変化の力
─京・とある廃屋敷─
かつては、どこぞの公家が住まう館であったのだろう。焼け崩れた塀に囲まれた敷地の中には、いくつかの建物が遺されている。
だが、長きに渡る戦乱によって主を失ったそれらは、全く手入れがなされず、いつ崩れ落ちてもおかしくない朽ち果てた姿へと変貌を遂げていた。
「……クソ、厄介なことになったな」
その中にある1つの建物の中で、周囲の状況に気を配りながら、衛実は吐き捨てるようにそう呟いた。
「どうだ! そっちにはいたか?」
「ハズレだ! どこにもいやしねえ!」
「畜生、ヤツらどこいきやがった」
外では、ガラの悪い男共の発する声が飛び交っている。恐らく、先に討ち倒した野盗の仲間達であろう。先程から周囲の建物の中をくまなく探し回っているようだ。
地面が固く、足跡が残りにくい道であったことが幸いし、今はまだ2人の居所が掴まれていない。だが、声が徐々に近づいていることから、見つけ出されるのも時間の問題であることは疑いようもなかった。
(にしても、向こうの数が分からねえ以上、無闇に突っ込むのは危険だしな……)
発せられる声の数からおおよその人数を予想してはいるものの、もし見誤っていたとしたら、窮地に立たされてしまう。さらに今回は、まともに戦う能力も無い異形の少女もいるものだから、なおのこと簡単には動き出せなかった。
(…………とりあえず、ここにある物で、奴らを迎え討つ態勢だけでも整えておくか)
そう思い至った衛実は、野盗達に気取られないよう注意しながら、建物内の廃材を集め出した。
その様子を見て、彼の意図を読み取れなかった朱音が問いかける。
「衛実、そんな板切れなんぞを集めだしおって、一体をしようというのじゃ?」
彼女自身に何か問題があった訳では無い。
ただ、衛実にとって彼女のその問いかけは、状況を理解出来ていない無神経なものに聞こえ、正直『邪魔だ』とさえ感じてしまいそうになるほどであった。
「見りゃ分かんだろ。ここに立てこもる準備だ。お前はそこで黙ってじっとでもしてろ」
疎ましげな表情を浮かべ、冷たく突き放すような口調の衛実にカチンと来た朱音は、『売り言葉に買い言葉』といった調子で負けじと言い返す。
「なんじゃと? 衛実、あまり見くびるでない。そのくらい、わらわにでも出来る。見ておれよ、まずは……」
「なっ!? おい、馬鹿やめろ! 勝手に、」
朱音の勝手な行動に驚き焦った衛実は、すぐさま動きを止めさせようと腕を伸ばしかけ、
バキィッ!
直後、朱音が支えの部分に当たる廃材を抜き取ったことで柱が折れ、付近の壁がド派手な音を辺りに響かせて崩れていった。
「なんだ?」
「こっちの方からでけぇ音がしたぞ!」
「そこだな! ったくよ、面倒かけさせやがって」
音に反応し、衛実らが立てこもる廃屋敷へと近づいてくる野盗達。
「クソッ……! 完全にバレた。おい朱音! さっさと奥に逃げて、物陰に潜んどけ!」
「ま、待て! それではぬしは、一体どうするつもりなのじゃ」
「ここで迎え討つに決まってんだろ。時間が無い、早く行け!」
敷地内へと踏み入ってくる野盗達。ざっと見た限りでも、先の戦闘より人数が多いことは明らかであった。
(思ったより数が多い。まずいな…… )
「衛実、わらわに考えがある!」
「まだ居たのか!? 何やって、」
野盗達の動きを逃さまいと意識を集中していた衛実は、この期に及んで、まだ事の重大さを理解していない朱音へ険しい表情を向ける。
その目は『いい加減、余計なことをせず、おとなしく言うことを聞け』と言っているようでもあった。
「いいから聞くのじゃ! わらわには、『変化の力』がある。それであの者共の目を欺こうぞ!」
「くだらねえこと言ってる暇なんかねえっての。いいからさっさと、」
「ならば、ぬしは今、この状況を乗り切れるだけの自信があると申すのか!?」
(一体誰のせいだと……!)
そんな会話をしている間にも、野盗達は自分達の方へと迫って来ている。
不十分な迎撃準備、さらに先程よりも大きな人数差。簡単には切り抜けられない状況の中で『手詰まり』と悟った衛実は、荒々しく息を吐き出し、舌打ちをする。
そして、『どうせダメなら、一か八かに賭けてみるか』と、朱音の持つ『力』とやらに託してみることを心に決めた。
「ならやってみろ。ただ、ここは広すぎる。もう少し手狭な部屋ん中に行くぞ」
そう言うと衛実は、朱音の手を引いて付近にある4畳ほどの部屋の中へと駆け込んでいった。
入って来た敵を不意討ちするため、襖のすぐ傍の壁に身を寄せた衛実は、己を挟んで襖と反対側にいる朱音に問いかけた。
「それで? どうやってその力を使うんだ?」
「待っておれ。今より取りかかる」
そう言うと朱音は、目を閉じ、両手を合わせて祈るような姿勢を取る。
「『我をとりまく八百万の霊達よ、我らに今一度の仮初の姿を与え給へ』」
すると、朱音が身につけていた両手首の腕輪に淡く光が灯り出し、次の瞬間、そこから何か波動のようなものが発せられた気がしたのを衛実は感じた。
「これで『変化の力』は顕現したはずじゃ。今わらわ達は、この部屋の気配と全く同じものとなっておる」
「俺には、お前の姿がハッキリと見えているんだが?」
「力がかけられている者同士は、互いの存在が分かるが、他の者には分からぬようなっておる。安心するのじゃ」
実感が湧かず、『んなこと言われてもな』と半信半疑でいる衛実。とそこへ、荒々しい足音を立てて、何者かが近くにやって来た。
「残るはここだけだ。さあ、諦めてさっさと身を晒しやがれ!」
2人の間に緊張が走る。衛実はすぐに突き殺せるよう、薙刀を油断なく構えながら、その時が訪れるのを待っていた。
(…………来た!)
自分達がいる部屋の中に、むさ苦しさを撒き散らしながらガラの悪い男が入ってくる。気づかれてもすぐに黙らせるよう、衛実は攻撃をしかけようとするが、
「チッ。なんだ、ここも外れか。ったくどこにいやがる」
そう言って男は衛実達に気づくことなく立ち去って行った。
(本当にバレなかったのか? 目は合ったはず)
予想外の展開に拍子抜けする衛実。何かの間違いだろうと思い、そのまましばらく様子を窺っていたものの、結局、野盗が再び戻って来ることは無かった。
「ここもスカだ! この屋敷には誰もいやがらねえ!」
「チッ、ただボロい建物が崩れただけか。期待させやがって」
そんな声と共に野盗達の足音が衛実達の潜む建物から遠ざかってゆく。
ようやく自分達の身の安全を確かめた衛実は、窮地を脱したことへの安堵から大きく息を吐き出した。
「何とかなったか……」
「見たか衛実! わらわが言った通りになったであろう?」
そんな彼に話しかけてくる朱音。上手く躱してのけたことの喜びや安心からか、その声は少し興奮気味で、思いのほか大きかったため、衛実は慌てて彼女の口を塞いだ。
「馬鹿、声がデカい。奴らに聞こえたらどうすんだ。少し落ち着け」
咄嗟に口を塞がれて驚いた朱音だったが、それによって我に返り、深呼吸をした後に、もう一度衛実に話しかけた。
「すまぬ。ちと気が昂っておった。じゃが衛実、此度こそは、ぬしの役に立ったと言えるであろう?」
すぐには首を縦に振らず、ムスッとした顔で朱音の方を見ていた衛実は、彼女の助力を認めないわけにもいかず、渋々といった様子で言葉を返した。
「……ああ、そうだな」
「よし、ならば此度こそ、わらわの頼み事を叶えてもらおうぞ!」
「頼み事……? 何の話だ」
「申したであろう。"わらわからの問いかけに応える"と。
わらわはぬしの事が知りたい。ぬしがどのような者であるのかを知って、ぬしの思いに応え続けていきたいのじゃ」
"鬼の少女"は信じている。彼の思いに応え続ければ、いずれ彼の方から心を開いてくれる日が来ることを。そして、その時こそ、この旅が色鮮やかなものとなってゆくはずだということを。
そんな思いを抱く彼女の曇りなき眼は、ただまっすぐ衛実だけを見続けていた。
「それに、ぬしは認めぬようじゃが、先の分も含めて、わらわは2度も手助けをした。それを返すぐらいの義理はあるであろう?」
しかし、依然として易々と受け入れようとしない様子の衛実。
「……仮に断ったら、お前はどうするつもりだ?」
衛実の問いに、良からぬ事を思いついた子どものようにニンマリとした笑みを浮かべて朱音は答える。
「決まっておる。今ここで大声をあげ、あの者共にわらわ達の所在を教えてやるのじゃ」
予期していた通りの返答に、衛実は頭に左手をあてがって、首を左右に振りながら盛大に息を吐き出した。
「………………分かった。受けた借りの分、可能な範囲で答えてやる」
『これ以上、無視を貫くことは出来ない』そう悟った衛実は、観念したというような表情を浮かべて、彼女に向き合った。