小次郎5
リターンレーンの中、ぴったりと後ろにヤスツナ号がつけている。レーンから流れ出た瞬間にフリッパーが素早く反応し、オサフネ号を勢いよく斜めに弾きあげた。ヤスツナ号がフリッパー上に現れる瞬間にはフリッパーの角度が変わっているから、これでいったん振り切れるはずだ。はずだったが。
「――振り切れません、正確に角度を合わせてきてます!」
フリッパーの動きを殺すような船体の振り方をしたのだろうか。ヤスツナ号はオサフネ号とまっすぐ同じ角度で舞い上がってくる。
「なかなか変態的な腕だな、ありゃあ」
「――相手の衝突技術は本物です。注意してください。予想外の方向に弾かれる危険性があります」
「とはいえ、真っ向勝負を受けて立つなら、ぶつけなっくっちゃ話になんねえ」
「――制限時間まで逃げ回れば、スコアで勝てますけど」
「アホか。十五の小娘に追っかけられて鼠みてえに逃げ回るってのか、この小次郎が」
「――言ってみただけです」
小次郎はへっと息を吐いた。
「仕方ない。あれやるぞ、あれ」
「――あれですね。諒解」
小次郎はフィールド上部までいったん上がると、そこのバンパーに船体を打ち付け、今度は下部へ向かって逆さ落としに降下した。武蔵はぴったりとつけてくる。だが長い軌道で飛び回る限り、いくら相手が異常なアジリティを持っていたとしても、いきなり食いつかれることはないものだ。そのまま二隻の船はスリングショットに落ちかかって、僅かなタイミング差で同じ方向にバウンスした。向かう先は先ほど通った、二階部分へと続く狭いランプレーンだ。
「準備はいいか?」
「――いつでも」
ニつのボールは相前後してランプレーンに吸い込まれた。この狭くて細いレール路は、この台上でもっとも摩擦が大きい箇所である。そして一カ所だけ急角度の屈曲部があった。小次郎はその場所に向かいながら、巧みにスピンとレールの噛み合わせを調整して、スピンのエネルギーを密かにウェイトパーツに蓄積していった。一種のフライホイールである。屈曲部が目前に迫った。
「ウェイト、電磁ロック!」
「――アイ!」
屈曲部の奥壁に身をすりつけざま、オサフネ号は自慢のヘヴィウェイトをロックした。弾けるような金属音が轟き、外殻が高速でバックスピンを開始する。のみならず、オサフネ号はウェイトに限界ぎりぎりの逆トルクをかけて、通常ならあり得ない経路――真後ろ、に方向転換した。小次郎の秘技、『つばめ返し』だ。
オサフネ号がランプレーンを戻りだす。真正面にヤスツナ号が迫った。総重量ではオサフネ号に分がある。レーンは玉の幅しかない。
激しい衝突音とともに、二隻のボールシップはお互いを逆方向に弾き飛ばした。
「――ナイス小次郎、成功です!」
「悪いなお嬢ちゃん。このランプレーンをそのまま戻ると、一直線にセントラルドレーンにポトリなんだ。舟島ピンボール台の大トラップだよ」
オサフネ号は二階のミニ・フィールドを抜けて、順路方面に通常フィールドへ復帰した。
「さあて、嬢ちゃんはゲームオーバーか?」小次郎が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「――」
「どうした?」
「――生きているようです、場所は――」
ナガミツが言いかけたその瞬間、下方から不意に飛び上がってきたヤスツナ号が、オサフネ号の視界を完全に遮った。ゼロ距離だ。小次郎は思わずのけぞった。だが激しい衝突を予測した小次郎をあざ笑うかのように、ヤスツナ号は舐めるような鈍角でその外殻をこすりつけてきた。妙に柔らかく、お互いを弾きにくいスピンを維持しながら。
「――まずい! 船体を動かしてください! ぶつけて!」
ナガミツが叫び声を上げた。だが遅かった。ヤスツナ号は小次郎が反応するよりも一瞬早く、オサフネ号を離れて、そのままゆっくりと遠ざかっていった。
「どういうことだ? 何が起こった?」
「――スピードを」
「スピード?」
「――殺されました。いま我々のスピードは、ゼロ、です」
周囲の景色がキャノピーの外で回転している。だが、ナガミツのいうとおりだ。何度回転してもほとんど景色が変化しない。小次郎は戦慄した。
オサフネ号は巧みに勢いを殺されていた。いまはゆっくりと回転しながら、バックグラスの上を弱い重力に従って滑り落ちるだけだ。徐々に加速していくとはいえ、神経ブースト状態で見ると、ほぼ停止しているに等しい状態だった。もともとバックグラスと船体の摩擦はゼロにしてあるため、ボールシップはスピンだけではフィールド上を走ることすらできない。
「マジか。マナ板の上の鯉かよ」
小次郎は吐き捨てて、周囲をぐるりと見回した。次の攻撃は狙いすましてくるだろう。受け方を誤れば、蝿のようにセントラルドレーンに叩き落とされる可能性もある。絶体絶命だ。
「――上!」
目をあげた小次郎は驚いた。鷹のように襲いかかるヤスツナ号は、表面一杯に強い反射光を湛え、巧みに回転を隠していた。台の構造と光源の配置、それらすべてを利用しての大技だ。不思議な眺めだった。虹色の衣を纏った殺人者。美しく、危険な――。
と、小次郎は不意に我に返った。そして一瞬受ける手だてに戸惑った。だが、小次郎も百戦錬磨の勇姿だ。勘の教える方へと、思い切って船を回す。二隻のボールシップは激しい音を立てて衝突した。
「なめるな!」
小次郎が叫んだ。同時に、冷たい感覚が大男の背筋を走り抜けた。
衝突の瞬間、小次郎は真下に叩き落とされることだけは回避したのを感じ取っていた。必殺の一撃をいなしたのだ。だがコトはそう単純ではなかった。オサフネ号は、通常ではあり得ない方向に弾かれていたのだ。垂直方向である。ピンボール台には超強化ガラスの天井があるが、精々ボール三個分の高さしかない。小次郎は一瞬、このまま飛んで強化ガラスの天井を蹴り、ヤスツナ号に奇襲をかけるという方法を吟味した。だがヤスツナ号も負けていなかった。衝突の瞬間、小次郎に出し抜かれたことを知った武蔵は、オサフネ号を弾き飛ばした反動で自身が床に叩きつけられた瞬間、すぐに次の攻め手に出ていたのである。
ヤスツナ号は激しくバックグラスを蹴った。次の瞬間、二隻は床と天井を背後にして、縦一直線に玉を並べた。すべての隙間を合計しても、ボール一個の直径程度だ。ピンボールでは普通、想定されない配置である。
一瞬、小次郎と武蔵のコックピットが向き合った。暗いキャノピー越しに見る武蔵は座席に深々と身を沈めて、ヘルメットの下の表情までは掴めない。だが小次郎は、武蔵の中に強烈な何かを感じ取った。
「危険な状況を予測! こじろう、しょ、き、そ、――!」
ナガミツの語尾が急に加速し、あっというまに聞き取れなくなった。いや、加速したのは小次郎の感覚だ。激しい衝撃を受けたことを知覚して、コックピットの見慣れないインジケータ、コースアウト、が、点灯したような気がして、いや、本当にその順番だったかも怪しいが、次に――、スロットル――、?




