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小次郎11

「ま、成功を祈ってろ。じたばたすんな。運を信じるんだ」

 小次郎は武蔵のシートベルトを外すと、腰を掴んで抱えあげ、正対する向きに膝の上に据え直した。小次郎はしみじみとこの少女を眺めた。武蔵はさっきまでの威勢を失って、ぶら下げた兎のようにおとなしい。黒い目は輝きを失い、白い歯が不安げに唇を噛んでいる。伏した視線は風になぶられる夕顔のように、小次郎の瞳を避けて左右に泳いだ。

「放り投げられるのは、怖いか?」小次郎がニヤリとした。

「怖くはないわ、ただ――」武蔵の声が詰まる。

「他人の腕は信用できねえってか? 勝負に負けはしたが、ボールの機動、反射神経、お前に劣らねえ自信はあるぜ」

 武蔵は返事をしない。小次郎は自分だけシートベルトを結び直すと、両手で武蔵の上腕部を握った。目で促され、武蔵も小次郎の上腕を握り返す。

「――30秒」ヤスツナの声。

「おっと、いけねえ。忘れるところだった」小次郎はそういって右手を離すと、コックピット側面のコントロールパネルに手を伸ばした。武蔵も慌てて掴んでいた手を離す。小次郎が緑のボタンを指で叩くと、ペンくらいの大きさの黒い部品が壁から飛び出した。

「ナガミツのバックアップだ。持っていってくれ」

 驚いた顔をした武蔵の胸ポケットに、小次郎が無理やり部品を押し込む。と、ヘルメット内にけたたましいブザーの音が鳴り響いた。小次郎は苦笑する。

「ナガミツ、安心しろ。渡したのはバックアップだ。残念だが、お前は俺と心中してもらう」

 ブザーの音が止む。代わりに武蔵が口を開いた。

「ちょっと、どういうこと? あなたも逃げるんじゃないの?」

 小次郎はそれには答えず、宙を遊ぶ武蔵の手を再度掴もうと、あらためて右腕を伸ばした。武蔵の左手がそれを逃れる。「おい」小次郎が言った。「余計なことを考えるな。集中しろ」警告してふたたび右腕を伸ばす。武蔵は半身になってそれを逃れた。

 小さな機械音とともに、割れたキャノピーがゆっくりと開け放たれる。と、キャノピーが外れて、あっというまに暗闇の中に飛び去ってしまった。開いたまま機動すると邪魔になるため、ナガミツが放棄したのだ。

 開いたハッチは星空と地面を交互に切り取って、武蔵の背後でスロットマシーンのように回転した。

「――15秒」

 オサフネ号は深いクレーターの縁を越え、砂だらけの斜面に飛び降りた。そのままぽんぽんと飛び跳ねて、広大な椀の底を渡り出す。

「時間がねえ。腕をよこせ」

「待ってよ、あなたはどうするの? 答えて」

「どうもしねえ。世の中には、答えのない質問だってあるんだ」

「そんなの、」

「――10秒」

「お前、シップ乗りに腕力は要らねえって言ってたな。そりゃあ間違いだ。鍛えろ」

「ちょっと、小次郎!」

 のけ反る武蔵の右腕を、小次郎は左手で強く引いた。よろめいた武蔵が、腰を折るように小次郎の胸に倒れかかる。小次郎は武蔵の左肘を掴むと、そのまま掌を滑らせて、もとのとおり上腕を握った。

 ふたりの丸いヘルメットが、こつりと音を立ててぶつかった。

「――5秒、」

 舟島の二人の対戦者が、鍔迫り合いの距離で、相手の瞳を覗きこんだ。だがこの一番、勝敗はすでに決していた。抱き寄せられた瞬間に、娘はもう男の意志に抗っていなかったからだ。

「――4、3、」

 小次郎は片足を上げると、操縦桿を思いっきり蹴りとばした。オサフネ号の回転が変わる。急激に増大した遠心力で、武蔵の体が浮き上がった。お互いの腕を支える特殊繊維のグローブが、掴んだ相手の宇宙服の上を、一瞬だけずるりと滑った。武蔵の両足がハッチに向かって真っすぐに伸びる。小次郎の腕と、宙に泳ぐ娘の体が、吹き流しのような一直線になった。前のめりになった小次郎の体にシートベルトが食い込んで、胸の前に十字の溝を刻みつける。武蔵のすべての関節が軟骨の中で逆方向に引っ張られ、顎をあげた小さな顔が苦痛に歪んだ。

「――2、1、」

 小次郎が微笑み、

「――ゼロ」

 手を離した。


 武蔵の体は投擲競技のハンマーのように船外に放り出された。と、星空を遮る大きな影が、オサフネ号の上にのしかかった。クレーターの上を一気に飛び越えてきたヤスツナ号だ。別々の向きに高速で回転する二台のボールシップが、真空の中で、触れあわんばかりに近づいた。そして上空を追い抜きざま、ハッチを開いたヤスツナ号が、武蔵の体をその中に吸い込んだ。

 あっというまの出来事だった。一瞬ののち、ヤスツナ号はオサフネ号に星空を返した。

「やっぱ俺が宇宙一だな」小次郎は呟いた。

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