自己紹介
「うむ。では手始めに、先に問いかけたものから聞いてゆくとしようぞ!」
ようやくまともに話ができるようになり、『さてさて、どんな事を聞き出してやろうか』と上機嫌な朱音。
対して、なぜか正座をさせられている衛実は、今自分が置かれている状況に心底納得がいかないとでも言うような顔をしていた。
「……これはなんだ? お前は尋問でも始める気か?」
「そんな訳がなかろう。じゃが、わらわが話しかけた時に素直に応えておれば、こうも改まって話す必要はなかったのじゃぞ?」
もはや何を言っても聞き入れるつもりが無さそうな彼女を前にして、何もかもを諦めた衛実は、はあ、とため息ついた。
「もういい……、それで? "聞きたいこと"ってのは、何なんだ?」
「まずは、ぬしの生い立ちについてじゃ。衛実、ぬしはどこで生まれ育ったのじゃ?」
彼女の質問は、初対面同士の自己紹介時においてではよくあるものの1つに過ぎない。
『どこから来たのですか?』から話を拡げていくのは、いつの時代も同じである。
しかし、それが通用しない時も存在する。それがまさに今この時であった。
"人"と"鬼"。ましてや今回、"人"の立場にあたる者は"鬼"に多くの物を奪われた過去を持っている。そんな彼が、今投げかけられた問いに対してどう答えるかなど推し量るまでもないだろう。
「……都ん近くだ。まあ、すぐに行ける距離じゃあねえけどな」
衛実は、期待のこもった眼差しで返事を待つ朱音からわざと視線を外しながら、大雑把な答えを口にした。
質問をした彼女に問題があった訳ではない。ただ偶然にもその問いが、彼にとって"素直に答えたくない物"に含まれていただけのことなのである。
とはいえ、聴く側がそんな答えで『そうなのか』と納得して飲み込めるはずもない。
やはりとも言うべきか、答え終えた衛実が朱音の方に向き直った時、彼女はポカンとした顔で彼を見返していた。
「…………?」
「どうした? 何ぼさっとした顔してんだ?」
「……それだけなのか?」
「は?」
「い、いや、もう少し、何かあるはずじゃろう。國の名であれ何であれ、もっと仔細に話さぬか……。"都の近く"だけでは、広すぎて何も想像できぬではないか」
「別に細かく話すほど、大した場所でもねえからな。そう遠くない所だってことが分かるだけでも充分だろ」
「むう………。じゃ、じゃが、何かしら他とは違う所があるであろう? ほんの少しじゃ。ほんの少しで良いから……」
はぐらかすような答え方をする衛実に対し、朱音は『どうすれば彼からもっと話を引き出せるのか』と、考えを巡らせる。
(……そういえば、何故衛実は、わらわに対して距離を置くかのような接し方をするのであろう?)
思い返してみれば、彼はこれまで彼女に対して好意的な対応をしていない。彼女にかける言葉にも、どこか避けるような雰囲気がこもっているようでもあった。
(もしや衛実は、わらわがどのような者なのかが分からず、警戒しておるのではないか?)
そう考え至った朱音は、ここで1つの妙案を思いつく。
「衛実、」
「なんだ?」
「今からぬしに、わらわの故郷について話そうと思う。わらわがどこからか来たのか、どんな日々を送っておるのかを話すゆえ、それを聞いたら、ぬしも故郷について何か話してくれるか?」
(……急に黙り込んだと思ったら、一体どういう風の吹き回しだ?)
何の前触れもなく切り出された話題に心理的な駆け引きでもあるのかと思った衛実は、目の前の"鬼"の少女に、その心の裡にあるものを探るかのような視線を送る。
だが、どう見ても、ただ純粋に『相手のことを知りたい』一心でこちらを見つめる彼女の様子に、次第に彼は、今の己の行いが何だか馬鹿ばかしいものだと感じるようになっていった。
「…………話したいなら勝手に話せ」
念の為、『自分の故郷の話をするかしないか』の明言を避けた上で先を促す衛実。そんな彼の反応を『了解した』という風に受け取った朱音は、『それでは』とでも言うように1つ咳払いをしてから話し出した。
「わらわの故郷は、丹波の國にある、辺りを数多くの樹々に囲まれた邑じゃ。人里から離れた場所じゃが、家の数は四十を優に超えておるぞ。
今もそこで父上や母上を始め、邑の皆と共に山菜などを採ったり、近くの川へ行って水遊びなどをして日々を過ごしておる。
とりあえずはこんな具合じゃな。して、衛実はどうなのじゃ?」
(……ここで答えることを拒んだところで、どうせこいつはずっと聞いてくるんだろうな)
これまでの彼女とのやり取りを思い出してそのように考えた衛実は、やや不貞腐れ気味に口を開いた。
「………近くに幅の広い川が流れてる以外に何もない、どこにでもあるごく普通の村だ。
もうこれでいいだろ、次に移れ」
「そのようなことでは、大した補足にもならぬのじゃが……、まあ良いわ。次は、そうじゃな……」
不服そうな顔をしつつも、次の質問を考え込む朱音は、それからしばらくして何かを思いついたようで、ポンッと手を叩いて衛実に顔を向けた。
「そうじゃ!
衛実、先の闘いでは見事な槍捌きであったな! ぬしが先頭にいた男を打ち倒した時、その疾さに周りの者達は皆、呆気にとられた顔をしておったぞ」
そう言いながら朱音は、さながら武士に憧れる子どものように目を輝かせて、当時の衛実の物真似をする。
音すらも置き去りにしたかのような一閃を繰り出した衛実。そんな彼の姿は、武術に関して全くの素人の朱音にも『只者ではない』と感じさせるに充分過ぎるほどであった。
「あの見事な戦いぶり、やはりぬしは、以前どこかに身を置いておったのか?」
「んなの当たり前だろ。じゃなきゃ今頃、こんな生き方出来る訳がねえ。それに、だ」
衛実は傍らにあった薙刀を手に取って朱音にもよく分かるように見せつける。
「こいつは槍なんかじゃねえ、薙刀だ。あれは"突く"もんで、"斬る"ことに重きを置いたこれとは違う」
衛実は朱音が口にした武器と自身の武器の違いをざっくりと話す。とはいえ、扱い方も知らない素人が簡単に説明された所でピンとくるはずもない。
朱音は彼の話に合点がいかず首を傾げていたが、『ここで衛実との会話を途切れさせてはならぬ』と思い、とりあえずといった様子で口を動かした。
「それはすまぬ。何せわらわは、ぬしら人の子が扱う武器のことをよく知らぬのでな。
しかし衛実、それにしてはぬしの薙刀という武器、少し変わっておらぬか?」
確かに、衛実のそれを"薙刀"と簡単に表現するには、中々難しい所である。というのも、刃が柄の両端に取り付けられ、それらの根本が弧を描くように繋がっているのだから。
さらによく見ると、片方の刃は"一般的な薙刀の刃"だと言える形であるのに対し、もう一方の刃は先が細く尖っていて、"槍の穂先"だとも言えるような形をしていた。
「さすがのわらわも、その形はあまり目にしないと思うのじゃが……」
そう朱音に指摘されて、はたからでは少し風変わりに映る薙刀に視線を向ける衛実。
「……父さんから、譲り受けたもんだからな、こいつは。俺も、なんでこんな形になったかまでは知らねえよ」
そう答える衛実の薙刀を握る手に力がこもる。それを目に留めた朱音は、思わぬ所で家族の話をさせたことに『しまった』と思い、顔を俯けた。
「そうであったのか……。すまぬ、ぬしにまた不快な思いを……」
「別に他意が無かったことぐらい、俺でも分かる。勘違いすんな」
衛実なりに気を遣ったつもりなのかもしれない。けれど、それで朱音の顔が晴れやかになることはなかった。
また、彼もその後に彼女に対して何か言葉をかけるようなことはしなかったため、それからしばらく両者の間に沈黙が流れた。
やがて潮時と感じたのか、衛実は心の中で『さてと、』と呟くと、手際よく荷物をまとめて立ち上がった。
「どうしたのじゃ? やはりわらわの問いが気に障ったのか?」
狼狽えた表情を浮かべて問いかけてくる朱音を見て『後で変な気遣いとかかけられたくない』と思った衛実は、首を振って彼女の言葉を否定した。
「違う。今ので借りは返しただろ。だから、もうここを出る。お前も、いつまでも座ってないで早く準備しろ」
「ま、待ってくれ。まだ、わらわは聞きたいことが、」
「これ以上、お前に話すことは何もねえ。もう行くぞ」
強制的に会話を切り上げて、部屋を出ようと衛実が脚を踏み出した矢先、
"グゥううう〜"
誰かの腹のなる音が部屋中に響いた。
『自分のものでは無い』と分かっていた衛実は、その音がどこから発せられたものなのか瞬時に悟った。三白眼になりながら、顔を音がした方へと向ける。果たして……、
そこには、頬を紅く染めて己の腹を抑え込む朱音の姿があった。
「…………………お前、腹減ってんのか?」
衛実の問いかけに、朱音は応えない。その代わり、先程は頬までに留まっていた朱色が顔全体へと広がっていた。
口には出さぬが、分かりきった"答え"を前にして衛実は、『やれやれ』とでも言うかのように息を吐き出し、自身が持ち歩いている袋の中を漁り出した。
「ほら、これでも食っとけ。少しは腹の足しになんだろ」
そう言って衛実は、袋から引き出した手を朱音に差し出す。その上には、握り拳ぐらいの大きさの米粒の塊が載せられていた。
「これは……、一体なんなのじゃ?」
未だ顔を赤らめながら、差し出された"それ"を受け取る朱音は、その正体を衛実に問いかける。
「握り飯だ。"おにぎり"なんて言われてもいるけどな」
「おに、ぎり…………」
衛実の口から出た言葉に不吉な響きを感じ取った朱音。思わず躊躇し、不安げな顔で見上げた彼女の視線の先では、心なしか悪魔のような笑みを浮かべる傭兵の姿があった。
「食っても死にやしねえよ。いいからさっさと、それでも食って腹満たせ」
悪魔が口を開く。まるで彼女に運命を突きつけるかのように、残酷に。
「……のう衛実、本当にこれしかないのか?他に何か食べることが出来るものは?」
「生憎だな。俺は普段からこんなもんしか持ち歩かねえ。ただの米の塊なんだから、諦めて食え」
望みは断たれた。是非もなし。もはやこの現実を受け入れるより他に道は無いのだ。
(南無ッ…………!)
鬼の少女は、意を決して、己の手の上に載る塊にかぶりついた。