでもない。
彼が手渡した食べ物は握り飯、"おにぎり"である。先程から緊迫した表情で米の塊を見ているこの少女は、彼の何気ない一言に反応してしまったのだった。『これは"鬼斬り"。つまりそれは、自分達"鬼"を害するような食べ物なのではないか』、と。
(ったく、そんなもんでお前らみてえな奴を殺せるわけねえだろ)
あるいは毒などを含めれば可能かもしれないが、普通に考えて誰も自らが口にする食べ物に毒を盛ろうとはしないだろう。
とはいえ、握り飯とおにぎり。単なる言い回しの違いくらいで深読みしてしまうのは、いくらなんでも天然すぎる。
衛実は、目の前で必死に頭を動かしているであろう彼女の姿に呆れてしまい、思わず口元に苦笑いを浮かべた。
「別に死にやしねえよ。いいからさっさと、それでも食って腹満たせ」
「……のう衛実、本当にこれしかないのか? 他に何か食べられるものは?」
「生憎だな。俺は普段からこんなもんしか持ち歩かねえ。ただの米の塊なんだから、諦めて食え」
それでもやはり、朱音は中々その食べ物を口にしようとはしない。『腹は減ってはいるが、これは本当に食べても大丈夫なのだろうか?』そんな心の声が聞こえてくるかのようである。
だが、どうやら己の身体の欲求には勝てなかったようだ。
おにぎりを受け取ってからそこそこ長い時が経ち、やっと食べる決心がついた朱音が両目をぐっと閉じて、"それ"にかぶりつく。
「………………ッ! 美味い、美味いぞ!」
"それ"は、鬼の少女にとって、まるで未だかつて知りえなかった新たな境地にでも出会ったかのような感動をもたらした。
ギッチリと、隙間なく詰め込まれている米の粒がしっかりとした食べ応えをもたらし、その一粒一粒に練り込まれた塩が口の中全体へと染み渡って来る。
そのまま食べ進めてゆくと、今度は米とはまた別の食材が顔を覗かせた。
"鮎"である。細かく刻まれた切身が解けて、口の中を魚介の旨味でいっぱいに満たしていった───────
先程まで感じていた不吉な予感は欠片も残さず吹き飛び、気づけば朱音は、"それ"の虜になってしまっていた。
そんな彼女を見て、衛実は『やれやれ』と呆れた表情をみせる。
「さっきからそう言ってんだろうが。それともなんだ? お前はこんな食い物も知らねえのか」
彼の問いに、朱音はむしゃむしゃとおにぎりを頬張りながら答えた。
「わらわの所では、米は祝い事などでしか食べることが出来ぬ貴重な代物であったからな。このような食べ方があるとは今まで知りもしなかったのじゃ」
よほど気に入ったのだろう。それから息付く間もなく朱音はおにぎりを食べ続け、あっという間に平らげてしまった。
「まことに美味であった。馳走になった」
満足そうな表情を浮かべ、手の平くらいの大きさの布で口元を拭く朱音。その動作が終わる頃合いを見計らって、衛実は彼女に声をかける。
「それで少しは腹の足しになったか? ならもういい加減、ここを出るぞ。俺たちを追ってた奴らも、もういねえだろうしな」
そう言って部屋を出ていこうと脚を踏み出す衛実を朱音が呼び止めた。
「待つのじゃ、衛実」
「なんだ、まだ食べ足りねえのか? 悪いが、もう食い物の持ち合わせは無えからな」
首だけを動かして返事をした衛実に向けて、朱音は姿勢を正し直し、ゆっくりとよく言いきかせるかのように話を切り出した。
「そうではない。最後にもうひとつ、これで本当に最後じゃ。どうしてもぬしに聞かねばならぬことがある」
その途端、衛実の顔つきが一気に冷ややかものへと変わった。不愉快そうに朱音から目線を外し、静かな怒りの感情がこもった声で話し出す。
「……お前の耳には、一体何が聞こえてたんだ? さっきも言ったろ。お前に話すことは何も無え、ってな」
冷たく突き放して屋敷を出ていこうとする衛実。そんな彼に朱音はしがみついて、必死に言い募った。
「頼む! どうしてもじゃ! これだけは、何としてでも聞いておきたかった事なのじゃ」
「図々しいな……。そんなに大事なんだったら、なんでさっき聞かなかった?」
「聞き出せることがそこまで少なかったとは思わなかったのじゃ。わらわはもっと話をしてくれると、」
「なんにせよ、俺の知ったことじゃねえ。諦めろ」
ばっさり切り捨てられて黙り込む朱音。それをみて衛実は『ようやく大人しくなったか』と思い、彼女の腕を振り払おうとしたが、
「…………仮に、わらわがぬしに益のある話をすることができる可能性があったとしても、それでもぬしは断ると申すのか?」
思いもよらぬ話が彼の耳に舞い込んで来た。『もう会話は終わり』という気でいただけに、何の心構えもしていなかった衛実は、その衝撃に踏み出していた脚を止める。
「……どういうことだ?」
怪訝な表情を浮かべ、身体ごと向き直ってくる衛実に勝機を見出した朱音が、ここぞとばかりに言葉を重ねてゆく。
「ぬしにとって、わらわのような"鬼"は憎い存在であるはずじゃ。にもかかわらず付いて行くことを許したのは、今ぬしが、わらわに対して何かしらの腹案を抱いておるからではないのかと思うておる。違うか?」
懸命に話す鬼の少女の言葉に耳を傾けながら、衛実は相手を試すような目で、じっ、と見据える。
「…………仮にそうだったとして、それでお前にどんな益のある話ができるってんだ?」
「分からぬ。じゃがそれでも、わらわに出来ることがあれば何でもしてやりたいと思うておる。その為にも、ぬしの話をもっと聞いておきたいのじゃ。
もしかすれば、その中から何かぬしの力になれることが見つかるやもしれぬと、そう思うのじゃ」
朱音の言い分を聞き届けて、衛実は彼女から目線を切らないまま、心の裡で考え込む。
(さて、どうしたもんか……)
確かに、実際の"鬼"から話を聞ける機会というのは、そうそう得られるものではないだろう。現に先程、朱音が自らの邑について語った際は、『"鬼"も自分達"人"と同じような生活を送っている』という事実を知り、少なからず驚いた。
その上、これまでのやり取りの中で彼女が己に対して害をなそうとする素振りは一度たりとも見受けられなかった。ならばここは、彼女の話に望みを賭けてみるのも有りなのかもしれない。なんせ、15年の月日が過ぎても出逢えなかった"手がかり"が掴めるかもしれないのだから。
とはいえ、所詮は"鬼"である。この少女が、さらにはその家族が、村を焼き払った奴と全く関係が無いなんて保証は無い。彼女の話が本当であるという確証は、衛実には存在していないのだ。
そんなこんなで、色々と思案していた衛実だったが、やがて1つの決断を下す。
(……あれこれ考えても仕方ねえ。とりあえず聞くだけ聞く。そんで都合が悪けりゃ適当に答えりゃ良いだけの話だ)
「…………いいだろう。ならさっさと、その最後の質問とやらを話せ」
先程から黙りこくってしまった衛実が次に口にする言葉を今か今かと待ち焦がれていた朱音は、最終的に彼が下した決断に、ぱあ、と目を輝かせた。
「ありがとうなのじゃ! であれば早速、聞かせてもらうとしようぞ!」
意気揚々とした様子で話す朱音は、ビシッ、と元気良く衛実の左腰辺りを指さした。
「わらわがどうしても聞きたかったこと、それはぬしの左腰に掛かっておる《《小さき袋》》についてじゃ」
彼女が話の末尾に告げた言葉に、衛実は突然大量の冷水を顔にぶちまけられたかのような感覚を味わった。驚きを隠しきれず、こわばった顔で朱音に問いかける。
「…………いつから気づいていた?」
「いつ? それは無論、ぬしに出会ったばかりの時からじゃが……。何かおかしい所でもあるのか?」
(そりゃお前、普通に考えて、初めて会う奴の腰回りに目を向ける奴がいると思うかよ……)
唖然とした表情でそんなことを心の中で呟く衛実に構うことなく、朱音は話を続ける。
「それに、その程度の大きさであれば、先程ぬしがおにぎりを取り出した袋の中に収まるであろう。にもかかわらず、わざわざ腰紐に括り付けておるのは、何か意味があるのではないかと思ったのでな。
それで衛実、その小袋の中には一体何が入っておるのか、教えてもらえぬか?」
(……抜けている世間知らずのガキかと思ってたが、意外と目ざとい奴だな)
そんなことを考えながら衛実はしばらく黙ったままでいたが、やがて諦めたように息を吐き出して口を開いた。
「……まあいいか。どうせ後で聞くつもりだったしな」
そのような言葉を口にすると、衛実は慣れた手つきで腰紐に巻き付けていた糸を解いて小さな袋を手に取り、その口紐を緩めて中を漁り出した。
やがてすぐに袋の中から何かの物体を取り出し、それを朱音に向けてヒョイ、っと投げて寄越す。
「っ! っとと、」
無造作に投げ渡された"それ"を落としてしまわないよう、朱音は慌てて両手を差し伸べ、何とか受け止めた。
『ふぅ、』と胸を撫で下ろした朱音は、ゆっくりと両手を開き、その中に収まっている物の正体を確かめる。
その手の中には、黒く塗られた蛇柄の、何かの衝撃で歪に曲がった硬い金属の板が収まっていた。
「衛実、これは一体……」
不可解そうな表情を浮かべて見上げてくる朱音に対し、衛実はただ淡々と事実を告げるように説明する。
「そいつは、今の俺に遺された、たった一つの手がかりだ。俺の村を焼いた"鬼"を探し出すためのな」
衛実に"手がかり"と呼ばれたその黒色の物体は、彼の説明に耳を傾ける朱音の手のひらの上で、折りよく差し込んできた外からの光を妖しく照らし返していた。
今日、日曜日は大河ドラマ「麒麟が来る」の放送日でしたね。戦国時代LOVEな僕はいつも食い入るように見てますが、皆さんはどうですか? この物語の時代背景は戦国時代の少し前ですが、興味を持った方は是非とも今回の大河ドラマを観てみて下さいね。因みに好きなゲームも戦国時代をモチーフにしたやつです。(誰も聞いてないですねそんなこと。)