ープロローグ・決戦前夜ー
まるで、全ての生物が息絶えてしまったのではないかと思うほどに音のしない冬の夜ーー
薪をパチパチと音立てさせながら燃やす紅き炎が、静かな暗がりの中で煌々と辺りを照らしている。
その力強く、だがちょっとした事で呆気なく消えてしまいそうな、形の定まらない光を、そこら辺から適当に運んで来た丸太の上で、薙刀を背負った1人の青年が膝の上に腕を載せた姿勢で座り込みながら、どこか遠くの物でも見ているかのような目をして、ぼーっ、と眺めていた。
「お前様、」
不意にかけられた言葉が、自分に向けられたものであると気づいた青年は、振り返って、自らの後ろに佇む"鬼の少女"をその目に留める。
「ん? ああ、なんだお前か。寝なくていいのか? 疲れてるだろ、しっかり寝とけ」
もう長い間、自分の隣に在り続けた彼女を労る青年の声は柔らかで、心の底から大事にしている様子が、誰の目から見ても明らかなのは言うまでもなかった。
その気遣いを心地好く思いながら、"鬼の少女"は自分にとってもかけがえのない、大切な存在である青年の元に歩み寄りながら言葉を返す。
「疲れておるのは、わらわだけではなかろう。お前様も少し休むと良い。ここら辺りに敵の気配はないようじゃし、何も夜番をすることもないじゃろうに」
"鬼の少女"の言葉に、青年はふっ、と軽く笑いを漏らすと、腰の位置をずらして自分の傍らに彼女の分の場所を作り、そこへ座るよう手で叩いて示す。
そして、誘われた彼女がちょこんと座ったのを見届けてから、焚き火の方に視線を移して口を開いた。
「そういう訳にもいかねえだろ。
もしここで俺まで寝て、いきなり襲われたらどうすんだ?
俺やお前だけじゃねえ。今回の戦の要の羅刹だっている。
ここまで来て失敗なんてしたら、向こうで待ってるあいつらに、顔向けなんか出来ねえよ」
そう言って青年は、澄み切った空に浮かぶ数多の星々を見上げて、自分達がここに至るまでに繰り広げて来た戦いと、そこで出会っては、時に永遠の別れを告げることになった者の数々に思いを馳せる。
"鬼の少女"もそれを察して、青年の隣に寄り添いながら、黙って目の前の炎を眺めていた。
短いかも長いかも分からないまま、緩やかな川の流れの如く過ぎてゆく時の中で、ふと、青年が過去のある出来事を懐かしむようにゆっくりと、その口を開いた。
「なあ朱音、覚えているか? 俺たちが1番初めに出会った時のことを」
『朱音』と呼ばれた"鬼の少女"は、なんの気なしに振られた話に一瞬だけ、驚きに目を見開いて青年の方を向いたが、すぐに合点がいって、再び焚き火の炎に視線を戻しながら、口元に笑みを浮かべて彼の問いかけに応えた。
「うむ、覚えておるとも。懐かしいのう……。あの時のお前様は、初めて会うたわらわに、えらく酷くあたってくれたものじゃったな」
話していくに連れて、徐々に笑いが込み上げてきた朱音は、話し終わりに『ふふっ』と堪えきれなかった笑みを零すと、イタズラっ子のような顔をして、青年の方を見てきた。
彼女に痛い所を突かれた青年は、当時の後ろめたさからか、たじろいだ様子を顔に浮かべて、謝罪と共に弁解する。
「悪かったよ。けど仕方ねえだろ? あん時の俺は、お前みたいな『人に味方する鬼』に会ったことがなかったんだからよ」
「分かっておるとも。じゃが、あの時の出会いがあったから、今のわらわ達が在る。そうは思わぬか、衛実?」
『衛実』と呼ばれた青年は、朱音の問いかけにしばらく考えてから口を開く。
「もう少し、ましな道もあったと思うけどな」
「何を言う。お前様とこうして共に在り続けられるよりましな事なぞ、他に何があると言うのじゃ」
衛実のどこか後悔が残っていそうな呟きに対して、ハッキリと『それは違う』と言ってみせる朱音の言葉に、彼は少しばかり救われた気分になって、晴れ晴れとした顔つきで口を開いた。
「そうか……。そりゃ良かった」
そのまま、もう一度、噛み締めるように冬の夜空を見上げる。
(ああ、本当に懐かしい……。あん時の出会いが、まさかここまでになるなんてな……)
衛実と朱音が出会ったのは、よく晴れた春先の、桜の花が咲きかけた頃のことであった。