京の街
─ 京・朱雀大路 ─
つい最近、といっても今より2・3年程前までではあるが、その時まで繰り広げられていた戦・応仁ノ乱により、すっかり荒れ果ててしまった京の街を1人の傭兵と1匹の鬼の少女が歩いていた。
「のう衛実、ぬしはどこの出なのじゃ?」
「その武器の形は、普通の物とは一味違うようじゃが、何ぞこだわりでもあるのか?」
「好きな食べ物や動物などはおるのか?」
鬼の少女・朱音は、早い足取りで歩みを続ける衛実の後を何とかついて行きながら、その背中に次々と問いを投げかけている。
『人』と直に話すという機会は、きっと彼女にとって中々に新鮮な気分なのだろう。目の前にいる『衛実』という男について色々と知りたいようだ。
が、そんな興味津々《きょうみしんしん》に話しかける朱音に対して、衛実は一切口を開かず、ただ真っ直ぐ正面を向きながら歩み続けていた。
そんな素っ気ない態度を取られてしまっては、いくら"鬼"と言えども、さすがに気に障ってしまう。
朱音は、先程から全く反応しない衛実の様子にムッ、とした表情を作ると、駆け足気味に進行方向を邪魔するように回り込み、彼に正面から向き合って問い詰め始めた。
「衛実、何故わらわの話を無視するのじゃ? もしやぬしは耳でも遠いのか?」
そのまま歩いては朱音にぶつかってしまう恐れがあったため、衛実は一旦立ち止まり、少し迷惑そうな顔をしながら彼女を見下ろして口を開いた。
「うるせえな。聞こえてるっつうの。さっきからずっと喋ってばっかで……、舌噛むぞ」
まるで相手にしないような衛実の口ぶりにカチンときた朱音は、眉根を寄せて、頬を膨らませながら己より背の高い彼を見返す。
「ならば、少しはわらわの問いに答えたり、脚を緩めてくれても良いのではないか。何故そこまで早足で進むのじゃ?」
彼女の言葉は、衛実にとって少し意外だったらしい。軽く眉を跳ね上げて、一瞬だけ意表を突かれたような顔をすると、すぐにまた元の表情に戻しながら答えた。
「早足? 別に俺は、これがいつも通りなんだが?」
「む、むう……、そうであったか。じゃがせめて、もう少しだけ緩めてはくれぬか? わらわは、ぬしほど早くは歩けぬのじゃ」
そう控えめ気味に頼み込む朱音は、己の脚が傭兵のそれよりも短いことに、いくらかの引け目を感じているのか顔を俯けている。
その姿が、鬼とは言え、さすがに気の毒だと感じたのだろう。衛実は、彼女のささやかな要望に1つ間を取ってから、『やれやれ』という具合にため息をついて応えた。
「……仕方ねえな。合わせてやるから、そこをどいてくれ。前に進めねえ」
『これにて問題は解決』そう思った衛実は、再び歩み始めようと1歩脚を踏み出した。
だが、それでも朱音が依然として道を空けようとしないので、今度は傭兵が眉間にシワを作って問いかける。
「なんでどかねんだ? 足並みを揃えてやるっ言ったろ」
「まだじゃ」
「は?」
「ぬしは、わらわの話を聞いておったのか? わらわはもう1つ、ぬしに頼み事をしたぞ」
そう言われて衛実は、首を傾げながら記憶を遡り、やがてすぐに察すると若干嫌そうな表情を浮かべた。
「…………話を聞けってやつか?」
「聞くだけではない。きちんとわらわの話に答えるのじゃ」
「答える、つってもな。お前の質問は全部、俺のことばっかじゃねえか。誰が好き好んで、"鬼"なんぞにてめえ自身のことを易々《やすやす》と話すんだよ。馬鹿じゃあるまいし」
衛実にとっては、まだこの目の前にいる"鬼"の少女が己の仲間であるとは認めきれていない。もし仮にこの少女が、村を襲った"鬼"と通じていたのだとすれば、彼女もまた傭兵にとっては敵も同然なのだ。
しかし、この"鬼"の少女は、そのようなことを考えもしていないのか、衛実の胸中をよそに平然とした顔で話し返してくる。
「これから共に歩む者同士、互いのことを知っておくのは当然のことであろう。それに先にも申したが、わらわは人の子を無闇に襲ったりはせぬ。何故信じぬのじゃ」
「そりゃ、いくら前だからと言って、家族や村の皆を殺した奴の仲間の言葉を、すぐに『はい、そうですか』なんて飲み込めるわけねえだろ」
「むむ……。ならば、わらわが今ここで、ぬしを納得させられる程のことを為せば良いのじゃな?」
「為す、って……。今この状況で、お前に何が出来るってんだ? またさっきみたいに樹でも燃やすのか?」
「そうではない! 何故そのような適当なことばかり申すのじゃ」
『からかわれた』と感じた朱音が自分の元へと詰め寄って来る。それにどう対処しようかと視線を巡らせた衛実は、彼女の背後から近づいて来る不穏な集団に気がついた。
「チッ……、こんな時に。おい朱音、こっちに来い。俺より前に出るなよ」
そう言うと衛実は、怪訝そうな表情をする朱音の腕を取り、自らの後方に引き込むと、野盗達の視界から彼女を覆い隠すように立ち塞がった。
「おい兄ちゃん、可愛い子連れてんなあ?
俺たちにもよお、相手させて来んねえか?」
話しかけて来た者を含む6人の野盗が、口元に下卑た笑みを浮かべながら、衛実と朱音の方へじりじりと距離を詰めていく。
人数で勝る自分達の優位を知ってるからこその余裕からか、明らかに見下すような視線を2人に向けていた。
やがて6人の野盗は、自分達が確実に獲物を仕留める間合いにまで辿り着く。あとはもう、己の手の中にある得物を目の前の哀れな男に叩き込むだけ──
ヒュンッ!
風切り音。恐らくその場にいた者達は、たった1人を除いて何が起こったのかを把握できていなかったであろう。
数瞬の後、我に返った野盗達が目にしたものは、薙刀を右腕一本で振り切った姿勢でいる衛実と、肩から上を無くして鮮血を噴き出しながら倒れていく仲間の姿だった。
「っな!」
「てめえ!」
急な事の変化に、野盗は誰1人として動き出すことが出来ず、声をあげるので精一杯だった。
そんな彼らに立て直す暇を与えるつもりもない衛実は、両手で薙刀を持ち直し、1人目を討ち倒した流れのまま、一気に突っ込んで行く。
「フゥッ!」
薙刀を振りかぶった体勢から、腹筋を縮めるような息遣いと共に、己から見て右端にいた男を左脇腹から斬り上げていく。
その勢いを殺さず、身体を1回転させて、今度は隣りにいた男を斜め上から斬り下ろした。
そこへ、左端にいた男が刀を振り上げ、斬りかかって来る。
衛実は腰を落として野盗の刃が落ちてくる時間を引き延ばすと、薙刀のもう一端に取り付けられた刃で、ガラ空きの腹を斬り裂いていった。
「このクソォ!」
しかし、その更に後ろに回り込んでいた男が、仲間が倒れていくのにも構わず、衛実の背中めがけて斬り込んで来る。
(チッ……!)
咄嗟に左肩の装甲で受け止めようとした矢先、男が何かの衝撃を受けて横に飛ばされていく様子が目に映った。
「衛実、今じゃ!」
男を飛ばしたモノの正体は、なんと朱音の体当たりであった。だが、それによって生まれた好機を衛実は逃さず、横転した男の胸元を刃の先端で串刺しにする。
「ウアアアアッ!」
最後の1人になり、半狂乱の状態で突っ込んでくる6人目に対し、衛実は串刺しにした男から右手のみで薙刀を抜き取り、そのまま振り向きざまに一閃して討ち倒した。
「…………終わったな」
一息つき、地に伏す6名の野盗達の死体を何の感慨もなく眺めながら、そう呟いて刃に付いた血を振り落とす衛実。
「どうじゃ衛実! 今のでわらわが、ぬしにとって信ずるに値すると示せたであろう?」
そんな彼に何やら誇らしげに語りかけてくる朱音。心なしか胸を張っているようにも見える。
その声に応え、振り向いて彼女の様子を見た衛実は、ため息をついて呆れたような口調で話し返した。
「何を示したってんだ? ただ体当たりしただけじゃねえか」
「なっ!?」
予想外の答えが返ってきたことに驚いて、思わず目を見開く朱音に、衛実は畳み掛けるように話を続ける。
「それに俺は、お前に後ろにいるように言っただろ。なんで勝手に出てきてんだ?」
「それは、ぬしの身が危なかったからではないか! あれが無ければ、今頃ぬしは斬られておったのかもしれないのじゃぞ!」
『心底納得がいかない』と感じた朱音は、不満気な表情を作って言い返したが、当の衛実は、そんな彼女の言い分を相手にする様子が一向に見られない。
「そうならねえように、この当世袖で受け流すつもりだったし、仮に受け損ねたとしてもかすり傷程度で済む。何もお前がわざわざ出てくる必要は無かったんだよ」
遂にここで、朱音の我慢が限界に達した。
先程から自分は、少しでも歩み寄ろうと試みていたというのに、この傭兵はそんな自分の思いを無下に扱う。だから彼への当たりが強くなってしまうのも、無理もないことであった。
「どうしてぬしは、そうも素直に受け入れぬのじゃ! わらわの申すことは、ぬしにとってどうでも良いことなのか!?」
「あのな、これは殺し合いなんだよ。命の奪い合いに、戦う術も持っちゃいねえ奴が軽い気持ちで首を突っ込んでくんな」
朱音の強い口調とは対称的に、衛実の方は冷めており、特に最後に放った言葉には、どこか相手を突き放すような印象が感じられる程であった。
そんな彼に更に言い返そうと朱音が口を開きかけた瞬間、
「オイ! こっちで仲間の声がしたぞッ!」
さほど遠く離れていない場所から、誰かの発する大声が聞こえて来た。
「チッ、まだいやがったのかよ。おい朱音、一旦こっから離れるぞ」
そう言って衛実は、動揺する朱音の腕を半ば強引に引きながら、現場から少し離れた廃屋敷へと身を潜めに向かって行った。